数学者の時間⑤ ミニレッスン2の計画「1コマの使い方」

この時間に大切にしたいこと

・ワークショップ授業の1コマの使い方を知ること。

・ものを使って考えることで、様々な方法が閃くこと知ること

・問題をとくことそのものを、たのしむこと。

事前の準備

・イガ問1問(お札1枚でコップの間にコインをのせるアイディア問題)

・子どものつまづき予想例・解答例イガせん数学者ノート(解答を知ることが目的ではないため、あるとみたくなるので今回はなし。答えがないことも知らせない)

・「数学者の時間とは」プリント子どものつまずきやレディネスについて

・頭の中のアイディアだけだと、閃かない。。
・手を使ってじっさいに「やってみる」ことで、なにか「予想」がひらめく。

・ノートにメモすることになれていないため、まだコマ目に記録ができなさそう。→事前に確認をしていおく。折り紙が好きな子がいれば、お札をじゃばらおりにすることが予想されるけど、でてこなかったときは、しばらく待ってみる。紙の使い方にヒントがあること(固く箸のようにできないか?)投げかけるタイミングを考える。


・解法が多様にあることが、友達の解き方を知りたいおもしろさにつながってくる。


・昨年度4年生で実践し、コインを増やして紙を折り曲げない問題を作って、成功させた例もあるので、いろいろ広げられるとおもしろそう。

授業の大まかな流れ

  1. ミニレッスン:1時間の使い方? 問題の計画作り「ものをつかう作戦」 10分間
  2. ワークタイム:一人で/友達と 遣ってみた方法をメモしてみること。
  3. 共有・振り返り:実際にやってみせることで共有。 
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数学者の時間④ ミニレッスン1−2 数学者の時間をはじめよう


記録をどうとるのか?それが問題だ

やっぱり自分の授業を振り返るには動画が一番だと今のところは思います。ウソつけないからなぁ。カメラを首から提げておけるアイテムを見つけました。角度を決めればこれがとても便利。胸にぶら下げているだけで出川カメラの胸ばん。これいいかも。だれにどのくらいかかわって、どんな声をかけていることが分かります。角度を調整すれば、子どもたちの視線が合うので、しばらくはこれを使って、授業の振り返りをしていこうと思います。


数学者の時間のいいとこ

子どもの様子によって柔軟に授業案を変えられるところ。今日は、前回、終わらなかった3方陣問題を解く続きから。最初に「数学者の時間とは?」の再確認。さらに「数学者は?」の答えに「試し、振り返って、相談しながら、考えることを楽しむ」ことの確認。このあたりは言葉だけのため、今後、実感や体験を通して積み上げていけるといいところです。そして、前回の問題。求めること、分かっていること、使えそうなことを出し合いました。残りの時間はたっぷりと解く時間を30分間、割り当てられました。

カンファランスのアンテナにかかる子

子どもたちが問題解決しようと活動しているとき(ワークタイム)、個別に入ろうかと思ったけど、まだ全体の様子をぐるぐるまわることにしました。いつもまわるコースは決めています。黒板の前からだいたい右回り。この時間は、それぞれがいろんな場所にいって机が勝手に移動しているのですが、いつも通り右回りでぐるぐると。動画を見直してみると、5週ぐらいしているかも。


カンファランスのアンテナにかかる子こういう机間巡視しているときに、アンテナにかかる子の視点がいくつかあるなぁと思います。

・たくさんノートに軌跡を残している子。どんなことやっているのか、純粋に興味がわいてきます。多少、うるさくたってできることに夢中になっているようなら、今はそっとしてる判断をしている自分がいました。勢いが大切。


・まったく進んでいないでスタックしている子/楽しそうにはやっているけれど、進まない子。どこまで先生と一緒に考えたらいいのかな? 余計なお世話なのかな? と、毎回迷ってしまうことがありますが「どんなかんじ?」と声をかけていることが多いかな。様子によっては様子を見ていることもあります。

・すでに今回の問題が終わってしまい次に手持ち無沙汰になっている子。 次の問題へ4方陣、円方陣へ投げかけていきました。このあたりは、指示を改めてていねいにだしていけば簡単に済んでしまうこと。

・吹き出し用のキャラクターを書くことに夢中になってしまっている子。あるあるですね。こういった「やってみたかった/そこにしか目がいかなかった」失敗も含め、回り道しながらも積み重ねていくことは案外、後になってからじわじわと効いてきます。何事も最初から指示や手を打ってしまって教室内を無菌状態にしてしまわないこと。いろんなトラブルにこそ意味があるんでしょうね。

・メモしようとしていない子。これまで、自分がそういう授業してこなかったって、鏡。試行錯誤をのこして、振り返って、それを材料とするような学びのよさをこれまでの算数授業でできていなかったって反省でもあります。

とうことを度外視してみることも大切。つまり、平等に定期的に個別にカンファランスにはいることは、やっぱり必要で、つまずきに応じたりでカンファしている限りだと、そこが不平等になってしまいかねません。このあたり、しばらくまた考えていこうと思います。

自由だからこそ起こるトラブル

ワークタイム中に、急に大喜びしている少年が二人。どうもスッキリ解けたみたいで歓喜していた様子。そこに「みせて〜」と嬉しそうによってくる子。すかさず「だめだよ!」との応酬。そこでトラブル勃発。こういったやりとりは子どもたちには案外あるもの。すると、またそれぞれの持ち場に帰って、コツコツとそれぞれの課題に取り組み始めているようでした。

