数学者の時間

数学者の時間② ミニレッスン1「数学者とは?」計画案

数学者の時間の研究に取り組むに当たって、いかに事前の計画(年間、単元、1コマ)が大切かが身に染みて分かってきました。「学習の見通し」がなければ、その場しのぎの実践にならざるを得ないってことなんですね。

けれどもこれがくせ者で。やってみないと学習の見通しは立たないという矛盾もあります。僕の今の立ち位置は、「事前にまぁまぁ準備して、毎回の授業を振り返りつつ修正しつつ、子どもたちと一緒にゆられつつ、授業を作っていく。」そんな感じです。やりながら、子どもの夢中にも巻き込まれながら、盛り上がっていく、それが楽しいんですね。だから、何年たっても、ふんわりとした見通しはすぐに立つのですが、キッチリマンにはなれそうにありません。

この1コマ目で大切にしたいこと

・数学者の時間とは?を知ること。
・良問を解いて、算数には算数授業だけではないオモシロさがあることを実体験を通して知ること。

事前の準備したもの

・イガ問3問(3方陣3×3、4方陣4×4ヒントあり、円陣2×2)
・子どものつまづき予想例
・解答例イガせん数学者ノート(いつ見てもいい)
・「数学者の時間とは」プリント(穴埋め)
・授業記録ツール(模索中)

子どものつまずきやレディネスについて

・3方陣だと、解答のひっくりかえしの2パターンあることで混乱しそう。
・系統的に順番に解く見通しがない→個別にカンファ(順番でやるよさを実感させたい)
・ノートに書こうとしないで、答えだけだそうとする子がでてくる。→思考をゆっくりするための記録、そのよさとは?を考えたい。

・子どもたちのこれまでの様子から3口の足し算はできそうとみました。事前に子どもたちにとって何が良問であるのか?を議論してきました。それは、「今の子どもたちにとって良問であるのか?」というレディネスそのもの。解法が多様にあることやオープンエンドの問題であること、それらは良問であるけれども子どもの実態(まだ思考体力が育っていない状態)では良問とは言えないこともあることが分かってきました。このあたりは先生一人ひとりの千里眼。子どもを見立てる実力に左右されてしまうだけに、今後、なにか指針を見つけられるといいなと思っています。

授業の大まかな流れ

  1. 授業のおおまかな流れML:優れた問題解決者とは?10分間 ★語るだけではだめだろうな。実感が伴わないと。だから短くしておくこと。
  2. 問題→計画→とく(一人で/友達と)
  3. 共有:順番で3口の足し算を確かめている子を選んで、解答法を発表。

さて、授業にすすむぞー。

数学者の時間① 算数アンケート

実践の記録も残していこうと思います。

数学者の時間に取り組むにあたり、毎年、算数アンケートから始めます。今年は2年生。素直な子どもたちいっぱいです。

アンケートって鏡。これまでどんな算数世界とであってきたのかがはっきりと見て取れます。だから自分自身の反省の材料にもなる。これまで僕の傾向としては、利用する生活にねざした算数の意識が弱いところがありました。この辺りは今年、成長していきたいところ。

多くの子どもたちは算数がスキ。特に今年になって「先生、友達に相談できるのがいい」とのことでした。また、算数では、課題を終えた際のイガ問(発展問題)がなかなかおもしろいようです。家にまで持って帰って、親子で考えてもらったりしてくれて、嬉しい限りです。

ただ、算数関連の習いごとをしている子にとっては、「考えることがめんどくさい」って子が何人かいました。じつはこういうことって、子どもたちの生活場面とつながっていることが多々あったりして、教科だけが分断しているとは思えなくなっています。

考えることの楽しさ、考えることのよさが、数学者の実践を通して、伝わっていくといいなと思っています。半年後、改めてアンケートを撮り直したときにどうなっているかな。

あー。楽しみ楽しみ。

算数アンケート

今年のテーマは「算数する?」 算数メガネで日常世界に再発見

コロナ禍もあり、今年の算数は余剰時間が十二分にとれなさそうです。それを今更、嘆いていても始まらないので「今年はどうやったら、昨年度までのような問題解決のサイクルを学び、それを使った算数探究へ突入することができるか?」を考えていました。

