幼稚園の雑誌座談会に参加してきました

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本校の幼稚園へ呼ばれ、ある子ども雑誌の座談会に参加してきました。エリクソン研究の久保健太さんと幼稚園の先生方、そして小学校代表?(たぶん一番幼稚園へジャマしに行っているから)の僕とが、子どもの動画を元に、語り合う場でした。3歳児の男の子が木の実を集めるエピソード、これがまたとってもほっこりして最高に癒やされます。

詳しくは対談集にゆずりますが、幼児期における何かに夢中になることや遊びのその価値について、考え合いました。子どもの姿で話しが始まったのですが、いつの間にか、我がクラスのドロダンゴ団の遊びから我が生い立ちまで話が逸れるにそれ、それはそれはカオスでしたがきっとすばらしく編集でなんとかしてくれることでしょう(笑)。

最後のオマケのトークで、「日本/アジアでは本当の意味でチャレンジが難しい国だ」という話がおもしろく、南北イタリアの信頼観のちがいについて教えてもらいました。

北イタリアはレッジョ・エミリアにみるように「一般的信頼」と呼ばれる成熟した市民社会や民主主義が台頭しています。一方、南イタリアにおいては、僕が大好きなドン・コルレオーネ率いるゴッドファーザーの世界であり、そこには多様性などといったものはなく、ボスが黒といえば黒となる「特殊的信頼」の世界だそうです。

ちなみに、僕はコロナ前のここ数年、南イタリアへ遊びに行き「レモンチェッロが最高〜!」としか覚えておらず、その特殊的で信頼な風を全く感じることなくとても残念であります。

この、チャレンジすることへの多様さを認めてもらえないこと、なにか声をあげたり、変えようとすること、新しくたくらもうとすることへ、ことごとく風当たりが強く、我が身にも覚えがあるところです。その意味で言うと、本校は、アジア枠ではあらじ、チャレンジと自由の台頭する民主的な学校と自負しています。

民主的でありたいと願う「一般的信頼」は即決できない多様な意見を引き取るだけに、時間もかかるしそれぞれの成熟度が求められます。汐見稔幸さんはそれを「(白黒つかず)決着をつけないしんどさ」と言っていたそうです。いつか汐見さんとも直接、お話が聞けるといいなぁ。

普段とまったく違うフィールドの人たちと、話をするとおもしろいなぁ、というなんとも落ちのない投稿でした。

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