なんのために蚕を飼うのか? それが問題だ

子どもたちは、蚕は繭になって茹でられてしまうことをうすうす知っているようでした。蚕を飼い始める前に、「知っていること」を出し合いました(僕は学習始めには既有知識を一度棚卸しするのがとても好きです)。

子どもたちは、まゆから絹糸が取れることも知っていました。そして、後々、それぞれが飼っている蚕が繭になり、茹でられて死んでしまうことも。


そこで「じゃぁ、僕らはどうする? 蚕を飼うか?/飼わないのか?」を話し合いました(ちなみに飼わないのかと言われたら細々と僕が勝手に飼おうと思ってもいました)。


「死んじゃうかもしれないけどやってみたい」と多くの子たちは飼ってみたいと興味があります。子どもの残酷な一面も見えます。一方で、「かわいそうじゃん」と一見優しさを醸し出すけれど、本当は虫嫌いだったりして。その議論を聞いていて面白い。


ある子が「蚕にとっての幸せを考えてみようよ」と投げかけました。


僕の中にも、家畜として人が養蚕しやすいように人工的に作られてきた蚕、そして絹糸を取るために死んでしまう前提で生き物を飼うことってどうなんだろう?とずっと考えてきた問いの一つです。


蚕にとっての幸せは「長生きすること」「(人の)役にたつこと」、蚕にとっての不幸せは「みんなゆでられること」。ここからがおもしろく、「どっちにしろ死んでしまうから、、、」、「蚕の世話をやりきること」と「保護をする」の二つになっていきました。しかし、蚕を毎回育てていくと、1年もすると50億近い蚕が産まれてしまう計算でした。困った困った(だから養蚕には資格があったし、蚕をむやみやたらに放してはいけないきまりもあるようです)。

結論。


蚕の役割を果たすため、まゆになるまでせわをやりきる。


蚕は蚕のミッションがあり、その通りに生きていくのが幸せだろう、僕らは飼うし、殺して糸も取る。だから最後までちゃんと世話をすることが僕らに課せられたミッションであると。蚕のミッション!? 言葉のチョイスがオモシロイ。
この、「みんなで飼う」ところに、意味が今後出てくると思っています。それぞれの興味に応じてではなく、好きも嫌いも含めて、一緒に同じことをやる。その制限の中にドラマや学びも生まれるはずです。


「よし、ではそれぞれの蚕の命が全うできるように卵を今からわけわけしましょう!」と言った矢先、もうすでに卵が孵化しちゃってるじゃん!という前回の話に続くのです。


なんのために生き物を飼うのか。結構大事な問い。蚕がまゆになった時にもう一度、話し合ってみたいと思っています。

コロナで自分へ勝手に規制をかけてたかも

今日で2週にわたって取り組んできた学年の地域探検がおわりました。白地図とコンパスもって各々のグループが事前に計画したルートにそって、迷いながらも自由に探検してくる。もちろん保護者にも快く協力してもらい、安全をみてもらいました。僕は自転車ぐるぐる回って、出会ったグループにスタンプ。

帰ってくると、「迷子でたいへんだったー!」嬉しそうに抱きついてくる子。森でカブトムシげっとした子。お寺のお堂で南無南無してきた子。それぞれの冒険があったようでなによりでした。

最初、緊急事態宣言が出され地域探検も延期する案もありましたが、もう以前のように大人の都合で、子どもたちに悲しい思いをさせたくない。

春の遠足だって緊急事態宣言の中、延期しました。だれに迷惑かけるわけでもなく、春の川ぞいを歩いて、公園で真っ黒になって遊ぶ。最後の最後まで、行くつもりでいましたが、断念。今はその判断は間違ってはいなかったと思うけれど、社会の目を過剰に気にしすぎていたかもしれない。子どもたちができることを、大人が勝手にせばめてしまっていることに、そういう自分がいることにも悲しくなる。

遠足延期については学年集会を開いて、子どもたちからの率直な意見も聞かせてもらった。延期して良かった意見、やっぱり行きたい意見、様々でてきたけれど、こういう子どもの声をききながら、もっと学校をつくっていかなければいけないと思う。コロナの今だからこそ。

今日の探検は隣のクラス。雨にふられてしまった学年の先生をねぎらい、駅前のおいしいクリームパンとコーヒーでふりかえり。こういう時間に、案外、これから大切にしたいことが決まっていく。こういうこともコロナ禍で失ってきたことのひとつだなあと思う。

こうやって、不安をかかえながら、さぐりさぐり行事をつくっていく。今後も続くと思うけれども、あきらめないで行こうと思う。

あしたは実行委員の子どもたちが延期されていた遠足のプレゼンテーションをする日。練習は自分たちですすめていました。楽しみです。

蚕を育てています

今年は蚕の研究をしています。卵からていねいに育てている自称クワ男です。

たまごっち→かいこっち→まゆっち→シルクっちになる予定です。週明けに卵を観察しようと思っていたら、雨が降った次の日、いっきに暑くなり、蚕の卵が、いっきに孵化しまくっていました!

