昨日、遠足で都内へ山登りに行ってきました。そのとき、心肺停止で倒れていた方と偶然居合わせ、その場で救急救命を行いました。遠足の引率というプログラムが進行しつつ救急救命を実施したその状況は、今後、同じ状況に遭遇するかも知れない教員のみなさんに、少しでも心づもりやその対応に役に立つのではないかと思い、備忘の意味を込めて書き記してみます。

もし、人が倒れている現場に遭遇したら、本当に自分は対応できるのでしょうか。救急救命が必要な場に偶然に居合わせた人のことをバイスタンダーというそうです。予期しようとしまいが、誰もがバイスタンダーとなりえます。僕はちょうど、遠足で子どもたちの引率しているときのことでした。

5年生を担任し、超多忙な日々の行事をこなし、ようやく月末の遠足にたどり着きました。今年は都内近郊の登山。コロナ対応でそれほど目くじらたてることなく、昨年よりはスムーズにルートの下見もできました。今回は、グループチャレンジ。6人グループで約3時間、山頂にいってきて折り返しの広場で落ち合うことになっています。子どもたちにとっても、大きな挑戦。もちろん、迷子にならないように木道を歩けば、必ず山頂にたどり着けるルートにしました。それでもお弁当を食べ、途中でおやつも食べながらの3時間は、なかなかのチャレンジ。支援員が今年は学年を補佐してくれているため、引率する教員も通常よりも一人多く割り当ててもらっています。その先生方を、途中の分岐点やチェックポイントに配置し、そこで記念写真をそれぞれ撮りながら山登りをする、そんなプログラムでした。

途中、ケーブルカーを使って一気に班行動のスタート地点へ。僕はいよいよグループチャレンジにのぞむ子どもたちに最後の確認事項を告げ、出発係の先生にその場を任せ、先にチェックポイントに出発している先生たちを一人で追いかけていきました。午前10時10分ごろのこと。途中、二人の先生にそれぞれあいさつをし、最後、展望台で待っているA先生に巻き道を通ってあいさつしに行ってから、そのまま山頂の待ち合わせ場所「なめこ汁の看板」下で、持ってきたバーナーでカレーでも温め食べていようと思っていました。

すると、展望台へかけ登る斜面に、登山客とみられる男性が倒れていました。遠巻きに一人年配の男性Bさんが一人。展望台にはほんの数人いたかどうか。ちょうど道をふさぐように両手をあげて仰向けに倒れていたので、近づき「大丈夫ですか?」と声をかけても、男性は宙をみて微動だにしませんでした。60〜70歳ぐらいの男性で、口に耳を近づけてみると呼吸も胸の動きもありませんでした。意識もなく、呼吸もなければ心肺停止。とっさにそう判断し、すぐに胸骨圧迫、心臓マッサージをしました。ちょうどザックが背中でマクラ代わりになり体が水平になっていたので、あごだけ上にし、気道を確保しました。

このちょうど1週間程前、水泳学習に向けた心肺蘇生法の救急救命講習を本校に消防職員を招いて研修したばかり。コロナのこともありかなり簡略化されていましたが(感染予防のため人工呼吸はしなくてよい)、さすがに今年で僕も20回以上。それでも、やっておいて良かった。動揺することなくスムーズに動けたのはそのおかげにちがいありません。そして最近、読みなおしていた名作「岳(山岳漫画)」のおかげでもあります。実際に自分はその場面に遭遇したら本当に動けるのか、こっそりシュミレーションしていたばかりのことでした。

遠巻きに見ていた年配の人Bさんに「119番に電話してください」とお願いすると、「さきほど、電話しました」と心配そうに遠目から近寄れないで見守っているようです。知人ではないようでした。心臓マッサージを続けながら「山頂のビジターセンターにAEDがあるはず」と思い、そこにも電話してもらうように声かけると、「電話が話中でつながりません。。。」と。この間、1〜2分か。

ちょうどこの日は、本校の4年生も同じ山に歩きに来ていたことを思い出し、4年が下から登ってきているので、連絡すればちょうど今はビジターセンター当たりにいるはず」と思い、心配しながら近くを通りかかった登山客の年配の女性の方Cさんに心臓マッサージを代わってもらい、トランシーバーのチャンネルを1にして、呼びかけました。