しばらく一人でゆるりと考えていましたが、あんまりよいアイディアはひらめかない。それでもしばらく考えようと、頭の片隅においときながら数日をすごしていました。すると、閃きは急にやってきました。

数学者の時間の研究メンバーと週末の朝、ミーティングで2学期以降の計画を検討していたときのことでした。「これまで通りができない今年度なら、年間通して一辺にやってしまえばいいんじゃない!?」と閃きました。

独力で考える時間は大切です。それには手書きノートがいいと思います。これについては、探究自学ノートを大人で取り組み始めた。一人で考える時間がある程度あるからこそ、対話したときに閃きが降りてくると思います。対話はそこをつなげてくれる装置です。ただし、思考したことを自由につなげられるかは、信頼できるかメンバー構成の対話に大きく影響されますね。

昨年度まで、丁寧に学期ごとにステップを踏んできたことを、ぎゅっとシュリンクさせてよりダイナミックに年間通して一辺にやってしまおうという魂胆です。算数授業において、「年間算数テーマ」で串ざして、算数の時間でも数学者の時間でもいつでも同じように年間算数テーマを追求していく。

イメージとするとPA(プロジェクト・アドベンチャー)でビーイングを作り上げるようなもの。抽象度の高いもの(例えば「フルバリュー」とか「算数する」とか)を試行錯誤することで、より具体的にしていくプロセスに焦点を当てながら、その年間算数テーマをそのクラスやその子に応じて定義づけていけばいいじゃん。これおもしろそう。

ドストライクでした。これまでの算数では、①算数の授業で学習内容を学び、②それを使って数学者の時間でさらに理解を深められるように、テーマを設定してものづくりをし、算数探究をして発展させていくといったような、二つを並行して扱っていくデュアル・プログラムでした。これを融合させて、一辺にやってしまうアイディアで、よりダイナミックな学びになるはずです。

そこで、年間算数テーマに「算数する」を設定することにしました。残りの2学期間を通して、どの教科書単元も数学者の時間の算数探究でさえも、「算数するとは?」を明らかにしていく、そんな学習テーマにしました。

そもそも算数するってどういうことなんでしょう? 教科書を学んでいるときは、算数している? うーん。どちらかといえば、「算数できる」になっているかもしれません。それを使ってみるといった視点はつい欠けてしまいがち。

この算数するって、算数メガネ(形状は絶対に丸メガネ設定で)をかけることなんだと思います。これまでは自分の世界の周りにはまだ見たことのない知らない算数世界が隠れていて、それを海賊王になるかのごとく算数探究をしてさがしにいく、そんなイメージでした。

でも、それはちょっとちがう。たくさん予習をして、どんどん先に進むことが学びを豊かにすることとは僕は思っていません。先取り先取り、知識を過剰なまでに増やそうとすることに加担したくはないのです。それよりも、今ある少ない知識を上手につかうことで、いろんな発見や問題解決ができること。そのほうが、安心して知らないでいられる。考える楽しさもあるし、大人になってからでも知識がないことへのコンプレックスもなく、知らないことは頭をひねることで、必要なら知識を増やせばいい。そのぐらいに思えた方が、人生楽しい。

「算数する」ことを考えたとき、今ある自分の世界やこれまで経験したことのあることやものを広げるではなく、算数メガネで見直すことで世界を再定義する。つまり、これまで知っていた世界がまた別の世界として観られること、そこに豊かさを感じています。

少ない知識であれこれ使って、創造的な問題解決の練習をする。知識を増やしていくアプローチではなく、いまある知識を使って見え方を豊かにしていくことなんでした。ここに僕は先日、投稿をして、本意があるんです。

「知る」だけではだめで、やっぱりそれを「つかう」こととセットなんです。「できない」「わからない」などの知らないことへの不安はすぐに換気されますが、知っていること使っていない事への不安は起こりにくいからこそ、なおさらです。