うぎゃー!

生命尊重、最高です。

算数の時間は急遽中止となり、子どもたちと算数補助員さんも支援員さんもみんなで、孵化したての蚕をぎゃーぎゃー言いながら、仕分け作業。それぞれの「かいこっちケース」に4~5匹しまいました。

うー、目がしばしばした。

虫好きな子はアゲアゲでしたが、芋虫ぎらいな子は固まっていました。さて、どうなることやら。

ちなみに蚕の卵は500つぶで2000円でお買い得。

幼稚園の雑誌座談会に参加してきました

本校の幼稚園へ呼ばれ、ある子ども雑誌の座談会に参加してきました。エリクソン研究の久保健太さんと幼稚園の先生方、そして小学校代表?(たぶん一番幼稚園へジャマしに行っているから)の僕とが、子どもの動画を元に、語り合う場でした。3歳児の男の子が木の実を集めるエピソード、これがまたとってもほっこりして最高に癒やされます。

詳しくは対談集にゆずりますが、幼児期における何かに夢中になることや遊びのその価値について、考え合いました。子どもの姿で話しが始まったのですが、いつの間にか、我がクラスのドロダンゴ団の遊びから我が生い立ちまで話が逸れるにそれ、それはそれはカオスでしたがきっとすばらしく編集でなんとかしてくれることでしょう(笑)。

最後のオマケのトークで、「日本/アジアでは本当の意味でチャレンジが難しい国だ」という話がおもしろく、南北イタリアの信頼観のちがいについて教えてもらいました。

北イタリアはレッジョ・エミリアにみるように「一般的信頼」と呼ばれる成熟した市民社会や民主主義が台頭しています。一方、南イタリアにおいては、僕が大好きなドン・コルレオーネ率いるゴッドファーザーの世界であり、そこには多様性などといったものはなく、ボスが黒といえば黒となる「特殊的信頼」の世界だそうです。

ちなみに、僕はコロナ前のここ数年、南イタリアへ遊びに行き「レモンチェッロが最高〜!」としか覚えておらず、その特殊的で信頼な風を全く感じることなくとても残念であります。

この、チャレンジすることへの多様さを認めてもらえないこと、なにか声をあげたり、変えようとすること、新しくたくらもうとすることへ、ことごとく風当たりが強く、我が身にも覚えがあるところです。その意味で言うと、本校は、アジア枠ではあらじ、チャレンジと自由の台頭する民主的な学校と自負しています。

民主的でありたいと願う「一般的信頼」は即決できない多様な意見を引き取るだけに、時間もかかるしそれぞれの成熟度が求められます。汐見稔幸さんはそれを「(白黒つかず)決着をつけないしんどさ」と言っていたそうです。いつか汐見さんとも直接、お話が聞けるといいなぁ。

普段とまったく違うフィールドの人たちと、話をするとおもしろいなぁ、というなんとも落ちのない投稿でした。

数学者⑩ ミニレッスン4−1 う〜んとあぁ!

ミニレッスン(10分間)

価値のインストラクションを文字にしておく・今回は、ミニレッスン数学者の技「添え書き」の説明が長くなりそうだったのでメモを作って読むことにしました。書いてみることで「このスキルがなんのために」がさらに明確になりました。毎回のミニレッスン用の説明メモを用意するといいと思います。その際、①スキルの概要、②子どもの例★をつかったスキル価値の説明、③呼びかけの三段階ぐらいがちょうどよく、5分ぐらいで終わる。こういうことはちょっと面倒くさいかもしれないけれど、授業の節々で生きてくるので練習だとおもって積み重ねることで、授業に息を吹き込んでくれます。★これまで解いたことのある魔方陣とつなげて話しました。こういう既有知識とリンクすることは、なにげに大切だと思っています。


【問題】【計画】

ここで、3マスのときの7の組み合わせ(1+2+4しかない!)はまだナイショにしました。これは子どもが自分で発見してほしいし、そこにこそ思考体力を使う価値があるからね。

12の列に目をつけました。2マスしかないから、2つの組み合わせで12をつくるには簡単そうです。「ひたすらかきまくって考える」作戦またでた! 今回、このメモに気持ちをのせること。大事な作戦です。みがいていくと「順番にかきまくる作戦」へと進化する期待大の作戦です。最後にあらためてミニレッスンのう〜んとあぁ!を書くことの確認をしてワークタイムスタート。


ワークタイム 20分

いつもながら、ワークタイムに入って子どもたちが問題へグッと取り組む瞬間がたまらない笑。むずい。「むずい〜」と嘆いている子には、「それはむずいよねー」と、う〜んとメモしている子には、「いいねぇ、メモしている子みーつけた!」と声かけながら、クラス全体の様子を見て回りました。

