タングラム問題をクラスチャレンジに

最初の1時間目はタングラムとは一体何なのかを紹介しました。そして、全員で同じ一つの問題をといてみる経験を共有しました。約束ごとに、すべてのタイルを使うこと、表裏の指定はしませんでした(裏表があることで難易度があがります)。

次の2〜3時間目では、先日の本を参考に図形問題をいっきに10問ほど提示し、子の中の問題を解くことにしました。一つの問題にスタックしたとき、あきらめずに取り組むもよし、他の問題にもチャレンジするのもよし、それが多くあることのよさかな。

「残りの時間(25分ぐらい)で、クラス全員で①〜⑩の全ての問題を解決しよう!」とクラス全員の達成課題にしてみると、「うおお、やってやろうじゃん」と「手分けしてもいいの?」など、なかなかいい雰囲気で、解き合い始めることができました。やっぱり、こういうパズル系の教材はとかく一人旅になりがちだけど、一緒にやればやるほど楽しいものになる。一方で、友だち関係を引きずって、せまい関係性に閉じている場面も見受けられたため、次からはグループ隊形にしてからはじめることにしました。隊形がかわるだけで、会話の量と対象がいっきにかわるから。

こういうときに、一人一台iPadがあるといいなと思うのです。途中経過やその解答を写真で手軽に記録したり、共有したりもできる。本校は、画面を見る時間よりも五感を使うことを大事にしようと、あえて制限しているけど、便利につかっていけるといい。

問題が解ける度に、ノートに記録するけれど、まだ拡大・縮小していないので、うつすことに手こずる子も数人いました。10問の内、一問でも解決できれば、黒板に名前を書きに来る。それが嬉しいようです。子どもたちは「あと⑫番が解決してない!」と声かけながらやっていました。普段、算数では大人しくしている子が「⑨は私だけできた!」とごまんえつな姿も。それを祝福されて大盛り上がり。この「だけ」というところに集団で学ぶおもしろさがあったり、その後の算数・数学人生を変えるきっかけになるとかならないとか。

放課後、「⑫はだれも解けなかったから、家で自学ノートにやってきたい」と、タングラムを借りにきました。それに触発されて「私も!私も!」と持って帰る子も出てきました。さっそく静かなるタングラムブームが笑。子ども用に厚紙バージョンも配り、各家庭でできるようにしました。

つづく

ヒラメキの授業

タングラムのおもしろさの一つに「ヒラメキ」があります。その特徴は

  • すぐにできそう!でも、なかなか解けない(しかも答えは単純だった笑)。
  • そのやり方が上手くいかないと分かっていても,なかなかそこから抜け出せない(そんな自分をいやというほど知る)。
  • 手を動かしていると、正解が突然ひらめく。

このひらめきに関しては、夏の校内研修で紹介されていた、鈴木宏昭『私たちはどう学んでいるのか』(ちくまプリマー新書2022)の第5章に、ひらめき(洞察による認知的変化)について記述があります。

“ひらめきは突然訪れるかのように語られることが多い。しかしひらめきは練習による変化、発達による変化と同じ、つまり多様で冗長な認知リソースとその間の競合による揺らぎが、それが実行される環境と一体となり創発される。そしてその過程の大半は無意識的に進む。だから、ひらめいたときの驚きは、実は自分の無意識的な心の働きに対してのものなのだ。

『私たちはどう学んでいるのか』P.137” 

つまり、タングラムのような単純な問題がとけないのは、私たちの中にキョーレツな思い込みが存在するからであって、その思い込みが頭の目隠しとして機能してしまう。

しかし、その思い込みは思考の枠組みとして、日々の生活の中では考える認知的負荷を下げてくれる役割もあります。悲しい場面で相手の目に涙を見つけたとき、目薬をさしたのか、目にゴミがはいったのかなどと、わざわざ考え直さなないでしょ。

思い込みは問題解決場面においては制約要件として、はたらいてしまうことがこのタングラムからわかってきます。「この四角の角には□を使いたい。こっちの三角はきっと大きい△を使うにちがいない」といったような思い込みが、正答の邪魔をしてしまうのです。

実際に子どもからは「すごい思い込みをしていてできない問題もあったけれど、とけたらこういうことかと納得した」と感想がありました。

ここから抜け出るためには、自分の思い込みを認知し、様々な配置のパターンをためすことでヒントをつかめるようになります。さらに多様性の高い試行錯誤の末、突然、ひらめきに至るのです。

そこで、授業では「ひらめきやすい思考」「だれも思い込みがある」の二つの数学的に考えるミニレッスンを用意しました。最初2時間程度を予定したけれど、子どもたちの熱中、教材のおもしろさに感化され、結果、以下のようになりました。

  •  1時間目・タングラムを知る。全員で数問を解いてみる。
  • 2・3時間目・ミニレッスン:ひらめきをうむ・クラス全員で協力して全ての問題を達成する(2時間目:図形型問題・3時間目:文字型問題)
  • 4時間目・ミニレッスン:思い込みをなくす・タングラム問題をつくる。5時間目・友だち問題を解いて楽しむ祝福タイム。

