2021年 9月 の投稿一覧

しぜん広場から学んだこと

いよいよ分散登校も終わり、今日から学級全員、一同に介して顔合わせができた。今学期はじめてのこと。子どもたちもワクワクしていた気持ちと緊張の半分だったと、今日のふりかえりで教えてくれた。

さっそくいつものように、みんなでしぜん広場へ遊びに行った。ターザンロープにゆられ「イガせん、押して、押して」とせがんでくるので、大人の本気を教えるべく、おもいっきり押し上げた。その勢いで、大きくゆれたブランコとその子は樹木にまで足が届き、驚きながら大笑いをした。

そして「なんか甘いいい匂いがするね」と。ふんわりとやわらかい香りが漂ってきた。先週末のターザンブランコでは、まだその樹木は深緑色の葉っぱだったが、今朝はキレイなオレンジ色の花をつけていた。この週末で一気にキンモクセイの花が開花したのだ。遠目に校長先生がこっちを向いて笑って、写真を撮っていた。

この1年半は何か新しい教育実践がなかなかできていない。勤める学校は首都圏ということもあり、通勤、通学の蜜を避けるため、時差登校を続けている。そのため、これまであった潤沢な授業実践の時間も、なかなか確保されないでいる。しかしその中でも細々と1年以上取り組んできていることがり、それが毎朝のしぜん広場の時間。

こんな都会の小さなしぜん広場でも、四季折々の変化を五感を通して充分に感じられることを知った。これまで本で読んで分かって気になっていたことが、経験を通して初めてわかることが多い。

学生時代の子どもたちとのキャンプ経験をいかし、元はといえば自然教育をやりたかった。教員一年目は「県で自然豊かな秩父の奥地に勤務したい」と希望していたことを思い出した。しかし「本当に自然教育が必要なのは都市部ではないのか」と、なんなく面接担当者に諭され、しぶしぶと都会の学校に勤務することに。と、思いきや幸運なことに配属されたのは、その中でも学区には信号一つ(しかも歩行者信号!)の小規模校だった。校舎は田んぼの真ん中にあり、田植えの時期になると、カエルの合唱が深夜まで聞こえてきた。今でもカエルの鳴き声を聞くと、教室の窓を開けて(扇風機さえなかった)、授業準備と奮闘していたあの頃を思い出す。

しぜん広場の子どもたちは、池で泳いでいる小さなカエルたちを小さな手で捕まえるのに夢中。「手がぬるぬる」と嬉しそうに見せてくれる。「つかまえたけど、足が曲がった」と、池に逃がしてあげるとカエルは白い腹を上にして沈んでいった。ぬるぬるや繊細さ、こういう自然を普通に味わうことを大事にして行けたらいいなと思う。

将来に必要なあのコンピテンシーやあのスキルを磨くためといった、アプローチとは異なるかもしれない。けれども、自然に思いを向けたり、感じたり、今しか学べないこと、その根っこの部分を大切にしていきたい。コロナ禍により、世間がオンライン授業やGIGAスクール祭り盛り上がっている中、少しスピードを落として、こういった豊かな時間を子どもたちと味わうことを忘れないようにしよう。

子どもたちの中には「しぜん広場に毎日行くのはいいとしても、雨の日にもどうしていくのよ! 晴れの日だけでもいいでしょ」と詰問してくる子もいる。クラスのみんなに同じ事を問い返してみると「雨だともっと楽しいじゃん。さぁ行こう」と勢いづくのが、この1年間の成果だと自負したい。

先週は雨が多かったので、傘をさして行くことに。まだ着替えも持ってきてないから、そんなに汚すなよって言ったけど、無理。築山のぬかるみでさっそく転び、背中とお尻が泥だらけ。池の中に両足を突っ込んで、今がシャッターチャンスだと写真を催促する子もいた。そしてその横で傘をさして、それを楽しそうに見ている子たちもいる。それでいいと思う。

しぜん広場から学んだことなんて何もないかもしれないけど、たくさんありそうだ。

パスタが好きでたまらない

たまにある土曜出勤。学校説明会のオンライン個別相談をした。画面をずっと見ながらだったためか、午後にはもう前頭葉が痛みを訴えていた。

夜は、妻が予約してくれたイタリア料理店「LA BETTOLA da Ochiai(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ)」で食事した。普段はなかなか予約の取れないお店だが、コロナ禍でもあり比較的自由がきくため、定期的に通わせてもらっている。

雨の降りしきる銀座。どこも感染対象対策がなされているが、妻と食事をしていることがこっそりと密会をしている気分で、どこか悪いことをしているような気分にもなる。とはいうものの、目の前に美味しいそうなチーズとトマトソースパスタがくれば、そういう気持ちはすっかり晴れてしまう。

イタリアンが好きな僕は、敬愛する落合シェフの味に近づくように日、ここで食べたもの五感とコスモをフル活用してその場ですぐさま長期記憶インプットし、自宅に帰っても調理できないか、常に試行錯誤している(からすみパスタ、ウニクリームパスタは家でもなかなか好評)。そして、この本には本当に学ばせてもらっていて、今の僕の食人生に豊かさを与えてくれたきっかけとなっている。