ちょうど2〜3日前に「トランシーバーもってくでしょ」と学年の先生が前日に充電してくれ、チャンネルも5年が「3」で4年が「1」ね。何かあったら連絡取れるようにしようと渡してくれていました。4年生の担任に呼びかけ「救急救命中で、近くにいればビジターセンターに連絡してください」とお願いした瞬間、Bさんが「ビジターセンターに連絡とれました!AEDがない(そんなことあるか?確かにそう言われた)けど、救急救命が出動しているからそのほうが速いですといわれました」とのこと。確かに、山頂のビジターセンターから展望台までは歩いて30分程度はかかってしまう。4年の先生には「ビジターセンターとは連絡とれました。また何かあったら連絡します」と切り、チャンネルを元に戻し「心肺蘇生中なので子どもたちを近づけないで、直線で山頂をめざすように指示してください。展望台のA先生を僕の代わりに山頂待機に変わってもらいます。途中の広場で待機している先生(トランシーバーを持っているのは専任3人のみ)に連絡してください」と、すぐさまA先生を頂上に行ってもらい、子どもたちと現場の鉢合わせも回避しました。振り返ってみると、こういうスムーズに連携がとれる学年の先生たちの臨機応変できる対応がさらなる被害や二次災害を最小に防げたと思います。

年配のCさんも疲れている様子だったので(心臓マッサージは1分本気でやるだけでかなりの疲労が)、そこまでザックを背負っていたことを思い出し脇道に放り投げ、また心臓マッサージに戻りました。ここまでで要救助者に遭遇してから3〜5分たったか。それでも遠巻きにみていたBさんは「119に連絡したのは20分ほど前なんです」と。20分。ちょうど手当をしないで助かる可能性が0%に限りなく近い時間。そのときは夢中だったので、それでもマッサージは続けました。後に調べたところによると、もしすぐに救命措置をしたとしても20分では生存の可能性は10%にしかなりません。そのときは、そんなことまでは考えていませんでしたが、20分が生存の可能性の分かれ目ということはなんとなく覚えていました。

Cさんが、要救助者の胸のホルダーと腰ベルト、ズボンベルトを緩めてくれました。改めて軌道確保を。胸骨圧迫のたびに、のどの奥からシュコー、シュコーと肺もおされて空気が出る音がしました。何度かCさんが「だいじょぶですか!」と呼びかけましたが、目はうつろで宙を見て、よくみると瞳孔が開いていました。僕は(もう、むずかしいかもな)と案外、冷静に客観的になっていて、マッサージを続けました。「私に何かできますか?」と声をかけてきてくださった女性の方に、「こっちに登らないように下の分岐点で止めてください」とお願いしました。ここまで約15分くらい経過。

すると、遠くの方から赤いヘリコプターが近づいてきました。Bさんが手を振って合図をすると、しばらく空中で待機し、救急隊員2名がワイヤーで降りてきました。僕はヘリの風圧で目を開けることもできず、口はマスクでなんとか息をすることができる程度でした。ホッとしたのも束の間、「マッサージつづけてください」と指示。すばやくAEDを準備し、指示されてCさんが上半身を脱がせながら、パッドを的確にはりAEDが心臓をチェック。同時に「通報してから20分が経ち、僕が心マ(なんでかっこつけてシンマなんて言っちゃったんだろう)はじめて12〜3分がたちましたが意識はありません」と報告。対処が的確だったのか心マと言ってしまったからなのか「医者のかたですか?」と聞かれ、「いえ、教員です。引率できたところたまたま遭遇しまいた」とマッサージを続けました。

そしてAEDの「ハナレテクダサイ」の合図で、電気ショック1回目。要救助者はつま先からビクッとなり、「マッサージつづけて」と言われそのまま継続を。またCさんがマッサージを変わってくれ、その合間にもう一度トランシーバーで救急隊が来たことを先生達へ告げ、子どもたちの対応の確認を。学年の先生のおかげで子どもたちはトラブルなく移動していることもわかりました。こういうとき、携帯よりもトランシーバーの即時性がとても有効でした。