つづく

タングラムはじめました

今年は学年2クラスの算数を担当しています。のべ100時間の授業がちょうど終わったことになりますが、なかなか思い描いたような授業とはならないことばかりです。とはいうものの、教材研究できる時間に恵まれていて、じっくりと「子どもたちと算数・数学するとは何か」、考えられる豊かな日々を過ごせています。

2学期の最初、面積の導入でタングラムを使って授業をしました。導入のつもりで扱うタングラムだったはずがあまりにもおもしろかったので、ついつい5時間ほど費やし算数・数学する時間を楽しんでしまいました。記憶の彼方に消えていく前にその実践報告をのこしておこうと思います。

タングラムってきっとどこかで触れているのではないでしょうか。昭和世代の人は温泉宿で窓からの景色を眺めながら、たいくつしのぎにやっていたあのパズルのこと。200年程前の中国発祥のパズルといわれており、正方形を7つに分けたピースを全て使って、ある形をつくります。

子どもたちにタングラムの説明すると、「僕もタングラムほしいんだけど、温泉で売っているの?」と聞かれました笑。クリエイティブな質問です。

現在、教科書ではトピック的な扱いでタングラムは紹介されているようです。また、残念ながらタングラムの多くは早期教育の道具として使われ、塾で子どもをパッと燃え上がらせるネタ扱い。いくつか先行実践や実践本を探してみたものの、なかなかよい本も見つけられなかったので、これに特化したカナダの数学教授のRonald.C.Read『TANGRAMS 330PIZZLES』を参考に授業づくりをはじめました(最近では翻訳Deepleもあり本当に、助かっています)。この本は超マニアックで、タングラムの歴史から始まり、その分類とタングラム愛にあふれています。

4年生までの既有知識として、正方形、長方形の面積の求め方は知っている子どもたち。平行四辺形の面積を求めるには、これまで知っている長方形に意図的に作り替えて求積する必要があります。図形領域は得意・不得意の個人差がでやすいもの。遊び感覚で「ふれて」楽しめるしかけとして、一人一つのタングラム(木製200円のもの)を用意しました。タングラムは図形の構成要素である辺や角、垂直、平行などの位置関係への理解を深めることにとても有効になりそうです。

軽い導入の扱いのつもりだったのが、子どもたちの熱中する姿に魅了されてしまいました。そのタングラムがもつおもしろさに「ヒラメキ」があります。

つづく

遠足引率で、救急救命の場に居合わせた僕ができたこと

昨日、遠足で都内へ山登りに行ってきました。そのとき、心肺停止で倒れていた方と偶然居合わせ、その場で救急救命を行いました。遠足の引率というプログラムが進行しつつ救急救命を実施したその状況は、今後、同じ状況に遭遇するかも知れない教員のみなさんに、少しでも心づもりやその対応に役に立つのではないかと思い、備忘の意味を込めて書き記してみます。

もし、人が倒れている現場に遭遇したら、本当に自分は対応できるのでしょうか。救急救命が必要な場に偶然に居合わせた人のことをバイスタンダーというそうです。予期しようとしまいが、誰もがバイスタンダーとなりえます。僕はちょうど、遠足で子どもたちの引率しているときのことでした。

5年生を担任し、超多忙な日々の行事をこなし、ようやく月末の遠足にたどり着きました。今年は都内近郊の登山。コロナ対応でそれほど目くじらたてることなく、昨年よりはスムーズにルートの下見もできました。今回は、グループチャレンジ。6人グループで約3時間、山頂にいってきて折り返しの広場で落ち合うことになっています。子どもたちにとっても、大きな挑戦。もちろん、迷子にならないように木道を歩けば、必ず山頂にたどり着けるルートにしました。それでもお弁当を食べ、途中でおやつも食べながらの3時間は、なかなかのチャレンジ。支援員が今年は学年を補佐してくれているため、引率する教員も通常よりも一人多く割り当ててもらっています。その先生方を、途中の分岐点やチェックポイントに配置し、そこで記念写真をそれぞれ撮りながら山登りをする、そんなプログラムでした。

途中、ケーブルカーを使って一気に班行動のスタート地点へ。僕はいよいよグループチャレンジにのぞむ子どもたちに最後の確認事項を告げ、出発係の先生にその場を任せ、先にチェックポイントに出発している先生たちを一人で追いかけていきました。午前10時10分ごろのこと。途中、二人の先生にそれぞれあいさつをし、最後、展望台で待っているA先生に巻き道を通ってあいさつしに行ってから、そのまま山頂の待ち合わせ場所「なめこ汁の看板」下で、持ってきたバーナーでカレーでも温め食べていようと思っていました。

すると、展望台へかけ登る斜面に、登山客とみられる男性が倒れていました。遠巻きに一人年配の男性Bさんが一人。展望台にはほんの数人いたかどうか。ちょうど道をふさぐように両手をあげて仰向けに倒れていたので、近づき「大丈夫ですか?」と声をかけても、男性は宙をみて微動だにしませんでした。60〜70歳ぐらいの男性で、口に耳を近づけてみると呼吸も胸の動きもありませんでした。意識もなく、呼吸もなければ心肺停止。とっさにそう判断し、すぐに胸骨圧迫、心臓マッサージをしました。ちょうどザックが背中でマクラ代わりになり体が水平になっていたので、あごだけ上にし、気道を確保しました。