2年生でも、3口の足し算の和はすぐにでてこない子もいます。やっぱ時間がかかるもんですね。すすまないんだな。ここで思考体力を使っての粘りも実は大切な力の一つです。

こういったペーパーだけのノートに書くだけ勝負の問題では、時間が経つにつれて子どもたちが落ち着かなくなってくることがあります。先生ちょっと焦る。子どもたちの集中も散るので、授業の仕切り直しをし、また穏やかに取り組める空気を作り直しました。


ワークタイム途中の共有

子どもたちはなかなか進んでいない様子だったので、一度みんなと情報交換をしてみようと、授業途中での共有を投げかけてみました。この各自の学習プロセス共有については、僕が今一番関心のあるテーマの一つです。算数数学では答えのやり方や答えの共有(確認?)はするけれど「できなかったやり方(自分が考えもしなかったやり方も含め)」については検証されにくい。実は、ここのできかったやり方の試行錯誤こそ、人が学ぶには必要であり、そこを支援していくことこそが求められるんだと考えています。


一度みんなで手を止めて「これだったらいけそう?ってのはない?」と出し合おうとしても出てきませんでした。「じゃぁ、ダメだった方法はある?」ときくと、二人の子が手を挙げてくれました。こういうときに、「まちがい」をみんなに開いてくれること、しなやかなマインドセットだなと思います。
「アのマスがなし。イに4がはいって。それだと、答えがないってことだよね」「私はためしてみたんだけど。7じゃだめ。ひたすらかくさくせんをやっている最中」といくつか、できないやり方が共有されました。

消しゴムで間違いを消してしまいたい!

できないやり方を残そうとしない子がいます。いやなことは消してしまおう。分かるなぁ、この気持ち。まちがうことに抵抗がある子に共通する点かもしれない。算数数学では、まちがいもできない方法の一つ。一歩進んだ証。これまでの算数授業でもそう繰り返してきたけれど、まだ抵抗がある様子。ここで、できなかったやり方をノートにのこしていかないと、同じ失敗を繰り返すことになっちゃうね。消しゴムで消したがる子にとっては、いい失敗になったんじゃないでしょうか。失敗やできないこともある自分も許せるようになっていく、授業を通してそういうことも育っていけるといいです。


答えを知りたがるときには

一方、答えを知りたがる子も算数には必ずでてきます。「答えさえわかればいい!次にマッハで進める!ほいほいほい」と、きっとこういう直線的で効率的な学びをしてきたのかもしれません。でも、子どもって迷路がスキですよね。答え知っているのに笑。そのゴールまでのみちのりを楽しむものこそがおもしろいのに。そういう子には、「答えの書いてある迷路ってつまらないじゃん」といいながら、「どうしても答え知りたいなら、先生の机にあるよ」と僕の数学者ノートを開いておいてあります。そうすると、「自分で解けるし!」「この問題に本当に答えがあるのかだけ知りたかったんだよ(まけおしみ感MAX)」と、くやしそうにしながらも、だれも見ようとしませんね笑


共有の時間はなし授業のこり5分になり、子どもたちに「共有の時間にする?」ときいてみると、「えええ!」「まだやるし!」と思わぬ反乱が起こりました。かわいい。ひたすら書く作戦の子はいいかんじでノートが進んでいました。でもまだできない。それだけに、スッキリとできてほしい。よし、次回も改めてこの時間をとろうと思うのです。

ひとことでもそのときの感想をのこしておくことは大切なこと。今日の「うーん」と「あぁ!」はどこまでメモできたかな。振り返ってみることにしました。みっちりと、不満!のう〜ん!やできないパターンも書き込んでいる子のノートを紹介して、終わり。さて、次も楽しみです。

授業づくり ミニレッスン4の計画 う〜んとあぁ!をメモしよう(添え書き)

このコマのめあて

  • 算数の問題解決では、その筋道を記録することがあるが、その解いている最中の心情に焦点を当てて、メモすることは推奨されてこなかった。そのため問題解決には解決者の心理面が大きく影響され、自分の考えをメタでつかむ練習にも必要と考えている。閃きやつんのめり(スタック)を気付いて「う〜ん」「あぁ!」とメモしていくことを練習したい。
  • 前時までの問題解決スキル「ふりかえり①〜③」も併せて解決時に使ってみる。
  • 3時間計画(問題を知る→とく→つくる)

レディネス

  • 魔方陣問題で、縦横で足し算をする経験をしている。
  • 同じ数字を重複して記入してしまう。2つ可能性をのこして計算する思考体力に欠け、勘に頼ってしまう。

準備すること

  • 「良問」宮本さんの『考える力を育てる強育パズル』これがスタックしたり、閃きをメモするいは適している良問の一つだと考えた。
  • 問題プリント2枚
  • 問題づくり用のフォーマットプリント。
ミニレッスン4

このシリーズはおすすめです!