僕は凝り性なところがあり、他の落合本のおかげで、自分でも納得のいくトマトソースパスタもそれなりにつくれるようになってきた。

そして、僕にそのパスタ道の道を開いてくれたのは川越のピザ屋 Pizzeria PINOの店長さん。毎週木曜日にしつこいほど通わせてもらっていた。週の半ばのこの息抜きが本当に好きだった。この時代、驚くほどの「塩対応の人」だが、実は娘思いの本当にいい人でしかない。川越から引っ越すときには、パスタ用にアルミフライパンをプレゼントしてくれた。パスタ料理のイロハについて口伝式で繰り返し教わった。文字通りおいしいパスタもこっそりと作って味見もさせてくれた。

こういう本からの学び、実体験と、そして実際の試合(料理して食すこと)があるから、もっとおいしいパスタをつくりたいと思う。そして、また国際試合しにイタリアへ行きたい。

僕が人生で食べた一番おいしいかったパスタは、ローマの下町店で食べた「アマトリチャーナ(塩漬け豚のパンチェッタと羊のペコリーノチーズをあわせたトマトソースパスタ)」。あまりにもおいしくて、しばらくはこれしかつくらなかったら、パンチェッタの匂いをかぐだけでさすがにいやになった。笑。

食したその日にイタリア友人宅にて再現。イタリア人に食べてもらって寸評をもらったが、彼らはパスタを心から愛しているので快く受け入れてくれた。

大切な人にちゃんと別れを伝えたい

僕はこのコロナ禍において、人生の師と仰いでいた大切な人を失くしている。コロナの時期とあって、葬式は家族葬だったため弔問することはできなかった。別れを告げられず、心の中でまだずっと悲しみを引きずってしまっている。

その方が亡くなったことは、スーパーの買い物帰りの小雨降る中で知らされた。当時、同じようにお世話になった仲間から電話で亡くなったことが告げられた。せめてお悔やみだけでもとご家族へ電話をした時には涙が止まらなくなってしまった。不思議なことに、いつもは座布団の上で寝ている愛猫ニャオタローがその時ばかりは僕の横にそっと付き合ってくれていた。

数え上げるときりもないほど僕の中にその方の魂や言葉、宿っている。そして、いたずらな一面さえも。その中でも特に僕にとって一番大切なことをここに改めて残したい。

当時僕は、教育相談室で働いていた。1日の出来事を思いつくまま記述し、毎日カウンセラーのボスであるその方と、一日に起こったことをボスの見取りで解釈し直す日々だった。不登校や学校不適応の子ども達は「やりたくない」「めんどくさい」といった無気力で批判的な言葉が多い。しかし、実は本当は「やってみたい」といったまだ身体と心が整っていないアンビバレンツな心情であることを、繰り返しどのケースでも教えてくれた。

ときに支援員としての僕への暴言や暴力的な態度は、子どもと僕との安心感からくる依存関係だということなども教えてくれた。その支えがあったからこそ、子どもたちの矢面に立って自信や失敗覚悟で関わることができた。どれも今となっては人を「見取る」ということがどういうことなのか、身をもって(実際に殴られたりもしたが)経験し、理解しようと奮闘できた原体験だった。

その方から教わったことを教育相談室報へまとめあげた。平成13年のことだった。僕なりにまとめた「穴理論」は今の僕の子どもの見取る原点となっている。といっても、そのまとめでさえも、文章が究極的に苦手な僕に手取り足取り書き方まで丁寧に支えてもらい、できたようなものだったが。

不登校や発達に凸凹をもつ子どもは、深い穴底に落ちて社会から断絶しているようなもの。穴の上からいくら「登っておいで、這い出ておいて」といくら呼びかけても登ってこられない。支援員としての僕がその穴の底へ降りていって(このいかに降りるのかという行為が本当に難しいのだが)、「こんなにも穴は暗く、深かったんだね」とあるがままに受容し、「穴の底から見る景色」を共感すること。子どもは、その穴の高さは一人で登ることは無理だとしても、支援員がそばにいてくれることで、小さな勇気を持ちその高さが自分の力でも登れそうだと感じられチャレンジするようになる。そして、登っては落ち、落ちては登ることを繰り返しながら、自分でいつの間にか穴から這い出て社会復帰していくようになる。この穴底に降りることと、受容、共感できるかが今でも僕にとって変わらず課題となっている。

コロナのため弔問できず、心の中にずっと静かに悲しみを抱えていたことに気付く。コロナがおちついたとき、その当時があっての今自分があること、感謝を込めて挨拶に行きたい。そして、ちゃんとお別れを言いたい。それができないことがとてももどかしい。

麦茶をいれる時間が一番のワクチン

今年の学年で大事にしたいことはこれ。

「聴きあい、伝えあい、認めあいができる安心な場所でのびのびとチャレンジしていこう!」4人で一番忙しい4月に半日かけて話し合ってつくりあげたこと。それをもとに1学期やってきた。