このちょうど1週間程前、水泳学習に向けた心肺蘇生法の救急救命講習を本校に消防職員を招いて研修したばかり。コロナのこともありかなり簡略化されていましたが(感染予防のため人工呼吸はしなくてよい)、さすがに今年で僕も20回以上。それでも、やっておいて良かった。動揺することなくスムーズに動けたのはそのおかげにちがいありません。そして最近、読みなおしていた名作「岳(山岳漫画)」のおかげでもあります。実際に自分はその場面に遭遇したら本当に動けるのか、こっそりシュミレーションしていたばかりのことでした。

遠巻きに見ていた年配の人Bさんに「119番に電話してください」とお願いすると、「さきほど、電話しました」と心配そうに遠目から近寄れないで見守っているようです。知人ではないようでした。心臓マッサージを続けながら「山頂のビジターセンターにAEDがあるはず」と思い、そこにも電話してもらうように声かけると、「電話が話中でつながりません。。。」と。この間、1〜2分か。

ちょうどこの日は、本校の4年生も同じ山に歩きに来ていたことを思い出し、4年が下から登ってきているので、連絡すればちょうど今はビジターセンター当たりにいるはず」と思い、心配しながら近くを通りかかった登山客の年配の女性の方Cさんに心臓マッサージを代わってもらい、トランシーバーのチャンネルを1にして、呼びかけました。

ちょうど2〜3日前に「トランシーバーもってくでしょ」と学年の先生が前日に充電してくれ、チャンネルも5年が「3」で4年が「1」ね。何かあったら連絡取れるようにしようと渡してくれていました。4年生の担任に呼びかけ「救急救命中で、近くにいればビジターセンターに連絡してください」とお願いした瞬間、Bさんが「ビジターセンターに連絡とれました!AEDがない(そんなことあるか?確かにそう言われた)けど、救急救命が出動しているからそのほうが速いですといわれました」とのこと。確かに、山頂のビジターセンターから展望台までは歩いて30分程度はかかってしまう。4年の先生には「ビジターセンターとは連絡とれました。また何かあったら連絡します」と切り、チャンネルを元に戻し「心肺蘇生中なので子どもたちを近づけないで、直線で山頂をめざすように指示してください。展望台のA先生を僕の代わりに山頂待機に変わってもらいます。途中の広場で待機している先生(トランシーバーを持っているのは専任3人のみ)に連絡してください」と、すぐさまA先生を頂上に行ってもらい、子どもたちと現場の鉢合わせも回避しました。振り返ってみると、こういうスムーズに連携がとれる学年の先生たちの臨機応変できる対応がさらなる被害や二次災害を最小に防げたと思います。

年配のCさんも疲れている様子だったので(心臓マッサージは1分本気でやるだけでかなりの疲労が)、そこまでザックを背負っていたことを思い出し脇道に放り投げ、また心臓マッサージに戻りました。ここまでで要救助者に遭遇してから3〜5分たったか。それでも遠巻きにみていたBさんは「119に連絡したのは20分ほど前なんです」と。20分。ちょうど手当をしないで助かる可能性が0%に限りなく近い時間。そのときは夢中だったので、それでもマッサージは続けました。後に調べたところによると、もしすぐに救命措置をしたとしても20分では生存の可能性は10%にしかなりません。そのときは、そんなことまでは考えていませんでしたが、20分が生存の可能性の分かれ目ということはなんとなく覚えていました。

Cさんが、要救助者の胸のホルダーと腰ベルト、ズボンベルトを緩めてくれました。改めて軌道確保を。胸骨圧迫のたびに、のどの奥からシュコー、シュコーと肺もおされて空気が出る音がしました。何度かCさんが「だいじょぶですか!」と呼びかけましたが、目はうつろで宙を見て、よくみると瞳孔が開いていました。僕は(もう、むずかしいかもな)と案外、冷静に客観的になっていて、マッサージを続けました。「私に何かできますか?」と声をかけてきてくださった女性の方に、「こっちに登らないように下の分岐点で止めてください」とお願いしました。ここまで約15分くらい経過。

すると、遠くの方から赤いヘリコプターが近づいてきました。Bさんが手を振って合図をすると、しばらく空中で待機し、救急隊員2名がワイヤーで降りてきました。僕はヘリの風圧で目を開けることもできず、口はマスクでなんとか息をすることができる程度でした。ホッとしたのも束の間、「マッサージつづけてください」と指示。すばやくAEDを準備し、指示されてCさんが上半身を脱がせながら、パッドを的確にはりAEDが心臓をチェック。同時に「通報してから20分が経ち、僕が心マ(なんでかっこつけてシンマなんて言っちゃったんだろう)はじめて12〜3分がたちましたが意識はありません」と報告。対処が的確だったのか心マと言ってしまったからなのか「医者のかたですか?」と聞かれ、「いえ、教員です。引率できたところたまたま遭遇しまいた」とマッサージを続けました。

そしてAEDの「ハナレテクダサイ」の合図で、電気ショック1回目。要救助者はつま先からビクッとなり、「マッサージつづけて」と言われそのまま継続を。またCさんがマッサージを変わってくれ、その合間にもう一度トランシーバーで救急隊が来たことを先生達へ告げ、子どもたちの対応の確認を。学年の先生のおかげで子どもたちはトラブルなく移動していることもわかりました。こういうとき、携帯よりもトランシーバーの即時性がとても有効でした。