数学者の時間⑨ 3−2 ふりかえりのふりかえり

入試も終わり一段落。ついついこういった振り返りはあとになりがちなので、記憶を呼び覚ますためにも、新鮮なうちにメモしておいてよかったです。前回の答えが「パン3枚は8分間で焼ける」ことに落ち着いてしまったので、再挑戦しました。子どもたちにとって身近な道具は「トースター」ではなく「ホットプレート」のほうがよかったのかもしれない。生活経験が遠いと余計な間違えがうまれて本質にたどり着けないことがありますね。この日はちょうどハロウィンの日だったので、仮装したまま授業にいる子もいるのが楽しいものです。


ミニレッスン15分
前回までの確認から。

ワークショップ授業1コマの流れの確認。そしてふりかえりのステップ3つ。①数ややり方が正しかったか?②きっかけをしらべるには、できたできないもメモしておく。③他のやり方は?そこから【計画】にもどって【求めること】【分かっていること】を、そして「1枚でもパンの片面は2分間やける」この昭和トースターの威力?を再確認しました。


算数が苦手な子が「間違ってもいい?」と【分かっていること】を小さな声で発表していました。小さな声で「ドキドキしちゃった」と聞こえてきました。授業の本筋とは別に、こういう瞬間に立ち会えることって、ほっこりするなと思います。


前回の「8分間」になってしまった解答の確認。実際に黒板の前に出てきて前回のように本をパンに見立てて二人に8分間で焼けるモデルを焼けたパン面に赤フセンをはってもらいながら、やってもらいました。前回使用した「おはじき」は使いにくいので、メモできるように破紙を用意しました。


図に描いて表すノート記録

ここで、ひとつ僕から要求を。子どもからはこれまで一切出なかったので、気になっていたノート記録の「図に描いて表す」こと。しかし、この問題でパンを焼く手順を、図で表現するってなかなか難しい。2分+2分+2分+2分=8分といった、式にはできるけどその意味を表す図が足りていませんでした。僕から「図で描けない?」と要求しました。きっと子どもたちは、表麺と裏面を別々で表記するかとおもっていたのですが、まさかの横からのパンの断面図で表現していました。これ、じつは案外すごい表現だなぁと思います。こういうとき、子どもはするすると教師の意図をこえていってしまううれしい悲鳴でした。


すぐに納得しない子

そして、その子は前に出てきて説明をしてもらって改めてわかったのだけれども、「パンが1枚なら1分間で焼ける性能をもったトースター」だと間違って理解しているようでした。「1枚のパンは両面を2分で焼ける」と思っていました。咲くほどの二人の説明と僕からの説得!?を聞いても、最初はすぐに納得しませんでした。そして反芻するように「1枚のパンでもそうなの!?」「1枚のパンでもかかるというと。。。」と、自問しながら、自分の問題への捉え方を変えて言っていました。こうやって、算数問題の答えではなく、プロセスで、理解の修正こそ価値があることだなとあらためて思うのです。こういう子たちを励ましたいし、こういった「できない」ことからの共有を広げていきたいものです。
ふりかえりの①では、数値が正しいかどうかは自分たちでは「正しい」と判断したようです。けれども、③他のやり方が残っています。もう一歩追求したのいので「できるだけあつあつで食べたい!「前回8分より短い、6分でできる!って言った子がいたよ」と、もう一回考えてもらえるように僕から挑発しました。


ワークタイム15分
数学者の時間も5回目。全体のカンファから、個別カンファランスへ少しずつ入ろうと、子どもとのやりとりに時間をかけて進めていきました。理解に時間がかかる子とじっくりと個別カンファランス。自分自身がようやくこの時間がとれるようになったとしんみり。この時間ほんと大切。全体をみながらも、教室はいつものルートを3周できました。


教室では「6分でできた!」の声が聞こえてきました。これってまだ解いている子にとってプレッシャーになるのでしょうか。「きーくやしい。自分でといてみせる」みたいな火花がちっていたようにも感じました。そして、できた子を見にいってみると、ノートにその手順が表せていませんでした(思考が早すぎる)。それでも、やっぱりトースターに1枚パンだと1分で焼けると勘違いをしている子がまだありました。この辺は根強い。問題設定をしっかりと共有することの重要さが身に染みます。6分で方法が見つかった子は、「4枚では?」と次の問題へ進んでいる子もいました。