そして、今日はその学年団でじっくりと1学期のことをふりかえりをし、2学期のこと、オンライン授業をもしするならば、日頃から大切にしていることでどんなことを大切にしたいか話し合った。

これまでレゴブロックやえんたくんなどを使って話し合ってきたが、今回はプロジェクト・アドベンチャー・ジャパンの「フルバリューカード」と「しるらないカード」を使って振り返りをした。

フルバリューカードを使っていた分かったことがあった。大人同士で振り返って話をする時には、半具体の写真のほうが写真に写っている具体的な意味を読み解いて、様々な物語をそこに展開できるので話が深まる。

なるほど。だから僕は保護者とはフルバリューカードを使うし、子どもたちの振り返りの中では抽象的なしるらないカードをよく使っていたんだ。無意識にもなんといいセンスなのだ。

その学年会でのウォーミングアップに「最近のストレス解消法」について話をしたかったが、他の話題となってしまったのでここにメモを残したい。

最近の僕のストレス解消法は、麦茶を入れること。その麦茶も水出し麦茶ではなく、お湯でじっくりと煮出したもの。なんてったって、すっきりとした味わいと香りの立ち方が水出しとは違う。

僕は、鍋いっぱいに沸騰している麦茶を大きめの水筒に移し替える作業、が何よりも好きだ。あの時の香りの立ち方はとても柔らかく気持ちをほっこりとさせてくれる。黄金色した麦茶をおたまですくったときの、ふっくらとした湯気と麦茶の香りがたまらない。

このコロナの時期、何かとストレスが増えるとき。ストレスホルモンであるコチゾールが分泌されがちだ。コロナ対策はワクチンだけでは決して防げない。自分の免疫反応をしっかりと高めていくことが何よりも必要。免疫を強くするにはストレスを減らすこと。

僕にとってのお湯出し麦茶はそれにあたる。だから今日も僕はコツコツと麦茶を水筒に入れる。こうやって、効率や生産性を追わず、じっくりと時間をかけてていねいに身体を動かして、細々とした小さな幸せを大切にしながら生きていきたい。

本丸の学年会では、プチDaiGoを育てちゃいけないことと、DaiGoの弱さにどう寄り添えるかといったなかなか含蓄深い話になった。それはまた別のときに。

母に内緒で買ってくれた祖父の瓶ラムネ

どこに出かけるあてもなく、のんびりと休校期間中のように過ごした夏休みが終わった。最後の数日は、例年通りの長い会議の連続であったが、自分たちの学校自分たちの手で作っていくという、そのためにはかけがえのないオンライン会議時間であった。

さて、この夏休み、炭酸三昧の日々だった。以前にも書いたことだが、アルコールが好きなのではなく、炭酸が好きだったという事実が発覚。この一か月は、「自分にとってどのような炭酸が良い炭酸なのか?」を問い続けた日々となった。

スーパーやコンビニに買い物に行くたびに、様々な種類の炭酸に手を伸ばしてみた。天然水でできた炭酸や天然水に天然炭酸を入れたもの、浄水した水に炭酸を入れたものなど様々な種類があることもわかった。

結論から言えば、どの炭酸にも貴賎はないということだ。かっこよく言えばそういうことだ。本音で言えば、よく分からないということだ。つまり味は僕にとっては大した意味を持っておらず、炭酸の持つのどごしや爽やかさ、それが僕にとっての炭酸の価値だとわかってきた。

とはいうものの、どのような炭酸が良い炭酸なのか? これには確信が一つある。それは今は亡き祖父がこっそりと買ってくれた炭酸が良い炭酸だ。

何かと口うるさい母は、子供の頃の僕に「炭酸を飲むと骨や歯が溶けるからやめなさい」と繰り返し口を酸っぱく言い聞かせていた。しかし、やめろと言われれば言われるほど好奇心が増すもの。

おじいちゃん子だった僕は、自転車の後ろに乗せられて毎日のように駄菓子屋に連れてってもらっていた。そこでは「お母さんには内緒だぞ」と、あの瓶ラムネをこっそりと飲ませてくれた。 その横で祖父は、麦わら帽子をうちわ代わりにして暑い日差しの下で、ラムネをぐびぐびと飲み干した。

最初は恐る恐る飲んだのを覚えているが、パチパチとのどで弾ける音やキラキラ輝くあのビー玉、すぐにラムネの虜となってしまった。もう骨も歯もすべてが溶けてもいいと思っていたはずである。

以来ことあるごとにラムネ、コーラ、そしてビールから炭酸水へと変遷してきたが、骨や歯が溶けることもなく今は健康にこうして生きていることができている。

この夏「どうしてこんなに炭酸は好きなんだろう」そう思いながら、飲んでいたその答えがわかった気がする。僕にとっての一番のおすすめの炭酸は、母に内緒で買ってくれた祖父の瓶ラムネである。