しばらくは機械音と遠目にヘリの音だけが聞こえました。隊員から名前と住所、電話番号を聞かれたた後、心臓マッサージを交代。(きっとあばら骨折ってしまっているかも)そう思いながらも、なんとか戻ってきて欲しい一心で続けました。長く感じた2〜3分後、2回目の電気ショック。と、同時にヘリに収容するため担架に包み、また当たりにヘリの騒音と共に要救助者と隊員1名が挙がっていきました。残りの隊員はその老人の荷物とストックなど、「何かありましたら連絡します」とビレイにワイヤーロープをひっかけ、さっそうと空に登っていきました。10分いたかいないかぐらいでした。最後に、そのおじいちゃんの顔をみましたが、変わらず目は見開いたまま。きっと心臓発作だと思う。なんとか(意識が)もどってきてほしい、ただそれだけでした。

それにしても、遠巻きにスマホを撮っているやからには、なにか嫌悪感がのこりました。自分にできることを考え、行動すべきです。それはスマホではありません。Bさんはしきりに「何もできずにすみません」と言っていましたが、隊員は「しかたのないことですよ」と、優しく声をかけていました。決して責められないことですが、もしBさんが心肺蘇生をしていたら、生存の可能性は少しでもあったのではないかと思ってしまう自分もいました。

ヘリが去った瞬間、藪のなかから地上部隊の隊員が3人、駆けてきました。大きなリュックにいろんな機材が入っているようで、息をはぁはぁさせながら「救助者は?」と聞かれ「ちょうど今、ヘリで」と告げました。改めて、現場に検証、どのように倒れていたのか、服装など確認され、僕、Bさん、Cさんの名前、住所、電話番を知らせてその場が終わりました。「どこから登ってこられたんですか?」僕の問いに、「直登してきました。そのほうが速いので」とナルゲンボトルの水をがぶりとさわやかに飲んで答えてくれました。かっこいいなぁ。

と、我に返り、頂上にいるA先生の元にもどることをトランシーバーで連絡し、4年生の先生にもヘリで搬送されたことを伝えました。午前10時45分ぐらいだったか。偶然居合わせた数人での救急救命。瞬時に役割に分かれこなし、そしてできることをできるだけやったらまた散っていく。日本ってすばらしいよ。ほんと。そして、山を登るときはお互い様なんだなぁとじんわりしました。そこから一人、とぼとぼとA先生が待っている頂上を目指して歩く道々はなんとも足取りが重く、ずっしりするものでした。自分にできることは何か他にあったのか。もし、元気になってくれたら「岳」の三歩さんが言うように、また山に帰ってきてほしいなと素直に思いました。幸いにも、子どもたちは大きなケガすることなく(川の水をがぶ飲みするやつがいたぐらい)、無事に遠足を終えることができました。

春の木道にはシャガが美しく咲き乱れていました。シャガの花はたった一日の命だそうです。

AEDの操作は隊員がやってくれ、Bさんが電話を、Cさんと僕は胸骨圧迫に専念することができました。いつなんどき、自分がバイスタンダーになるかもしれませんし、もしかしたら、自分が倒れることだってあるかもしれません。そのために思いつくできる限りの準備をすること、繰り返し行われる救急救命講習に参加すること、いつでも助け合おうとすること、自分にできることを勇気を持って声をかけること、それにこしたことはないでしょう。これを読まれることで、少しでもご自身の中にシュミレーションができれば幸いです。1つでも山の事故、遠足の事故をなくしたいと願っています。

子どもたちと一緒にお弁当を食べ、山頂の人混みにもまれながらおしゃべりしていると少しだけ気がはれました。やっぱり学校ってえいいなぁと思うのです。いろんな気もちをかかえながらも、癒やしてもらっている実感がしました。そして、夜、疲れをとろうと大衆温泉につかっていたら、前から苦境な肉体をした外国人が僕のとなりに座りました。見たことあるぞ! あのバスケ界MVP優勝請負人のセバスチャン・サイズ! おもわず声をかけてしまいました。先週末のタフな延長線ゲームのこと、いつでも渋谷にもどってきてほしいこと、気付いたら、名前も聞かれ、すごい角度で肘の挙がった握手もしました。手、まじデカかった。オフなのであまり話しかけては悪いと思い、しばらく横でほくほくあたたまりました。

子どもの生活から算数メガネで教材づくり

算数メガネを使うことで、今まで見えていた世界の解像度が変わって見える経験をさせてあげたい。それは一体どんな授業になるんだろう? この1〜2カ月間ずっともやもやと考え続けていました。

一年間のまとめである3学期を迎え、コロナで学校閉鎖もあり、なかなか予定通りいかないことが多く、翻弄されっぱなし。そうだったからこそ、見通しも立ちにくい中でも、やっぱり「教師が」やってみたいことがあること、その心の持ちようが何よりも大事なんだと確信できました。