そこで、学期の最後に子どもたちと「2けたー2けた(または2けた+2けた)」の問題づくりをしました。そこでは、ただの「2けたー2けた」をつくるのではなく、生活の中から、または、実際にありそうな数を見つけて、問題づくりをすることにこだわってきました。

子どもたちは問題をつくる楽しさをいっぱいに感じています。すると「2年西組が86人います」と誰もがつくろうとします。より大きい数を扱って、問題を少しでも難しくしたいんですね。でも「西組86人もいませんから〜!」と。みんなで笑いました。

けど同じ問題は他にもでてきます。バナナだって86本もふつう買わないし、86こもケーキは買わない。このさじ加減がが難しい。ここからが苦しむとこでした。実は「86ー29」なんて実生活の中で、なかなか見つからないし、そういう目でそもそも生活をみたことがない。ここに算数メガネで見直すおもしろさがあると思うんです。

それでも、子どもたちはサクッとそこを乗り越えていきます。一人で考え、友だちとも考え合い、なかなか面白い問題でも生まれます。この時期だけにコロナの病人数問題は100に近い数として実感がありそうです。また、子どもの世界でありそうな繰り下がりのある妖怪問題(妖怪は絶対にいる!そうです笑)なんてのもありました。

これらの問題は、印刷して夏休みのドリル宿題にしました。学年みんなで取り組んだので、問題数は学年人数分です。算数プリントの宿題が一番多い学年でした。笑。

算数するってなんだろう? 

今年は算数メガネをかけて、今いる世界を算数で再定義していくことに探究していく、そんな実践を子どもたちと模索していこうと思います。

深い学びの起動スイッチは、教材への愛でした 美しい算数編2

PBLや探究のもつ、子どもたちのあの「わっ」とした学びの雰囲気がとても好きです。教室内が騒然となり、それぞれが夢中に自由勝手のように学んでいる。でも、そこには教師の見通しと支えがある。子どもたちにとって、「今日もあの勉強がある!」と楽しみにしている授業。

でも。。。

ここ数年、そういう学びが本当に「深く」学べているのか? 授業へ取り組んできて、そんなふりかえりが度々生まれます。悩みながら取り組みつつも、ようやく一つ、自分の中で納得のいくやり方のようなものが、プッと見えてきました。プッとです。

一言でいうと、教材への深い愛。。。そうなんだ、きっと愛なんです。まるでなにかの歌詞のようですが。

この3学期、「数学者の時間」の総まとめとして、探究算数を進めています。それを算数アドベンチャーと呼び、子どもたちの探究をていねいに支えていこうと取り組み始めたところ。この探究算数がなかなかのくせもので、一体「なに」をテーマにして探究し、深く学ぶのか? その子どもたちが学ぶべき「なに」をどう設定して、扱うのかが、かなりむずかしい。それまでは、学級づくりや協同学習のスキルを練習してさえすれば、子どもたちは一人ひとりが夢中になってがんがん学んでいくんだろう、なーんとなく考えてしまっていました。探究という名の放任のようなものです。それが、それなりにうまくいってしまっていたので、なーんとくしか考えられなかったんですね。教師の力量と探究で扱えるテーマは比例する!?(比例関係は2倍、3倍したら、一方も2倍、3倍することをいうので数学的には正確な表現ではないですねー)。

数年前に、一人ひとりが探究のテーマをもって、数学者学会発表する形式はやったことがあります。あのときの3年生の子どもたちの発想は本当におもしろかったです。

「自分だけのオリジナルの角度づくり」
「教室内に描ける最大円の半径とは」
「地球は何回まわって何秒前にできたのか」
「新しいかけ算の筆算の仕方」など。

こっちも頭をひねりながら、試行錯誤の3学期間でした。

一人1テーマの探究算数だと、さすがに多過ぎ! 当時は、一人ひとりをカンファランスしきれませんでした。数学者の時間の研究仲間たちからも意見があって、「クラスでこれまで学んできた単元から2テーマ」が妥当ではないか? と議論を重ねてきました。そこから、いつかは「年間を通した、一人ひとりがそれぞれの問いを追求する探究算数」をやりたい! そこにつながる学習のステップはなんだろう? 教師がどういうことを身につけていけばいいのだろう? 全く未知の領域でした。  

