探究自学ノート「質問づくり」から知りたいことを

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はっぱって、どうしてきせつごとにかわるんだろう? よそう。もしかして、おこりっぽくなったり、なきむしになったりしているのかな〜?

どうしてはっぱって、しゅるいによってかたちがちがうのかな? よそう。なかまがどれか、わかるように?”

子どもたちの質問に予想を書くことで、その問いがどこからくるのか、その子の中にある物語やアニミズムの世界に、少し触れることができた気がしました。

教室で探究自学ノートづくりを進めています。「知っていること」をクモの巣マップで出し合ったので、今度は「知りたいこと」に向けて質問づくりをしました。以下の本を参考に。

この手順で進めていくと、すぐに答えの出るクローズな問いとすぐに答えはだせない・もしくはないかもしれないオープンな問いとの仕分けが出てきます。けど、その問いの仕分けって2年生にはちょっとまだ早すぎると考えました。子どもたちは純粋に、オープンだろうが、クローズだろうが、どっちも知りたい。クローズな問いを見つけるる経験が積み重なっていく打ちに、「こんな問いはツマラン」と気付いて少しずつ、「答えのない問い」へ魅了されていけばいいんじゃないかなぁと思います。

ここで僕がこだわったのは、本にはないけれども「予想」を書き出すこと。見方を変えれば、数学的思考ではこれは決定的に重要なこと。そもそも予想は言葉で捕まえられれば、もう大収穫!この辺りはまたじっくりと「数学者の時間」で語りたい。子どもたちの予想は、きっとこの後の答えを見つけた、見つけられなかったとき、そのギャップに自分の考えに当たりをつけていくように、自己修正する練習にもなりそうです。

子どもたちの様子をみていると、質問を見開き2ページを目安に書き始めました。2つの子もいますし、12個書き出せる子もいます。今は個々での取り組みなので(グループワークで質問出し合ったりはしていません)、差があってもいいと思っていました。それでも、やってみると「質問の数ではないな」と思い直せました。

少ない問いにも、なにかキラリと光るようないいものがあります。いい問いってなんなんでしょうね? 僕は子どもらしい、その子の知りたいことが素直にでてくるものなら、なんでもいいなと思うのです。知りたい対象に働きかけがありそうな問い、調べてみたら驚くようなことが待っているかもしれない。どれも小さな冒険であり、探究の入り口。知りたいことがあるってわくわくすること。

いくつか質問をつくってみて、クラス全体で共有してみました。すると問いのキーワードが浮かび上がってきました。「どうして」「なぜ」「名前のゆらいは」「色」「かず」「たべもの」「すみか」など、問い作りのパーツが集まりました。こういったことを整理して、教室に掲示しておくと、また次のテーマで質問づくりをしたとき、もっと多様な視点での問いづくりが練習できそうです。こういう気づきがうまれるのは、低学年の担任のよさでもありますね。

探究自学ノートでは、こちらから「学習のネタ」を用意することはやめることにしました。いろんなテーマは考えてはいたのですが。そのかわりといってはなんですが、その子の興味関心のあることで勝負をしようと決めました。その子の視点や興味をおもしろがったり、一緒に考え、なにか作ったりおもしろそうなこと、やれそうなことを提案していける、そんな個別カンファランスに舵をきっていこうと思います。

人が学ぶとき、楽しいときって「与えられた何か」ではなく「自分だけのもの」を見つけたり、夢中になっているときなんじゃないかな。「そこにオーナーシップはあるんか?」「女将さん!」と、なにか大切なものは忘れちゃいけないと思いました。

それはオトナも一緒。まず、こういったなにか夢中になる体験をオトナもしないといけないな、と思うのです。その楽しさや難しさを経験していないで、手順書のように学びや遊びをガイドすることはできないはずです。

この休校中は、探究自学ノートづくりの研究を2シーズンにわたって協同研究してきました。これまで教材を準備することに重きをおいてきましたが、心機一転、ちょっとベクトルを変えてみようとチャレンジしてみます。これからは「その人の中にあるなにか」から、遊ぶように学ぶタネを見つけ、いっしょに育てていこうと。言葉にするととても美しくなっちゃう笑。けれど、かなりしんどいことだと予想しています。

そして、夏休み前の今、オンラインでも全国の先生達とも探究自学ノートづくりシーズン3に着手しました。おかげさまでコアメンバーは一日待たずに満席。あざっす。オブザーバーの募集を始めました。また、熱いメンバーが金曜日の深夜のzoomに集まることでしょう。2ヶ月の間、もがいていこうと思います。みんなでモガッキーになります。

もがくこと。それは脳の発達にはとても効果的だと脳科学でも証明されています。僕が今、受講しているスタンフォードの数学オンラインコースでも、度々、紹介されています。失敗することや、できないこと、わからないでもがき続けることこそ、脳に効果的なんだとか。もがきのないスルスルとした(繰り返しのパターン計算練習のような)学習だけでは、せっかくつながった神経細胞のルートも消失するようです。

この本に出会って(特に、母親の癌を克服するために娘が親身になって調査するモガキのエピイソードは必見)、理解することにはモガッキーになることが必要だと分かってきました。それまでは、どこか避けてきたところがあったのに! 

とはいうものの、こういった脳科学で証明されていてもそのモガキからの脳みそ成長は「実感」が伴いません。エビデンスを示されたところで「よし!ナイスな情報!明日からはもがきまくるぞ!オイラのなまえはモガキじゃ!」とはなかなかなれません。どこか懐疑的な自分がまだいます。

この科学的な根拠と自分の実感との穴埋めはやはり慎重でないといけない。エビデンス・リテラシー向上にむけ「疑いを持ってリソースにあたってみる」と現在、研究中です。このあたりは、LAFTの勉強会で、一度、エビデンスにじっくりとっくんでみたので、その組み手がわかってきました。

少しずつ、僕の中で、まわりでも、学びのスイッチが起動しはじめました。この夏休み、大切にすごして、深く学んでいこうと思います。ちなみに僕の個人的なテーマは「2−3ゾーンディフェンスの理論と実践」ですから!マニアックー!

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