子どもたちとやりたいことがある。その気持ちがあるからこそ、いろんなものに翻弄されながらも、最後まで駆け抜けられる持続力が生まれる。まずは何よりも担任の願い、やりたいこと、チャレンジしたいこと、こういったことを十分に広げる発想からスタートできたことがうれしい一歩でした。

ここに気づけたのは、数学者の時間の研究メンバーとの対話からでした。仲間に感謝、感謝。毎週末の早朝からのzoomはなかなかしんどいこともあるけれど、継続するモチベーションの一つになっています。

子どもたちの生活から、身近なものを使って算数教材化できるものはないか探していました。子どもたちの生活の文脈を生かすことをベースに、教えるべき内容があること、さらに深めると面白くなりそうなこと、こういった算数メガネの視点で日々の生活を見直してみると、ふっと一つのイメージが湧いてきました。それは今年、毎朝あそび続けてきたしぜん広場の池のことでした。

子どもたちはこの1年間ずっと池の周りを走りまわったり、水の流れに沿って登ったり降りたり、雨が降ってもびしょ濡れになりながら駆け巡ってきました。最近では、池に角材を渡して、人間ピタゴラスイッチと称し、綱渡りをしてこっそりあそんでいます(笑)。

最初は、水の池を全部測るのが面白そう!とアイディアが浮かんできました。その名も「水の池、全部、測っちゃいました」。 しかし、3年生レベルでの思考方法ではなかなか水の量まで広げると手立てに限界がありそうです。教師が引っ張り続けること必須か、または賢い子におんぶにだっこになってしまいそう。

でもまてよ。池の周りの長さに目をつけてみると、おもしろそうなことができそう。これまでは直線しか測ってこなかった自分たちが、曲線をも測ることへの挑戦。果たして、直線を測る方法で曲線を測りきれるのか。さらには学級全体で一つの池の周囲を測定後、個々人やグループごとの興味関心により曲線や測りにくいものを測ってみるとおもしろそう。長さの概念がより多面的に捉えられる機会になりそうです。

このあたりこそ教材化できるのではないかと思い、早速、池の周囲を歩足で測ってみることにしました。横に子供たちが数人くっついてきて「何やってるの? 何やってるの?」と興味津々。そのとき、面白い場面を目にしました。それは、しぜん広場を使って自分たちで「丸太に5秒以上乗る」などいろいろミッションを出し合い、達成できるのかを試すミッションあそび。

「イガせんも何かミッション出して!」と言われたので、そのミッションあそびの延長で算数ミッションを大々的に課すことにしました。これをこの学習の導入にしてみうと。これまでずっと、子どもたちがなぜしぜん広場の池の周りを測る必要があるのか? その文脈をどう引き出していくのか、ずっと頭を悩ませてきました。それがすんなりとミッションあそびと言う形で子どもたちへ提供できそうです。ほんと、助かる。ありがとう。

これまで算数は何のために使うのか、その有用さはテキスト算数では時数に追われ、限界がありました。もうちょっとだけ、体験すれば、もっと理解が深まるのに。そういう算数単元になんども出くわしてきました。便利な道具としての算数、算数の有用さは使ってみないとわかりません。子どもにとって「つかえる算数」シリーズとして、実践研究を進めていきたいです。さて、いよいよ第一次がはじまります。楽しみです。

スケートリンクづくり

相変わらず、毎朝、しぜん広場に行って活動を続けています。今週は特に冷え込んだため、池の水が凍りはじめ、寒さと日を追うごとにその厚さが増していきました。

「これ、のれるかな?」やっぱり言い出す子が出てきました。「お、のれんじゃんこれ」と池に足を伸ばし始めます。「うお!冷たい!」とやっぱりクツがぬれます。

「スケートやりたいねぇ」「そうだねぇ」「テラスに水まいちゃおうか」「いいの!そんなことして」「バレなきゃいいじゃん」ということで、一昨日から教室横のテラスの排水口をふさいで、放課後、みんなでバケツでせっせと水をためました。やっぱり、上半身裸、素足で水をバシャシャシャ走り去る少年がいました。いつでも水にぬれられる子が育つ。今年のしぜん広場を継続してきった、ひとつの成果だと勝手に自負しています。

朝、子どもたちと「凍ってるかな?」「わくわくするね」と、僕もいつになく足取り軽く教室への階段を上っていきました。

失敗。

排水口のふさぎっぷりが甘く、水がしんみりもれてただの水たまりが凍っているだけでした。

今日の放課後、大人の力を発揮すべく排水口に粘土で塗り固め水漏れを完全補修。また、水遊びしたい子たちがせっせとバケツで水を運びました。たまった水の中を、やっぱり上半身裸の少年がシャバババと走っていました。しかも今日は3人に増えていました(笑)。

さて、明日は零下2度。長袖長ズボンと帽子をかぶって、上履きで1時間目はつるつる滑る予定。楽しみ楽しみ。こういう意味の無いことや役に立たないけど面白いこと、全力でやってみる。そんな小学校時代を全力で応援中。そしてそういう大人も募集中(笑)。

2021年はバスケに夢中でした

2021年も終わりに近づきました。今年をふりかえると、一番はバスケ。本気で熱くなり魅了され続けてきたのがバスケットボール。この一年間はほんと夢中になりました。40代半ばですが、もちろん「現役バスケットボール・プレイヤー」です。