一方、昨年の3年生では、クラス全員で「数字をつくろう」をやりました。全員が同じテーマ「数字の歴史」でオリジナル数字をつくることで、探究の素地を耕してきました。あのオリジナル数字づくりがうまくいったのは「教師が教えることの焦点化」が、できていたことにつきます。

どういうことかというと、探究算数で扱う教材テーマを「数字の歴史」にしぼりました。そのテーマ関連で子どもたちに示すよい絵本をなかなか見つけられず、自分でつくってみたのですが、今となっては、それが一番といっていいほどの教材研究でした。教えることを「数字の歴史」に絞ったからこそ、安心して集中して教材づくりができました。授業の中で見せる子どもたちの間違いや戸惑いをいかしながらも、十進位取り法のよさや、0の発見のすばらしさにつなげるミニレッスンがつくれました。また、それを補う何を個別に関わったらよいのかの明確なカンファランスができてきました。結果、教材への圧倒的な知識量や理解が自分の中に自信となって下支えしてくれ、授業の中で子どもたちの不確実な発言もどーんと対応できたのだと思うのです。ここまで、「学び方」を追求してきて僕にとっては、「教材を絞り、教師がまず深く知ること」がバランスをとってくれる最後のワンピースを見つけた思いでした。

今年は持ち上がり学年なので、クラス全員で1テーマから、一歩でもステップアップしたい。それには先ほどの「教材愛」が欠かせないんです。そういうことが、自分の力量とやりたい授業の開放度と関連しながら分かってきました。残念ながら、ひとっとびに教師は成長しないってことですね。僕にかぎってのことかもしれませんが。。。

もう何年もまえのこと。総合的な学習の時間で「環境」で8グループの8つのテーマで探究学習に取り組みました。あのときは、パンクしました。ぼくからのカンファランスの手が足りずに、ネコの子も借りたい状態でした。実際、英語支援員さんとかにも、教室に入ってもらって子どもの相談に一緒にのってもらっていたほど。でも、当時の僕は、カンファランスで「どうにかしよう」と思っていたんですね。でも、そうじゃなかったんです。探究テーマって、その場しのぎのカンファランスではなんともならない。残念。でもこれ事実。大事なことなので、もう一度書きます。個別指導や個別のグループ相談したところで、探究が進むかといったらそうじゃないんです。今風に言えば、カリキュラムデザインです。ひらたく言えば、学習者が学ぶことの単元計画への綿密な準備です。

あの当時は、メンバーの組み合わせと、子どもたちの潜在能力の高さ、さらには各テーマが面白かったせいもあり「たまたま」うまくいってしまいました。だからこそ、ここに気づけませんでした。あのとき大事だったこと、それは、8テーマのそれぞれをしっかりと教師が「見通し」をもっていることだったんです。

それを「数字をつくろう」をじっくりと教材化することで、分かってきました。つまり、教師があるテーマを教材として扱うとき、「この単元でこんな力を身につけてほしいし、その証拠をものづくりで示してほしいぞ」「学習のスタート場面では子どもたちはこうなるだろうな」「中だるみしがちな中盤では、こんなつまずきにスタックしそうだ」「学習のまとめのころにはこういうことができるだろうな」「こんな基礎知識をもっていたら、飛躍するだろうな」などといった、そのテーマの明確な見通しがなければいけなかったんですね。

あたりまえっちゃあたりまえでした。

これを、協働学習を生業とする教師は、メンバーの組み合わせと場づくりでなんとかしてしまうしできてしまうから、教材を愛し興味を持って教師自身が探究し続けること、そのことが見えにくくなっていたんだと思います。

探究学習ってなんか、すごい盛り上がるし、勝手にがしがし子どもたちが学習を進めていってしまう! なんてところについ目がいってしまいがちです。本当にそこで好奇心をもって、学んでいるその「何か」を教師が各テーマごとに準備できていると、もっともっと深く学べるはずなのに。

そういうことなんですよ。

アクティブラーニングとか、協働学習、個別学習とか「教え方」とか「学び方」に夢中になっているときは、とくに気をつけた方がいいです。教材への洞察が浅いと、学びはあっさり薄口さっぱり風味になってしまいます。すると、なんのために仲間の力を使って学び合うのか、構成主義の学びのよさとは一体なんだったのかが、見えにくくなってしまいます。学びを通して、その算数のもつ本質を味わいたいですよ!

