数学者の時間は「ぶっとんだ授業」

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弘前大学教育学部付属小の先生方が「数学者の時間」を2コマ、見学にこられた。自立した学習者をテーマに研究しているそうで、数学者の時間で取り組むワークショップ授業がそれに近いとのことだった。

僕の中にある3学期のテーマは「もの」を使って思考すること。でも、ものを使うと操作がある分、なかなかノートに記述されない問題をどう解決していくか。そこで、今回は、KAPLA積み木を使った授業とマッチ棒を使った問題を選択して、子どもたちと考えあってみた。

子どもたちは、KAPLAについてはすでに2時間かけて、橋を作ったり、橋の上にチョロQを通したり、すでに取り組んできた問題。だから、一般化を求めて「KAPLAを使った問題づくり」を持ち込んでみた。

一方、僕のクラスはKAPLAから離れて、半具体物のマッチ棒を使った「マッチ棒パズル」を扱ってみた。こちらの方が、思考の足跡をメモしやすいと予想していた。毎回同じだけど、朝の朝まで、子どもたちに提示する良問を決められないで悩んでいる。たぶんこれはこの先も続いていくんだろうなぁ。

どちらの授業も、それぞれグループ(KAPLAの数に限りがあるため)で、そして個別(マッチ棒はたくさんあるので、こちらの授業はいつもの雰囲気に近かった)に活動しながら、考えていた。僕は、その途中途中の子どもたちのアイディアが面白すぎて、一緒に考えはするものの、思考をどこかに連れて行こうとするよりも、一緒に楽しんでいた。今回はそういうカンファランスだったと思う。

授業後、先生方との振り返りは2時間かかって話し合った。一番印象的だったのは「ぶっとんだ授業」だと言われたこと。これはこれまでの算数・数学文脈とは、異なった授業だったと好意的に僕は受け取っている(あってるかな?)。 参観されてた先生方は、授業をどうみていいのかはじめよく分からなかった様子で、意図を丁寧に説明し、はじめて理解された様子だった。

たしかに、何かを積み上げる授業ではないため、子どもたちは遊んでいるように見えてしまうことがある。成果がでそうででないその「どうにもならない」時間をどう解釈するのか。僕は知識が生み出されるにはこういう試行錯誤が必須だと思うし、そういう時間を大事にしたい。

何か知識を授けるのなら、的確なアドバイスや指導があるだろうけれども、この時間は子どもと僕も一緒に考えてしまう、そんな授業構造だからどうしてもこのムダに思えそうな「どうにもならない」いろいろ試している時間が必要。それが遊んでいるように見えるからこそ、授業として捉えにくいのかもしれない。でも、遊ぶように学ぶってこういうことなんじゃないかなぁ。こういうことを好意的な雰囲気で授業検討できたことはまたありがたかった。落ち着いたら、改めてフィードバックをいただけるとのことだったので、そのときじっくりと振り返っていきたい。

いかにもこの一ヶ月は忙しすぎた。何かを書き続けるリソースが自分の中でさけないままでいたから、また細々とつづけていけたらいいなぁ。

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