これまで仕事で得た知見をフル活用して、目標設定し、動画でふりかえり、文献にあたり学び続け、身体づくりもしてきました。バスケ理論学び、身体化するそのコツもわかってきたところでもあります。その甲斐あってかDUNK TOKYOが主催するDUNK CUPのD5クラスで参加62チームの中で、年間優勝できました。なんと、来年は年間通して3000円割引にもなります。地味に嬉しい。

終わってみれば圧倒的な勝利。コロナ禍においても体育館を調整し練習し続け、毎月の大会をこなし続け、15勝7敗の勝率0.68でした。40歳以上のシニアクラスのS2大会では、さらに上の11勝5敗の勝率0.71でした。その間、今年は毎週の練習が46回。本当によくやりきりました。

そんな僕らのバスケチームのモットーは「平等」であることです。上手い人も、そうでない人も等しく同じプレイタイムがもらえるタイムシェアがチーム方針。そして、来る者は拒まず、去る者も追わずで、いい心理的距離感でやってきました。上級者の動ける人だけを集めれば優勝をねらうのはついやりがちですが、それは短期的にはチーム運営は上手くいくかもしれませんが、中・長期で見通したときは、そういうチームは長くはつづきません。

なぜって? そりゃ誰もが同じように歳をとるし、だんだんと走れなくなるし、シュートをぽろぽろと落とすし、下手くそになるからです。そして、それを受け入れなくてはいけなくなってきます。でも、それでいいんです。下手っぴだって、夢中になって楽しめることが日常にあるってことが、僕にとってはとても大事なことなんです。それが上手い人だけで固まっているチームはおもしろくないんです。試合に出られないから(笑)。

僕らのチームは「初任者の同期のメンバーでバスケやりたいね」と立ち上げて、はや18年目。繰り返します。18年目です。よくもまぁ、こんなにも長く、毎週バスケを欠かさず続けてきたと我ながらあきれてしまうほどです。この情熱を仕事に裂いてたら今頃!なんてことはみじんも思いません。だって、何よりバスケが上達することや、チームでプレイできることが楽しいから。

途中、勝利を目指すのか、それともファンバスケを目指すのか、存続の危機もありましたが、「平等」と「マナーよく・プレイヤーリスペクト」をモットーに、常にメンバー内の合意を大切にして、のりこえてきました。2組のカップルも成立し、結婚式では6組ほど司会もしました。冬と夏にはバスケ合宿もしていた時期もあったし、海外マレーシア合宿、NBA観戦へもできました。今では、それぞれの生活のステージもかわり、結成当時メンバーは僕を含めて3名ですが、それでも毎週20名近いメンバーが集まり続けています。

決して上級者のチームではありませんが、決して初級者ではなくなりました。個人でできないプレーは、チームでカバーしあいます。動けないときはそういう「つもり」でプレーしています。うまくいかないことばかりだけれども。だから練習時間の多くは、チームの合わせ練習がメインとなっています。

現在は、下は高校生から上は60歳までの大所帯。学生時代にバスケをやっていて、本当にバスケが好きでたまらない人たちばかりです。僕に限っては、バスケは部活経験さえもないずぶの素人からスタートでした。しかし、もちまえのコダワリ気質でなんとかチーム内ではエースと呼ばれるところにまで成長しました。とは、誰も言ってくれないので、ひっそりとこれからも勝手に思っているところです。

メンバーの中には、専務、社長、工場長、副校長、管理職から平教員の僕やバイトまで、いろんな人がいます。年齢層もやや高くなってきた、いいおっさんたち。おなかまわりの脂肪を抱えつつも、20代の若手に負けじとボールを追いかけ、コートを夢中になって走り回っています。僕は、本当にいいチームだと思っています。数あるスポーツチームの中でも、とても居心地のいいチームだと、自負しています。

毎試合後の反省会という名のお互いのナイスプレーを動画を見合いながら、たたえ合う会と、チームの未来を語り合うのは本当に至福のときです。職場だけでは出会えない人たちとも出会うことができたこと。それはただのバスケだけのプレイではなく、人格的にも尊敬する人とたくさん出会えることでもありました。畑でとれた野菜だけでなく、我が家の愛猫ニャオタローもチームのメンバーから、ゆずってもらったものばかり。仕事とはまったく別の世界のメンバーとゆるくつながれていることは、僕の人生に豊かさを与えてくれていると気付きました。

バスケに出会ってほんとによかった。風邪引くこともなくなりなりました。コロナ禍の精神的プレッシャーはバスケで解消されてきました。膝の痛みは大腿四頭筋とハムストリングスを鍛えることで、すぐに解消もされました。生涯スポーツのはつらつチームとして、文科省から表彰される準備はいつでもできています。

正直、この年になってこんなに仕事以外に夢中になれることがあるなんて!とつい笑ってしまいます。スポーツに歳は関係ないんですね。もっと上手くなりたいし、もっとチームプレーも上達するといい。今回の年間優勝はただの通過点にすぎません。何よりも末永く、楽しくプレーを続けられること。そういう仲間たちとおもしろがれること。そのために、チームを大切にし、つくりつづけ、かわりつづけ、その後に結果がついてくればそれでいい。それくらいが、今の僕らのチームにとってはちょうどいい。もっともっとプレーしたいです。