自分の得意とする教材を生み出すことです。それを繰り返し磨いて自分の必殺技にしていくことです。PAのアクティビティでいったら、僕にとってはパイプラインのようなもの。先に挙げた「数字をつくろう」のようなもの。これさえあれば教師に見通しもあって、子どもたちは夢中になって好奇心を発揮し、学びが深まっていくっってものを確信。

そこで今回、僕は算数アドベンチャーは、ちょっとだけ背伸びして8テーマにしてみました。
角、平面図形、しきつめ、対称、平行と垂直、音楽、円、点と線
おもしろそうでしょ! 確実におもしろくなります。

これはとこの2年間で学んできた単元をより深めるためと、日頃の自学ノートからくる子どもたちの興味関心、そして、この8つのテーマなら、僕も図書資料も合わせながら、なんとかたえうるから。さらに、僕自身が教科の本質を追究していきたい気持ちだからです。

こういった、紆余曲折があって、各テーマをくしざす今回の大テーマである「算数の美しさとは?」にたどり着けました。

数学者の時間 子どもの思考は力わざだ

三学期も始まり、落ち着いた日常がもどってきました。久しぶりの数学者の時間は、トピック問題でクラスの子からもらった年賀状問題から。最近、子どもたちからの年賀状はオリジナル問題を送りつけられてきます。それもまたよし。

これはなかなか頭をひねる問題でした。しかもうっかりミスも問題の中にあり、さらに難易度を増していました。ならばこれを授業で使わない手はないな、とさっそくみんなで解いてみることに。


二学期の復習もあり、問題解決のサイクルの「問題」「計画」「解決」「ふり返り」を忘れずに〜と声がけしました。「そうだそうだ。思い出した」などといいながら、数学者ノートに、計画を立てて取り組みはじめました。

改めて思うけど、こういうこれまで解いたことのない未知の問題は、解決の見通しとして「使えそうなこと」は最初は当てずっぽうでしかない。解き進めていくうちに少しずつ勘所がわかってきて、解法の見通しがたってくる。それでいいと思うし、そうでなければ、「教科書のように前時のアイディア使えさえすれば解決の見通しが立てられちゃう」思考から抜け出せないだろうな、そんなことを感じました。

二学期に学んだ「計算のきまり」を使っての問題。答えを組み合わせると、なんかの言葉ができるとか。多くの子たちはまずはためしに自分ひとりで考えたいと取り組んでいました。しばらくして、思い思いに立ち歩きはじめ、年賀状の送り主に「ヒントちょうだい!」ってすりすりしていました笑。

四則計算は解けるけど、その数字を使って「言葉をみつける」段階がわからない。だれもが頭を悩ませていました。すると、その答えを「きっと言葉は、イガせんことしもよろしくだな!」と無理やり推論してみて、その解答にあてはまるような50音暗号の組み合わせ試し始める子が増えてきました。このときがこの時間のハイライトでした。まさにアブダクション(推論のひとつで仮説思考。シャーロックホームズはこういった思考が得意ですね)! 強引な解決にみえるけど、すごい力業の論理的思考。じっくりとあきらめない思考体力だけでなく、瞬発力ある思考力がすばらしい。

余談だけど、このアブダクション(という言葉は使っていなかったけど)と同じことを、国語教育でもだいじだねって、内田樹さんがブログに書いていました。長いけど、人がどう育つってことはとても示唆に富んでいる指摘です。
アブダクションの本ではこの本がとてもおすすめ! 帰納・演繹をていねいに整理されています。