わかったつもりになってしまう子

ある女の子が、「途中でパンを入れ替えると6分間で焼ける」解決方法を見つけました。どういう手順だったのか、説明をしてもらっていると、そこに他の女子3人組が自然と集まってきました。「あ!すご!」と言いきや、興味を無くしたのか途中でスッと、どっかにいってしまいました。どして? 子どもたちをみていると、こういう不思議な接し方ががよくあります。わかったから、次に進もうとしたのかもしれません。最後まできこうぜ。と僕は思います。わかったつもりは、しっかり理解できていないものです。しかしもしかすると、それでもいいのかもしれません。考えることは答えまですっきりすることではなさそう。何か閃きやヒントをもらえば、あとは自分で進めた方がよさそうです。そういった、誤解を含めて、納得しない子のように、繰り返し問題へアタックし直して考えを修正する機会があることの方が、答えを出すよりもよほど価値がありそうです。


全体の理解をはかりながら進める

共有10分 問題解決できてしまった子の説明は、それがわかっていない子にはとてもわかりにくい。このあたりが、解決方法の共有する時間をむずかしくさせています。もしかすると、この時点での共有だとすでに、手遅れなのだと思うようになってきました。開始5分間で一度共有してもいいくらいかも。もっと途中で、解決案の方向性を共有することそのものに、意味があるんではないでしょうか。


そしてよくあるのが「自分の解いた考え通りに説明すれば理解してくれる」と思ってしまっていること。まぁ、これは教員でさえありそうです。2年生の発達段階ではまだ相手の理解にそって、伝え方を変えていくことはなかなか至難の業。このあたりをじっくりとクラスの文化、そして今後、友達と教え合う「ピアカンファラス」へつなげていけるきっかけにしていきます。


まずは僕が、途中途中で子どもの説明を止めて、説明を確認していきました。いつもは算数で活躍していない二人が「6分間でできたできた」と嬉しそうだったので、前に出てきてもらいました(こういうのが嬉しい)。このあたりの説明はとてもむずかしく、他の子がわかっているかどうかがなかなか見えてこない。僕がこまめに止めながら、付いてこられない子がいないように、かつ、説明している子達が突っ走らないように進めました。このあたりは、ワークショップとはいうものの、一斉指導の授業技術がものをいいますね。


分かった気になっているような気がして、説明しなおしてもらいました。さらに実際にみんなで6分間でパンを焼く作業を実際にやってみることにしました。これがよかった。あたまで分かっても、手を使ってわかることは別なんだなぁ。ある男の子が「1こおいとく」、それに合いの手をいれるように他の子が「もうひとつをいれる」と話し始め、みんなで取り組みました。「すっきりしたー!」の声がやっとでてきました。「4枚でも、8分だよ」までいきました。


ミニレッスンふりかえりのふりかえり

ふりかえりの①「今日はつかった数とやり方」を確認しました。ふりかえり②「とけたきっかけ」はメタで振り返るのは難しいもの。ノートがそこを支えてくれます。「できた人はどこでひらめいたの?」ときくと、「パンをぬこうとしたとき」と教えてくれました。どうしてそこを思いついた?と聞いてしまいましたが、そこを2年生が説明するにはさらに時間がかかる(3枚のパンの組み合わせはあとは、抜くことしかありえませんが、それを説明するのは時間もかかってしまう判断で)ので、さらりと流しました。


最初、この授業が「ほんとにこれが【ふりかえり】のミニレッスンにふさわしいのか?」と考えてしまう場面もありました。前回は8分。ふりかえりをすると6分でのやり方も見つかりました。ふりかえりを通して、もっと問題を深く理解することがあります。しばらく、パンは両面で焼けるトースターしか使いたくありません。


これは超おすすめ。チーズトーストを焼くには今年一番の買い物でした笑。

数学者の時間⑧ 3−1 ふりかえり前半 授業振り返り

久々にやってしまった長時間授業

久しぶりに、やっちまいました。1コマ40分授業なのに、「共有の時間」を止められず1時間授業。それでも問題への決着つかず。次回の授業に持ち越しです。うまくいかないと思える授業ほど、ふりかえる価値が多いものですね。ぴえん。

一方長くなるのはどうしてかというと「身につけることが明確になっている」その分、良問もそれに関連してじっくりと考える問題となり、結果、1時間の密度の濃い時間となってしまいます。たまには、探究算数のように、子どもたちが隠れてさぼれる自由度の高い授業が恋しいかも。

パン焼き問題はミニレッスン「ふりかえり」にふさわしい問題だったのか?

