PBLや探究のもつ、子どもたちのあの「わっ」とした学びの雰囲気がとても好きです。教室内が騒然となり、それぞれが夢中に自由勝手のように学んでいる。でも、そこには教師の見通しと支えがある。子どもたちにとって、「今日もあの勉強がある!」と楽しみにしている授業。

でも。。。

ここ数年、そういう学びが本当に「深く」学べているのか? 授業へ取り組んできて、そんなふりかえりが度々生まれます。悩みながら取り組みつつも、ようやく一つ、自分の中で納得のいくやり方のようなものが、プッと見えてきました。プッとです。

一言でいうと、教材への深い愛。。。そうなんだ、きっと愛なんです。まるでなにかの歌詞のようですが。

この3学期、「数学者の時間」の総まとめとして、探究算数を進めています。それを算数アドベンチャーと呼び、子どもたちの探究をていねいに支えていこうと取り組み始めたところ。この探究算数がなかなかのくせもので、一体「なに」をテーマにして探究し、深く学ぶのか? その子どもたちが学ぶべき「なに」をどう設定して、扱うのかが、かなりむずかしい。それまでは、学級づくりや協同学習のスキルを練習してさえすれば、子どもたちは一人ひとりが夢中になってがんがん学んでいくんだろう、なーんとなく考えてしまっていました。探究という名の放任のようなものです。それが、それなりにうまくいってしまっていたので、なーんとくしか考えられなかったんですね。教師の力量と探究で扱えるテーマは比例する!?(比例関係は2倍、3倍したら、一方も2倍、3倍することをいうので数学的には正確な表現ではないですねー)。

数年前に、一人ひとりが探究のテーマをもって、数学者学会発表する形式はやったことがあります。あのときの3年生の子どもたちの発想は本当におもしろかったです。

「自分だけのオリジナルの角度づくり」
「教室内に描ける最大円の半径とは」
「地球は何回まわって何秒前にできたのか」
「新しいかけ算の筆算の仕方」など。

こっちも頭をひねりながら、試行錯誤の3学期間でした。

一人1テーマの探究算数だと、さすがに多過ぎ! 当時は、一人ひとりをカンファランスしきれませんでした。数学者の時間の研究仲間たちからも意見があって、「クラスでこれまで学んできた単元から2テーマ」が妥当ではないか? と議論を重ねてきました。そこから、いつかは「年間を通した、一人ひとりがそれぞれの問いを追求する探究算数」をやりたい! そこにつながる学習のステップはなんだろう? 教師がどういうことを身につけていけばいいのだろう? 全く未知の領域でした。  

一方、昨年の3年生では、クラス全員で「数字をつくろう」をやりました。全員が同じテーマ「数字の歴史」でオリジナル数字をつくることで、探究の素地を耕してきました。あのオリジナル数字づくりがうまくいったのは「教師が教えることの焦点化」が、できていたことにつきます。

どういうことかというと、探究算数で扱う教材テーマを「数字の歴史」にしぼりました。そのテーマ関連で子どもたちに示すよい絵本をなかなか見つけられず、自分でつくってみたのですが、今となっては、それが一番といっていいほどの教材研究でした。教えることを「数字の歴史」に絞ったからこそ、安心して集中して教材づくりができました。授業の中で見せる子どもたちの間違いや戸惑いをいかしながらも、十進位取り法のよさや、0の発見のすばらしさにつなげるミニレッスンがつくれました。また、それを補う何を個別に関わったらよいのかの明確なカンファランスができてきました。結果、教材への圧倒的な知識量や理解が自分の中に自信となって下支えしてくれ、授業の中で子どもたちの不確実な発言もどーんと対応できたのだと思うのです。ここまで、「学び方」を追求してきて僕にとっては、「教材を絞り、教師がまず深く知ること」がバランスをとってくれる最後のワンピースを見つけた思いでした。