その後、じわじわと答えをだそうと広がりつつありました。が、ここでタイムアップ。後でノートを見てみると2〜3人が解けていました。「もっとやりたいー!」「ひさびさに頭つかったー」と三学期1発目の数学者の時間が終わりました。

次の時間はいよいよ数学的思考ミニレッスン10のまとめへ。そして、問題解決のサイクルを使った探究学習の算数アドベンチャーがはじまります。

第1章「脳の最良の学習方法」「Upgrade Your Teaching Understanding by Design Meets Neuroscience」

冬休みばんざーい。ゆっくりと本を読める時間がとれるのがなによりもありがたいです。

さてさて、「Upgrade Your Teaching Understanding by Design Meets Neuroscience」の第1章「脳の最良の学習方法」についてふりかえり。

この章は脳みそがどう動いているか?って話。良くも悪くも脳みそは変化しています。それを脳の可塑性というけれど。目や耳や音や味や触覚など私たちはたくさんの情報にさらされています。けれどもそれが脳みそに入ってくるのはわずか1%だけ! なぜなら脳みそは酸素や栄養素をぜんぜん保存できないから(それでも栄養素と酸素の20%を消費!)、超節約家のけちんぼ。だからこそ、サバイバルにいかせそうな情報だけを取り入れています。それが、パターン!

脳はこのパターンの変化にとっても敏感です。新しいことやこれまでと異なること、予想していなかったことや変化していることなど、これまでのほほんと生活してこれたことに、急遽変化が起こることに大きく反応してしまいます。

私たちの脳みそは、すでにインプットされているパターンに新しい情報を関連付けて知識を増やしていきます。すでにあるものに付け加えることで、脳みそを効率的に動かそうとするからです。まあ!なんてケチなんでしょ!

つまり、脳はパターンを通して理解すると脳にとってもやさしいってこと。けど、それだけだと脳は活性化しません。同じ事の繰り返しで退屈で飽きてきてしまうので、必要な情報として受け付けてくれなくなってしまいます。だから、脳には刺激が必要なんですよね。

脳が活性化するときは、脳はこれまでにあるパターンを使って、この先に何がおこりそうなのか「予想」しているとき。その予想があっていれば、大喜びをしてドーパミン(やる気を高める神経伝達物質)をどぱどぱ出して、大喜びして、さらに強化されていきます。これを繰り返すことで、より正確な予想ができるようになってきます。そして、これがまさに学習に応用できるってことです。しない手はありませんね。

”パターンを予想することによって導かれるこの予測能力は、成功するリテラシー、計算能力、受験、適切な社会的感情的行動、および理解の基盤です。予測の成功は、脳の最高の問題解決戦略の1つです。”

つまり、すでにもっているパターン、ここでは既有知識に結びつけて、新しい知識が獲得されていくため、このすでにもっている知識を使わない手はないってことです。これは、エビデンス本『学習に何がもっとも効果的か』にも繰り返し出てくる話です。

余談ですが、この知識の積み重ねがないと、一体なにに関連づけて教育していくのかわからない。だからこそ、そこまで何を身につけているのかを明確にする6年間の見通しや年間計画が大切になってくるってことなんですね。我、納得。

ちなみに、暗記は最も学習の転移がきかない、限られた文脈にだけしか効果がないことのもっとも悪い例としてあげられていました。短期記憶にいれられた新出漢字も、それが必要な文脈や豊かな体験がないと、長期記憶に送られないどころか、すっかり消去されてしまうということです。おそろしやー。

さて、この脳みそを効果的に使ったある有名な方法があります。そう何か、われわれは体験してきていることです。そう、あの不朽の名作で全世界で最もうれたあのゲーム「○ー○ー○○○ブラザーズ」です。