学習者が自分の解法の振り返りをするには、一度、確実に解き終わらないとできません。そのためにも、この問題はすぐに解ける問題にしないとだめということ。かつ、多様な方法があること。

そもそも2枚のパンの片面を2分でしか焼けない昭和のトースターって、子どもの生活に身近ではなく、2年生にとっては実感が持ちにくいもの。どういう仕組みなのか、もっと丁寧に見せてあげるとよかったのかもしれません。

ふりかえりのスキル②「とけたきっかけは?」は、子どもたちはどこからが、「よし!いける」といったきっかけなのかが意識されていないことが分かりました。きっと、【使えそうなこと】の「ものをつかう作戦」ですでに解けそうと思っている様子。だからこそ、とけたきっかけを振り返るためにも、数学者ノートに思考をメモすることの価値が高まりますね。つながっているなー。

ふりかえり①〜③ミニレッスン

今回のミニレッスンは、家に帰っても「お札問題」をやっていた男の子の紹介から。家に帰ってまでふりかえって考え続けること、まるで数学者みたい!とその大切さを確認し、今回のミニレッスン「ふりかえり」の導入となりました。

ふりかえりをすることで、問題があっている間違っているだけではなく、深く問題を理解することができること。そのためにも、次の3つの技術は大切です。

  1. 数値ややり方の確認すること(結果のふりかえり)
  2. とけたきっかけをふりかえること(プロセスのふりかえり)
  3. 他のやり方がないかたしかめること(よりよい解法へのふりかえり)

今回はこの3つの技を使って、ふりかえりをしてねと伝え、さっそく「パン焼き問題」の確認を。

子どもたちからのアイディアには3つでてきました。

  • あたまで考える作戦
  • 考えてためす作戦
  • かわりのもの作戦。

ここで「おはじき」は使えるかな?と僕から提案。ものを使う作戦はとてもいい。思考が活性化されます。ここでしっかりと押さえておきたい作戦の一つ。そして、もので置き換えるって、その子の「抽象度」する力が試されたりします。この抽象性の獲得は算数数学ならではのものですね。

ものをつかう作戦でおはじきは適切だったのか?

このおはじきがくせ者。普段使いしていないので、今回おはつのアイテムでした。おはじきを並び替えたい!おはじきの磁石で遊びたい!子どもたちが続出。どうしようかな?と考えながら教室をぐるぐるして、今度改めておはじきを使って遊ぶ時間をとることを確認してあげました。それでも、まだ夢中になってやっている子は止められない何かがあると思い、そっとしておきました笑。

そもそもおはじきって、使い方によってはとても便利だけど、使い慣れていないとなかなか不便。おはじきは裏返しても同じ色で今回のパン焼き問題では、扱いにくいよね。今回はなにが適していたんだろう? 表が黃色で裏が白の数ブロックだとよかったな。

子どもたちの様子を見る限りでは、今回は数学者ノートへのメモが難しそうでした。僕はてっきり、パンをイラストで表す図作戦のが出るかと思ったけど、なかなかそういう発想はなくて、式で表そうとして、さらにこんがらがってしまっていました。今回を機に、モノを使う作戦を自分の思考ツールとして練習していけるといいです。

誰と学ぶのか?

今日は、先週と異なり問題に没入するまで、少し時間がかかりました。もっとていねいに「わかっていること」や「もとめること」を具体的にトースターをみたててて、やってみせて確認してあげると、すぐに動けたのかもしれません。

これまでの3時間、一人でやっていた子が「移動してもいいの?」とききに来ていました。チャレンジバイチョイス。きっとこれまでの一人で考える時間から、少し変えてみようと思ったのかもしれません。その点では、気軽に「いっしょにやろー」と声を出せる子はいいなぁと思います。一方、友だちと一緒に勉強をやる・考えることのよさはどうなのか。わいわい遊びに夢中にならず「集中して取り組める環境作り」の練習が必要ですね。クラスの様子をみていると、一緒に問題を解いているメンバーもゆるやかに入れ替わっているのが、オモシロいなと思います。そして変わらない女子3人組も。

途中、答えの確認をしに他の子のノートを見に行っている子。こういうのはズルくていい。友だち関係をするりと越えていってくれるよい見本となります。

個別カンファランスへ少しずつ

これまで、全体の問題への取り組み具合や一人ひとりの学習の様子に目を向けていたけれど、今回から、個別カンファランスに入る意識を持つようにしました。これまで起こっていたような対話が単発にならないように気をつけて入ってみました。すると見えてくる景色が変わりますね。特に「式の意味」は直接子どもに聞いてみないと分からないことが多いです。これからも、ていねいに聞くようにしていこうと思います。

1枚ならその半分の1分間で焼ける?