自分史上、今が1番、体がしあがっている時。今が1番プレイが充実している時。けれども、数年後、いや、60歳になって今の自分を振り返ったときに、「あの時はへたかったなぁ。バスケの本質を分かってないな」と、さらに上達できるといいな。さぁさぁ左ドリブルと左ドライブを練習しましょう。

DEAR バスケットボール ありがとう。

ちなみに今年のチームグッズは、バスケットボールソックスです。チームのロゴが入って一足850円。ご家庭、職員室のみなさんに配りたい方は、お知らせください。

今年のパフォーマンス。自身をふりかえるためにも。のこしておきます。ご笑覧を。

しぜん広場から学んだこと

いよいよ分散登校も終わり、今日から学級全員、一同に介して顔合わせができた。今学期はじめてのこと。子どもたちもワクワクしていた気持ちと緊張の半分だったと、今日のふりかえりで教えてくれた。

さっそくいつものように、みんなでしぜん広場へ遊びに行った。ターザンロープにゆられ「イガせん、押して、押して」とせがんでくるので、大人の本気を教えるべく、おもいっきり押し上げた。その勢いで、大きくゆれたブランコとその子は樹木にまで足が届き、驚きながら大笑いをした。

そして「なんか甘いいい匂いがするね」と。ふんわりとやわらかい香りが漂ってきた。先週末のターザンブランコでは、まだその樹木は深緑色の葉っぱだったが、今朝はキレイなオレンジ色の花をつけていた。この週末で一気にキンモクセイの花が開花したのだ。遠目に校長先生がこっちを向いて笑って、写真を撮っていた。

この1年半は何か新しい教育実践がなかなかできていない。勤める学校は首都圏ということもあり、通勤、通学の蜜を避けるため、時差登校を続けている。そのため、これまであった潤沢な授業実践の時間も、なかなか確保されないでいる。しかしその中でも細々と1年以上取り組んできていることがり、それが毎朝のしぜん広場の時間。

こんな都会の小さなしぜん広場でも、四季折々の変化を五感を通して充分に感じられることを知った。これまで本で読んで分かって気になっていたことが、経験を通して初めてわかることが多い。

学生時代の子どもたちとのキャンプ経験をいかし、元はといえば自然教育をやりたかった。教員一年目は「県で自然豊かな秩父の奥地に勤務したい」と希望していたことを思い出した。しかし「本当に自然教育が必要なのは都市部ではないのか」と、なんなく面接担当者に諭され、しぶしぶと都会の学校に勤務することに。と、思いきや幸運なことに配属されたのは、その中でも学区には信号一つ(しかも歩行者信号!)の小規模校だった。校舎は田んぼの真ん中にあり、田植えの時期になると、カエルの合唱が深夜まで聞こえてきた。今でもカエルの鳴き声を聞くと、教室の窓を開けて(扇風機さえなかった)、授業準備と奮闘していたあの頃を思い出す。

しぜん広場の子どもたちは、池で泳いでいる小さなカエルたちを小さな手で捕まえるのに夢中。「手がぬるぬる」と嬉しそうに見せてくれる。「つかまえたけど、足が曲がった」と、池に逃がしてあげるとカエルは白い腹を上にして沈んでいった。ぬるぬるや繊細さ、こういう自然を普通に味わうことを大事にして行けたらいいなと思う。

将来に必要なあのコンピテンシーやあのスキルを磨くためといった、アプローチとは異なるかもしれない。けれども、自然に思いを向けたり、感じたり、今しか学べないこと、その根っこの部分を大切にしていきたい。コロナ禍により、世間がオンライン授業やGIGAスクール祭り盛り上がっている中、少しスピードを落として、こういった豊かな時間を子どもたちと味わうことを忘れないようにしよう。

子どもたちの中には「しぜん広場に毎日行くのはいいとしても、雨の日にもどうしていくのよ! 晴れの日だけでもいいでしょ」と詰問してくる子もいる。クラスのみんなに同じ事を問い返してみると「雨だともっと楽しいじゃん。さぁ行こう」と勢いづくのが、この1年間の成果だと自負したい。

先週は雨が多かったので、傘をさして行くことに。まだ着替えも持ってきてないから、そんなに汚すなよって言ったけど、無理。築山のぬかるみでさっそく転び、背中とお尻が泥だらけ。池の中に両足を突っ込んで、今がシャッターチャンスだと写真を催促する子もいた。そしてその横で傘をさして、それを楽しそうに見ている子たちもいる。それでいいと思う。

しぜん広場から学んだことなんて何もないかもしれないけど、たくさんありそうだ。

パスタが好きでたまらない

たまにある土曜出勤。学校説明会のオンライン個別相談をした。画面をずっと見ながらだったためか、午後にはもう前頭葉が痛みを訴えていた。

夜は、妻が予約してくれたイタリア料理店「LA BETTOLA da Ochiai(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ)」で食事した。普段はなかなか予約の取れないお店だが、コロナ禍でもあり比較的自由がきくため、定期的に通わせてもらっている。

