大切な人にちゃんと別れを伝えたい

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僕はこのコロナ禍において、人生の師と仰いでいた大切な人を失くしている。コロナの時期とあって、葬式は家族葬だったため弔問することはできなかった。別れを告げられず、心の中でまだずっと悲しみを引きずってしまっている。

その方が亡くなったことは、スーパーの買い物帰りの小雨降る中で知らされた。当時、同じようにお世話になった仲間から電話で亡くなったことが告げられた。せめてお悔やみだけでもとご家族へ電話をした時には涙が止まらなくなってしまった。不思議なことに、いつもは座布団の上で寝ている愛猫ニャオタローがその時ばかりは僕の横にそっと付き合ってくれていた。

数え上げるときりもないほど僕の中にその方の魂や言葉、宿っている。そして、いたずらな一面さえも。その中でも特に僕にとって一番大切なことをここに改めて残したい。

当時僕は、教育相談室で働いていた。1日の出来事を思いつくまま記述し、毎日カウンセラーのボスであるその方と、一日に起こったことをボスの見取りで解釈し直す日々だった。不登校や学校不適応の子ども達は「やりたくない」「めんどくさい」といった無気力で批判的な言葉が多い。しかし、実は本当は「やってみたい」といったまだ身体と心が整っていないアンビバレンツな心情であることを、繰り返しどのケースでも教えてくれた。

ときに支援員としての僕への暴言や暴力的な態度は、子どもと僕との安心感からくる依存関係だということなども教えてくれた。その支えがあったからこそ、子どもたちの矢面に立って自信や失敗覚悟で関わることができた。どれも今となっては人を「見取る」ということがどういうことなのか、身をもって(実際に殴られたりもしたが)経験し、理解しようと奮闘できた原体験だった。

その方から教わったことを教育相談室報へまとめあげた。平成13年のことだった。僕なりにまとめた「穴理論」は今の僕の子どもの見取る原点となっている。といっても、そのまとめでさえも、文章が究極的に苦手な僕に手取り足取り書き方まで丁寧に支えてもらい、できたようなものだったが。

不登校や発達に凸凹をもつ子どもは、深い穴底に落ちて社会から断絶しているようなもの。穴の上からいくら「登っておいで、這い出ておいて」といくら呼びかけても登ってこられない。支援員としての僕がその穴の底へ降りていって(このいかに降りるのかという行為が本当に難しいのだが)、「こんなにも穴は暗く、深かったんだね」とあるがままに受容し、「穴の底から見る景色」を共感すること。子どもは、その穴の高さは一人で登ることは無理だとしても、支援員がそばにいてくれることで、小さな勇気を持ちその高さが自分の力でも登れそうだと感じられチャレンジするようになる。そして、登っては落ち、落ちては登ることを繰り返しながら、自分でいつの間にか穴から這い出て社会復帰していくようになる。この穴底に降りることと、受容、共感できるかが今でも僕にとって変わらず課題となっている。

コロナのため弔問できず、心の中にずっと静かに悲しみを抱えていたことに気付く。コロナがおちついたとき、その当時があっての今自分があること、感謝を込めて挨拶に行きたい。そして、ちゃんとお別れを言いたい。それができないことがとてももどかしい。

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