ワークタイムから共有の時間へ、クラス全体で切り替えの時間、空気感が変わるまでじっくりと待てるといいです。ものをいじっていると集中して、聴き取ることができないので、落ち着くまで待つ時間はやっぱり大切。前にでてきて話している子の説明を聞いていない子が案外多い。でもそれって、先生が発表している子に夢中になってしまっているから、そうなってしまっていることも。自分も気をつけようっと。

ある子が前に出てきて「式が書ける」と

2+2=4

2−1=1  1+1=6 答え6分

という式を説明してくれました。

「なんで、1がでるの?」これにが質問がでました。

「2枚の(パンを)両方とも焼くのは4分でしょ」と、2枚で2分なんだから、1枚しかはいっていないトースターはその半分で1分でパンを焼けることとなるそうです。なるほどー。時代だなぁ。こういった昭和のトースター使わないと分からないのか。1枚約のも2枚焼くのも2分なのよ。問題の条件がかわっちゃう。。。

昭和のトースターの残念な所を説明しつつ、「分かっていること」に戻って説明し直した方がいいとなと逡巡していました。それでも、その瞬間、授業は流れて行ってしまう。こういうことってあるあるだなぁ。「2まいのパンのかためん、それぞれ2分で焼けるって書いてあるんだから」って僕に助け船を出してくれた子がいました。改めて【分かっていること】にこのトースター機能の再確認。ここは子どものつまずき予想ができなかったところ。少し考えれば予想がついたことだったのに、鈍ってるかも。

数学的説明には失敗OK

今回はこれまで経験したことのなかった図を用いての説明が難しい問題。そのため、しんどそう。メモしづらく、おはじきも使いこなしづらい。改めて「今日の作戦って?」と「かわりのもの作戦」につなげて考え直そうと修正を試みました。すると、子どもから「本をつかう」のアイディアがでました。さっそく同じ絵本を3冊用意して、いざ!問題の説明へ。と思ったのですが、前に出てきて説明する子が、なんとそのうち1冊をトースターにしようとし、さらに混乱を招きかねない事態が!

こういった子どもの説明が洗練されていない時間は特に大切です。算数数学は正解した道のりをスッキリと説明しようとするから、みんな正解した認められないと算数嫌いになっていくからです。こういう試行錯誤を励まし、支えてあげられる先生にならないといけません! けれどもこのとき僕はすでに共有の時間予定の5分間を大幅に過ぎて焦る気持ちとのせめぎ合いでした。

「この絵本はトースターにもパンにもなるそうです。どお?」と投げかけ直すと、「えー!(わかりにくい)」と、却下となりました。このとき、教師の僕がいいわるいを即座に判断せずに、一度、子どもたちに投げかけてみることができて本当によかった。これは簡単なようで、難しい。時間に追われているときはなおさらだし、教師が行きたい授業の方向が明確にあるとそういう寄り道のような時間のかかる対話や子どもの気づきで作り上げていくといった授業づくりがしづらい。ギリギリセーフだったかな。

算数の説明って、自信があってもなくても(今回はあったみたいだけれど、まちがっていただけのこと)考え中のアイディアをもってきて、みんなで考え合う学習コミュニティが大切と、再確認。

この子は結局、最後までこだわりがあり「トースターって問題文にも書いてあるから」と、絵本トースターを捨象できずにいました。他の子達からはいらないじゃんって声があったので改めてきいてみても「いると思う」っていうから、使うことに付き合ってみました。

8分間で納得してしまっている

実際に、前にでてきて絵本をパンと見立てて、やってもらいました。

2+2=4  2+2=4 4+4=8

8分で焼けるという子が案外多くいました。2分を焼くために、4回くりかえして、8分間でパンを焼くやり方。

共有の時間が始まってから、15分がいっきに過ぎてしまい、このときすでに他のクラスはランドセル背負ってうちのクラスの前に集まっていました。あちゃー。クラスのわんぱく坊主が「もう放課後(遊び)の時間じゃね?」とあおってきます。

1枚を抜いて入れ替えてパンを焼くことでできる6分の解答がでてきません。どうしよう。答え8で納得してしまっている子が多くいました。なぜだろう? こういうときこそ、「ふりかえり」の価値が増すとき!次回は、同じ問題の続きを遣ろうと思います。はてはて、どうやったら、1枚を取り除いて焼くと便利だと気付かせることができるのだろうか。「お客さんにあつあつのパンを食べてもらうにはどうしたらいい?」と投げかけるのはどうだろう?

数学者の時間⑦ ミニレッスン3 ふりかえりの計画

このコマのめあて

  • ふりかえり(その問題のふりかえり「数値ややり方、きっかけ、他のやり方」)のよさを知る。解けてしまえばもう「答えを知る」圧が抜けてしまう子が多いので、もう一度、問題解決のプロセスを見つめ直し、自分の思考したプロセス、その問題がもっている数学的構造をより理解する機会を設ける。
  • 答えをふりかえることのよさを実感できる解法が多様にある問題を用意する。(追記:解法を振り返る必要があるので、すぐに解けることが必要だった)

レディネス

  • 解けてしまうともう「答えを知る」圧力が抜けてしまう子が多い。
  • 解法の「きっかけ」をふりかえる事をあまりしていない。
  • モノを使って考える経験が少ないため、「使えそうなこと」に増やしていく。