しばらくは機械音と遠目にヘリの音だけが聞こえました。隊員から名前と住所、電話番号を聞かれたた後、心臓マッサージを交代。(きっとあばら骨折ってしまっているかも)そう思いながらも、なんとか戻ってきて欲しい一心で続けました。長く感じた2〜3分後、2回目の電気ショック。と、同時にヘリに収容するため担架に包み、また当たりにヘリの騒音と共に要救助者と隊員1名が挙がっていきました。残りの隊員はその老人の荷物とストックなど、「何かありましたら連絡します」とビレイにワイヤーロープをひっかけ、さっそうと空に登っていきました。10分いたかいないかぐらいでした。最後に、そのおじいちゃんの顔をみましたが、変わらず目は見開いたまま。きっと心臓発作だと思う。なんとか(意識が)もどってきてほしい、ただそれだけでした。

それにしても、遠巻きにスマホを撮っているやからには、なにか嫌悪感がのこりました。自分にできることを考え、行動すべきです。それはスマホではありません。Bさんはしきりに「何もできずにすみません」と言っていましたが、隊員は「しかたのないことですよ」と、優しく声をかけていました。決して責められないことですが、もしBさんが心肺蘇生をしていたら、生存の可能性は少しでもあったのではないかと思ってしまう自分もいました。

ヘリが去った瞬間、藪のなかから地上部隊の隊員が3人、駆けてきました。大きなリュックにいろんな機材が入っているようで、息をはぁはぁさせながら「救助者は?」と聞かれ「ちょうど今、ヘリで」と告げました。改めて、現場に検証、どのように倒れていたのか、服装など確認され、僕、Bさん、Cさんの名前、住所、電話番を知らせてその場が終わりました。「どこから登ってこられたんですか?」僕の問いに、「直登してきました。そのほうが速いので」とナルゲンボトルの水をがぶりとさわやかに飲んで答えてくれました。かっこいいなぁ。

と、我に返り、頂上にいるA先生の元にもどることをトランシーバーで連絡し、4年生の先生にもヘリで搬送されたことを伝えました。午前10時45分ぐらいだったか。偶然居合わせた数人での救急救命。瞬時に役割に分かれこなし、そしてできることをできるだけやったらまた散っていく。日本ってすばらしいよ。ほんと。そして、山を登るときはお互い様なんだなぁとじんわりしました。そこから一人、とぼとぼとA先生が待っている頂上を目指して歩く道々はなんとも足取りが重く、ずっしりするものでした。自分にできることは何か他にあったのか。もし、元気になってくれたら「岳」の三歩さんが言うように、また山に帰ってきてほしいなと素直に思いました。幸いにも、子どもたちは大きなケガすることなく(川の水をがぶ飲みするやつがいたぐらい)、無事に遠足を終えることができました。

春の木道にはシャガが美しく咲き乱れていました。シャガの花はたった一日の命だそうです。

AEDの操作は隊員がやってくれ、Bさんが電話を、Cさんと僕は胸骨圧迫に専念することができました。いつなんどき、自分がバイスタンダーになるかもしれませんし、もしかしたら、自分が倒れることだってあるかもしれません。そのために思いつくできる限りの準備をすること、繰り返し行われる救急救命講習に参加すること、いつでも助け合おうとすること、自分にできることを勇気を持って声をかけること、それにこしたことはないでしょう。これを読まれることで、少しでもご自身の中にシュミレーションができれば幸いです。1つでも山の事故、遠足の事故をなくしたいと願っています。

子どもたちと一緒にお弁当を食べ、山頂の人混みにもまれながらおしゃべりしていると少しだけ気がはれました。やっぱり学校ってえいいなぁと思うのです。いろんな気もちをかかえながらも、癒やしてもらっている実感がしました。そして、夜、疲れをとろうと大衆温泉につかっていたら、前から苦境な肉体をした外国人が僕のとなりに座りました。見たことあるぞ! あのバスケ界MVP優勝請負人のセバスチャン・サイズ! おもわず声をかけてしまいました。先週末のタフな延長線ゲームのこと、いつでも渋谷にもどってきてほしいこと、気付いたら、名前も聞かれ、すごい角度で肘の挙がった握手もしました。手、まじデカかった。オフなのであまり話しかけては悪いと思い、しばらく横でほくほくあたたまりました。