今年は持ち上がり学年なので、クラス全員で1テーマから、一歩でもステップアップしたい。それには先ほどの「教材愛」が欠かせないんです。そういうことが、自分の力量とやりたい授業の開放度と関連しながら分かってきました。残念ながら、ひとっとびに教師は成長しないってことですね。僕にかぎってのことかもしれませんが。。。

もう何年もまえのこと。総合的な学習の時間で「環境」で8グループの8つのテーマで探究学習に取り組みました。あのときは、パンクしました。ぼくからのカンファランスの手が足りずに、ネコの子も借りたい状態でした。実際、英語支援員さんとかにも、教室に入ってもらって子どもの相談に一緒にのってもらっていたほど。でも、当時の僕は、カンファランスで「どうにかしよう」と思っていたんですね。でも、そうじゃなかったんです。探究テーマって、その場しのぎのカンファランスではなんともならない。残念。でもこれ事実。大事なことなので、もう一度書きます。個別指導や個別のグループ相談したところで、探究が進むかといったらそうじゃないんです。今風に言えば、カリキュラムデザインです。ひらたく言えば、学習者が学ぶことの単元計画への綿密な準備です。

あの当時は、メンバーの組み合わせと、子どもたちの潜在能力の高さ、さらには各テーマが面白かったせいもあり「たまたま」うまくいってしまいました。だからこそ、ここに気づけませんでした。あのとき大事だったこと、それは、8テーマのそれぞれをしっかりと教師が「見通し」をもっていることだったんです。

それを「数字をつくろう」をじっくりと教材化することで、分かってきました。つまり、教師があるテーマを教材として扱うとき、「この単元でこんな力を身につけてほしいし、その証拠をものづくりで示してほしいぞ」「学習のスタート場面では子どもたちはこうなるだろうな」「中だるみしがちな中盤では、こんなつまずきにスタックしそうだ」「学習のまとめのころにはこういうことができるだろうな」「こんな基礎知識をもっていたら、飛躍するだろうな」などといった、そのテーマの明確な見通しがなければいけなかったんですね。

あたりまえっちゃあたりまえでした。

これを、協働学習を生業とする教師は、メンバーの組み合わせと場づくりでなんとかしてしまうしできてしまうから、教材を愛し興味を持って教師自身が探究し続けること、そのことが見えにくくなっていたんだと思います。

探究学習ってなんか、すごい盛り上がるし、勝手にがしがし子どもたちが学習を進めていってしまう! なんてところについ目がいってしまいがちです。本当にそこで好奇心をもって、学んでいるその「何か」を教師が各テーマごとに準備できていると、もっともっと深く学べるはずなのに。

そういうことなんですよ。

アクティブラーニングとか、協働学習、個別学習とか「教え方」とか「学び方」に夢中になっているときは、とくに気をつけた方がいいです。教材への洞察が浅いと、学びはあっさり薄口さっぱり風味になってしまいます。すると、なんのために仲間の力を使って学び合うのか、構成主義の学びのよさとは一体なんだったのかが、見えにくくなってしまいます。学びを通して、その算数のもつ本質を味わいたいですよ!

自分の得意とする教材を生み出すことです。それを繰り返し磨いて自分の必殺技にしていくことです。PAのアクティビティでいったら、僕にとってはパイプラインのようなもの。先に挙げた「数字をつくろう」のようなもの。これさえあれば教師に見通しもあって、子どもたちは夢中になって好奇心を発揮し、学びが深まっていくっってものを確信。

そこで今回、僕は算数アドベンチャーは、ちょっとだけ背伸びして8テーマにしてみました。
角、平面図形、しきつめ、対称、平行と垂直、音楽、円、点と線
おもしろそうでしょ! 確実におもしろくなります。

これはとこの2年間で学んできた単元をより深めるためと、日頃の自学ノートからくる子どもたちの興味関心、そして、この8つのテーマなら、僕も図書資料も合わせながら、なんとかたえうるから。さらに、僕自身が教科の本質を追究していきたい気持ちだからです。

こういった、紆余曲折があって、各テーマをくしざす今回の大テーマである「算数の美しさとは?」にたどり着けました。