この章では「ビデオゲームモデル」を例に、生徒の学習を強化できると解いています。それは以下の4つ。

(1)望ましい目標の確立
(2)達成可能な課題の提供
(3)特定のフィードバックによる継続的な評価の提供
(4)最終目標に至るまでの進捗と達成の確認

マリオにあてはめると(あ、いっちゃった!)、
① ピーチ姫を助けるために(明確な目標)
② 繰り返し練習すればクリアできるコースで(達成可能な課題)
③ Bダッシュで穴をこえれば進めるし、落ちれば死んじゃう即座のフィードバックがあって(形成的な評価)
④ 今、8ー2まできた!と、どこまで進んでいるかが分かる仕組み(達成の確認)

この④のコースをクリアして、今8の2のBダッシュで越えなければいけない大きな穴のところまで来た!ってときに、それを越えたときに、ドーパミンをどぱどぱでるそうです。そう、少年ナオトはどぱどぱ出していたんですね。はずかしい。

”学習目標、その達成の証拠、および特定の目標が自分にどのように関係しているかについて明確に理解している場合、学生は関与して努力する可能性が高くなります。言い換えれば、目標は、脳が注意を集中し、エネルギー資源を適用し、課題が生じたときに持続するように動機付けるため、すべての学習にとって重要な要素です。”

ふむ。その通りです。ゲームに気付かずしばられていた仕組みがわかってきました。そこで、気になりなり、あの頃のゲームってそんなに考えられて作り込まれていたのでしょうか? 急遽気になったら、止まらない。この本を読んでみてすごい納得。

実なぜ少年ナオトがマリオやドラクエに夢中になってしまったのか? 実は巧妙にそうなるようにデザインされ、誘われていたことを今知る衝撃! マリオには明確な目標は設定されておらず(ピーチ姫を助けるの説明書を読んで後付けで知る)、右に進みたくなるようにデザインされていたってこと。あぁ、この本のアイディアも上手に使いながら、学習を予想とそれに反することをリズミカルにデザインしていけるようにしたいものです。

あー、楽しかった。

明日の第2章へと続く。

冬休み読書は探究の探究

冬休みに入りました。教室の4ひきウーパールーパーズも実家に連れて帰り、いよいよじっくりと「読む」時間を確保。

今年の冬休みのテーマは「探究」です。数学者の時間では、数学的思考を身につける問題解決のサイクルのミニレッスン10の単元計画に見通しがついてきました。これは現状の算数・数学授業をよりよくしたい先生たちに、自信をもって提案できそうです。

以前、数学者の時間を開発し始めた頃は、多くの問題を子どもたちにばらまいてしまっていました。今は、たった一つの問題に焦点をあてて数学的に考えることにしたら、あら不思議! 理想としていたことが全てつながり、ひとつの授業の落とし込めるようになってきました。いいすぎ!? 仲間の力も借りながら、自分で数学的に考える意図をもって確かめていく。子どもたちは、小さな数学者のようですね。少し興奮していますが、そういうことです。来年の秋に発刊できますように。

子どもたちが数学的な思考をわかりかけてきたことで終わりにしたくない! それを使ってさらにダイナミックに学んでいきたい! 生活と繋いだり、より抽象的にしたり、いっそうの算数活動に入っていきたく、この冬休みは「探究」をテーマにじっくりと読んで考えていきます。

この数学者の時間はチーム研究で取り組んできました。このチームも6年目。改めて先のステージへ進みます。それぞれが自立した学び手であること、または、自立した学び手であろうとすること。お互いがリソースとして高め合っていくには、やっぱりそれぞれが読んだり学んだり、考えて、やってみて、ふりかえってのプロセスを共有していくことが大切。自分の学びは他者の学びに責任があると思えているか。教わるつもりじゃいけない。講座や研修とはちがうのはここ。僕自身もこの冬休みにしっかりと学んで、いい学びを子どもたちとつくっていきたいと思います。

数学者の時間をいっしょに開発・実践しているメンバーたちは、チャールズ・ピアス著『だれもが〈科学者〉になれる!探究力を育む理科の授業』を読んで、探究の本質について研究しています。僕もそうしようと思ったけれど、あえて別の角度から多様な探究を見つめ直そうと思い、この本に挑戦。


Jay MacTighe, Judy Wills, M.D「Upgrade Yout Teaching Understanding by Design Meets Neurosience」