「振り返り・共有」をミニレッスンの計画の前半にいれるのなら、3−1で、① 数、やり方はあっているか?② とけたきっかけは?③ 他のやり方はないか?まで行う。そして、3−2に④ にた問題づくりができそうか?⑤ 他の問題で、このやり方が使えそうかたしかめてみよう!に進む。3−3で、「共有の時間」といった流れにしたほうがスムーズになると考えた。このミニレッスンは、今後使っていけるものなので、じっくりと時間をかけたいところ。それにふさわしい問題を用意したい。

数学者の時間⑥ ミニレッスン2−1「1コマの使い方」

ワークショップ授業の1コマの使い方を説明しました。

①ミニレッスン(先生からのミニ授業/問題の確認や計画づくりのさわりなど)

②ワークタイム(解決への活動)

③共有と振り返り取り組みの内容によって、柔軟にどれかを省いたり、重点的に扱ったりします。


今回の問題は「お札の上にコイン問題」。前回は数と計算領域から扱ったので、今回は発想を変える問題。つまり、始めに思ったやり方では通用しない問題。だからこそ、実際に体験してみる、やってみることが大切な「ハンズオン」の問題。手を使うことで、思考が活性化されるので、ものをつかうことは「マインズオン」マスになっていくんでしょうね。


今回は、問題の選択と子どもたちの実態がフィット。この半年の中で2年生の子供たちにフィットした授業づくりができるようになったなと思える授業でした。きっとこの一年間を振り返った時、もちろんもっと改善点や反省点はあるけれど、いい授業だったなぁと思える授業の一つでした。


何よりも僕も楽しかった。子どもたちが夢中になって試行錯誤しているその空気を一緒にいること。僕がワークショップ授業にこだわってきたのは、こういう時間を一緒にすごすことだったのかもしれません。先生やっていて、考えることを一緒に楽しむそのときでした。


自分の授業を振り返っていると、細かい点は毎回出てくるけれど、それをしらみ潰しにしていくといい授業にたどり着くのかというわけではなさそうです。きっと授業の押さえどころは、思考を活性化させる「挑発的な課題」だったのかもしれない。エビデンスでもそうであるように。

すぐに答えが出てしまう問題

コップの縁と底では太さが違うんですよね。そして、2年生の子どもの拳だとあんがい狭い!そんな予想が事前にふっと思いはよぎったけれど、流してしまいました。すると、「できた!」ってすぐに解決してしまうことが起こりました。このとき、無理に修正しなくてよかったです。「なるほどー」と聞いてみると、その子は納得していない様子で、もっとより良い方法の模索(より頑丈な紙の橋)に進んでいました。答えが出ると安心するんでしょうね。解きやすく、多様な解答方法があること、こういったことも良問の要素の一つなのかもしれません。


わかっていること(知っていること)の条件文を変えて問題解決をしようとする子

もちろん問題条件に戻って再確認をしました。けれども、そういった自分なりの問題から逸脱した試行錯誤は、後々解決方法に生きてくるかも知れない可能性は十分にあります。それも認めつつ、「今のわかっていること(問題条件)でクリア出来たら、次をやってみるといいよ」ぐらいが、妥当なのかもしれません。

単発の量的なやりとりは活性化をもたらすけど深まらない

自分のクセとして子どもとの対話が単発になりがちワークタイム中は、いろんな子が話しかけてきてくれます。とけたとき、悩んでいるとき、様々。一方、僕はクラス全体の様子を知りたい。個別のカンファはもっと先かと判断しているのに。こういったとき、単発になりがちなのは仕方ないのだろうか。本来なら、もっとじっくりと対話を続けて、いって子どものアイディアを深めていけるチャンスが埋もれてしまっているかもしれない。どうしたものだろう。

この授業では、ワークショップ授業の流れを知ることだったけど、何か賢くなったかというとそういう授業ではなかったかな。考えて満足したって時間でした。授業終わった後、「今日の授業はすごい面白かった。家でもやってみようかな」と、のこりの札束を持ってけって行きました。今朝、「イガせん、(100円玉より重い)500円玉のでもできたよ。千円札って紙よりも固いから遣りやすいんだね」と、なかなかマニアックな報告をしてくれました。この子は、「使えそうな作戦」を出し合ったとき「考えてやってみる作戦」を出してくれた子でした。きっと彼は今後、じっさいにいろいろと手を動かして学んでいく学習スタイルを茫洋と持っているんだろうなと感じさせてくれました。


次の展開は、ある少年が「お札1枚と100円玉5枚でも(橋が)できた!」という子どもの問題ですすめるか、それとも次のミニレッスンに進むか悩むところです。


振り返りを動画でもう一度見直してみること。そこで気付かされる事実がたくさんありますね。子どもたちが実はいろいろと面白いことをやって輝いている。案外、見落としていることがおおく、みたい物しか見えていない自分がいることに気付きました。しばらく、自分の授業とじっくりと付き合っていこうと思います。