雨の降りしきる銀座。どこも感染対象対策がなされているが、妻と食事をしていることがこっそりと密会をしている気分で、どこか悪いことをしているような気分にもなる。とはいうものの、目の前に美味しいそうなチーズとトマトソースパスタがくれば、そういう気持ちはすっかり晴れてしまう。

イタリアンが好きな僕は、敬愛する落合シェフの味に近づくように日、ここで食べたもの五感とコスモをフル活用してその場ですぐさま長期記憶インプットし、自宅に帰っても調理できないか、常に試行錯誤している(からすみパスタ、ウニクリームパスタは家でもなかなか好評)。そして、この本には本当に学ばせてもらっていて、今の僕の食人生に豊かさを与えてくれたきっかけとなっている。

僕は凝り性なところがあり、他の落合本のおかげで、自分でも納得のいくトマトソースパスタもそれなりにつくれるようになってきた。

そして、僕にそのパスタ道の道を開いてくれたのは川越のピザ屋 Pizzeria PINOの店長さん。毎週木曜日にしつこいほど通わせてもらっていた。週の半ばのこの息抜きが本当に好きだった。この時代、驚くほどの「塩対応の人」だが、実は娘思いの本当にいい人でしかない。川越から引っ越すときには、パスタ用にアルミフライパンをプレゼントしてくれた。パスタ料理のイロハについて口伝式で繰り返し教わった。文字通りおいしいパスタもこっそりと作って味見もさせてくれた。

こういう本からの学び、実体験と、そして実際の試合(料理して食すこと)があるから、もっとおいしいパスタをつくりたいと思う。そして、また国際試合しにイタリアへ行きたい。

僕が人生で食べた一番おいしいかったパスタは、ローマの下町店で食べた「アマトリチャーナ(塩漬け豚のパンチェッタと羊のペコリーノチーズをあわせたトマトソースパスタ)」。あまりにもおいしくて、しばらくはこれしかつくらなかったら、パンチェッタの匂いをかぐだけでさすがにいやになった。笑。

食したその日にイタリア友人宅にて再現。イタリア人に食べてもらって寸評をもらったが、彼らはパスタを心から愛しているので快く受け入れてくれた。

大切な人にちゃんと別れを伝えたい

僕はこのコロナ禍において、人生の師と仰いでいた大切な人を失くしている。コロナの時期とあって、葬式は家族葬だったため弔問することはできなかった。別れを告げられず、心の中でまだずっと悲しみを引きずってしまっている。

その方が亡くなったことは、スーパーの買い物帰りの小雨降る中で知らされた。当時、同じようにお世話になった仲間から電話で亡くなったことが告げられた。せめてお悔やみだけでもとご家族へ電話をした時には涙が止まらなくなってしまった。不思議なことに、いつもは座布団の上で寝ている愛猫ニャオタローがその時ばかりは僕の横にそっと付き合ってくれていた。

数え上げるときりもないほど僕の中にその方の魂や言葉、宿っている。そして、いたずらな一面さえも。その中でも特に僕にとって一番大切なことをここに改めて残したい。

当時僕は、教育相談室で働いていた。1日の出来事を思いつくまま記述し、毎日カウンセラーのボスであるその方と、一日に起こったことをボスの見取りで解釈し直す日々だった。不登校や学校不適応の子ども達は「やりたくない」「めんどくさい」といった無気力で批判的な言葉が多い。しかし、実は本当は「やってみたい」といったまだ身体と心が整っていないアンビバレンツな心情であることを、繰り返しどのケースでも教えてくれた。

ときに支援員としての僕への暴言や暴力的な態度は、子どもと僕との安心感からくる依存関係だということなども教えてくれた。その支えがあったからこそ、子どもたちの矢面に立って自信や失敗覚悟で関わることができた。どれも今となっては人を「見取る」ということがどういうことなのか、身をもって(実際に殴られたりもしたが)経験し、理解しようと奮闘できた原体験だった。

その方から教わったことを教育相談室報へまとめあげた。平成13年のことだった。僕なりにまとめた「穴理論」は今の僕の子どもの見取る原点となっている。といっても、そのまとめでさえも、文章が究極的に苦手な僕に手取り足取り書き方まで丁寧に支えてもらい、できたようなものだったが。

不登校や発達に凸凹をもつ子どもは、深い穴底に落ちて社会から断絶しているようなもの。穴の上からいくら「登っておいで、這い出ておいて」といくら呼びかけても登ってこられない。支援員としての僕がその穴の底へ降りていって(このいかに降りるのかという行為が本当に難しいのだが)、「こんなにも穴は暗く、深かったんだね」とあるがままに受容し、「穴の底から見る景色」を共感すること。子どもは、その穴の高さは一人で登ることは無理だとしても、支援員がそばにいてくれることで、小さな勇気を持ちその高さが自分の力でも登れそうだと感じられチャレンジするようになる。そして、登っては落ち、落ちては登ることを繰り返しながら、自分でいつの間にか穴から這い出て社会復帰していくようになる。この穴底に降りることと、受容、共感できるかが今でも僕にとって変わらず課題となっている。

コロナのため弔問できず、心の中にずっと静かに悲しみを抱えていたことに気付く。コロナがおちついたとき、その当時があっての今自分があること、感謝を込めて挨拶に行きたい。そして、ちゃんとお別れを言いたい。それができないことがとてももどかしい。