知識のつくり方で参考になる本だからと、先生仲間のりえこさんに紹介にされた本。しかも英語だし! ご多分に漏れず、夏で積ん読になっていたので、いい機会だから1章ずつ読み解いていくことにしました。今年出版されたばかりの、「逆さまデザイン+脳科学」の本です。今の僕の興味にばっちり重なり、数学者の時間の探究ユニット「算数アドベンチャー」授業には、逆さまデザインを使ってじっくりと授業計画をしてみます。


と、グーグル翻訳を使いながらも読み始めたはいいけれど、おもしろすぎてついつい関連の本も読み始めてしまい、なかなか進まず。第1章は脳科学に基づいた「脳にとって最良の学習方法」。脳みそ言葉が難しいので、すんなり読めるガイド本を別にさがすことにしました。

脳科学者の池谷裕二さんがなんともわかりやすい! 

これはまさに僕にために書かれたビジュアル脳のしくみ本。イラストや写真がいっぱいでこういうの大好き! 理科・生物の復習かな、と思って手に取ったけどぜんぜん当時と変わっていて、今はこんなに脳のことがわかってきたんだ〜と素直に感動。あっさり併せて読めました。


さて、この冬、算数アドベンチャーのはじまりです。

「数学者の時間」学習会

「数学者の時間」のメンバー5人で、原稿の今後のスケジュールを確認で集まりました。今週のPLC便りにもあったように、来年出版! いよいよです。

いまは、実践をより深め、実践でできていることをていねいに言葉にしていきます。出版の暁には、ぜひ、トライしてみてください。

昨日、福島のばんちゃんたちと新宿で会って話をしました。自己最適化の話をききました。教科を横断的にカリキュラムマネジメントして、ずいずい探究していく子どもの姿には魅了されます。今ならまた改めて、算数アドベンチャーとしての探究授業に挑戦してみると、学びの意味の捉え方が変わってきそうです。

僕はというと、反対に教科をつなぐというよりは、一つの教科を縦堀りしていくイメージをもっています。けど、不思議とばんちゃんたちと話しあっていることはどこか同じ事でもありました。

僕が大切にしている算数授業は「パラレル授業」で2つの時間が流れています。「数学者の時間」という年間を通して、学習者が試行錯誤できる時間。それに平行して、1コマ、1コマのテキスト算数授業が両輪となって動いている感じです。

試行錯誤する数学者の時間も、テキスト算数に影響されて深まりをみせるし、テキスト算数をやりながらも試行錯誤する数学的思考を運用していく機会ともなっています。

とまぁ、書いてはみたものの、ここ最近になってそういう効果があることが「継続」してみてわかってきたので、このあたりについてはもう少し、ていねいに研究していく必要がありそうです。今はそのうねりはじめの時期でしょうか。

今日の学習会で、あらためて確認したこと。数学者の時間は、数学的思考をつかった問題解決サイクルを回しながら、算数を楽しむ時間であること。これは、テキストベースの算数ではなかなか難しいところ。どうか、数学者も教科書も両者が上手に仲良く住み分けながら、お互い影響し合いながら、よりよい学びへと進化してく、そんな提案をこのメンバーたちでできるとうれしいです。

それには、まずはやっぱり授業。子どもたちと一緒につくっていけるよう、年末までは試行錯誤して、じりじりともがいていきますね。

あ〜、楽しかった。

脳を活かす4つの学び方

この4月より、スタンフォード大学のオンラインで数学の勉強を続けています。通勤の電車の中だけと決めているので、遅々として進んでいなかったのですが、ようやくコース3の「開かれた創造的なビジュアル数学」が終わりそうです。これでようやく半分。ふむ。


Jo Boalerさんの9月の新刊「Unlimited Mind(未邦訳:頭脳に限界ないよ!)」を出すとのこと。その出版CMで、30分ほどのライブ動画でありました。


そこで、算数・数学と脳みそとの研究結果が4つほど紹介されていました。ちょうど、今、コース3の内容とかぶるので、少しだけまとめておこうと思います。

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