子どもたちに任せる時間があると、こういった一斉指導できっちりと管理された時間にはないかかわりやトラブルが必ず生まれます。でもこれを封殺してはいけないと思っています。もちろん派手にトラブルすることを前提とはしていませんが。これまで一斉指導で落ち着いていた子はこういった時間に、より自分らしさが出てきます。いい面、わるい面どちらとも。その自分らしさと相手の自分らしさは時にぶつかることがあります。こういったことを、すりあわせしながら出ないと一つの学習チームにはなっていかないかと思います。

教室はトラブルの宝庫。そして、人は変われる力があります。少しばかりのトラブルには目をつむりつつ、その場には、いつでも相談できる先生や友達がいる安心安全があることを土台に、ピンチをチャンスにそだてていけるといいです。

「共有の時間」も練習が必要

どんな解き方ができたかな? 二人の子だちに出てきてもらいました。ちょっと、机を移動しているので落ち着くのを待ちました。こういうのも実は大事な空気作りの一つ。「最初、どこからやったの?」ここでようやく子どもの口から「7からやった」と出てきました。すると聞いている子達から「同じだ!」「あ!同じだ!」と声が漏れ聞こえてきます。7の組み合わせは、7+5+3と7+2+6の2パターンしかありません。

ワークタイムでの子どもたちの様子をみていると、ヒントになる7をなかなか使おうとする子がいなようでした。2年生の発達段階に共通することかもしれないなとおもうんだけど、なかなかメタ認知して言語化することへ意識がいきにくい。この辺りは、無理に推し進めるよりは経験を積んで、「自分で発見する/自分で言葉にする」楽しさを続けていくことのほうが、価値があるなと思います。

さて、共有の時間。子どもはいとも簡単に5をマスの中央に置きました。うーん。「3もあるじゃん!」とても突っ込みたい!けれども、特に質問もでてこなく進んで行ってしまいました。子どもたちは、次は上の段と下の段、さすがにそれは、ちょっと無理があったのかもしれないな。解けるかもしれないけれど、説明が難しいのかも。実際に手を使って、動かすほうがふさわしいのかもしれません。最初なので、あまり数学的なものに没入するよりも、といた道筋をすんなり説明してもらった方がよいのかもしれません。けれども、下の段から計算した方が、「7は決まっているから」と説明してくれる子がでてきました。そこでの組み合わせがのこりの一つ。何かをやるには訳がある。これを活かせるとよかったな。分かっているところから進める作戦ね。足し算の入れ替え問題もでてくるね。工夫して計算する。最後にナナメを計算すると、他もするするとでてきてしまう。おお!中には、逆パターンもある!入れ替わっていることに気付く場面となりました。答えはひっくりかえしも含めて、2パターン。ぜひやってみてください。

「いや他にもある!」って、前に出てきて説明する子も。「だめだ〜!」とできそうでできないことを確認。間違っていたけれど、それもOK。いいじゃん、自分のやり方を伝えたいって。拍手して終わり。僕はこの一斉でみんなで共有している時間がとてもスキです。バラバラではない。なんでだろう。個々であるほうがスキなのに。きっと、あってるまちがっているを越えて、自分の意見をすんなり言える空間がスキなのかもしれない。みんなでひとつのことを考え、話し合い、練り上げていく対話っていいなぁと思うのです。

最後は、振り返り。本来なら、問題の数学的構造への振り返り、問題の取り組みや学び方への振り返りがあるけれど、さくっと終わりにしました。

Aべんりなやりかた、Bおもしろかった、Cくやしい、Dその他

「でとけなくて悔しかった。」4×4を土日でやりたい子を投げかけて終了。
次回はまた別の問題へ。

この授業の流れは、とても安定していると思います。ミニレッスン、ワークタイム、振り返り共有。このおかげで、グループワークで生まれがちな緩みやハードルが一気に下がれいます。というよりは、そこに向かっていくために、少しずつならしていけるようになります。

数学者の時間③ミニレッスン1−1「数学者の時間をやろう」

さてアンケートや計画を立て、研究メンバーと情報交換もできたのでさっそく今年一発目の数学者の時間を取り組むことに。

おすすめの数学者ノート

まずは、「数学者ノート」の配布。これまでいろいろ使ってきたけど、一番いいのはダイソーで売っている100円のクロッキー帳。なにがいいかって、罫線がない!罫線からの自由なんです。思考が垂線に縛られずにすみます。

さっそく配布。表紙には「すうがくしゃノート」「名前」を書いて、ミニレッスン①プリントをのれん張り。

子どもたちはまだこのノートがこれから、自分の思考を支えてくれることになるとは思ってもいません。それがこれからの伸びしろでもあり、またいいなとも思うのです。

数学者の時間とは?

この時間は、数学者になる時間。子どもたちに数学者とは?尋ねてみると、「算数がとくいな人」だったり、多くの子どもたちは「よくわからない」と、身近ではないことを再確認。

数学者の時間は「すぐれた問題解決者」になる時間。そして、数学者は問題解決している人のこと。子どもたちは「まるで探偵しているみたい!」とわくわくしている様子でした。

この優れた問題解決って、実はいつもの算数でもやっていること。①問題を見つけ、②計画をして、③解決する。④ふりかえりをして、⑤共有する。

これまで取り組んできた探究自学ノートでは、それぞれの研究からまとめ新聞を作りました。その際、子どもたち同士、おうちの人からたくさんのファンレター(子どもたち全員にファンレターをくれる家の人も!コメントが温かく、僕がフィードバックの勉強になりました!)をもらったことを話題にしました。それも共有。実は、どの授業でもやっているってこと。

問題解決にはまず計画から

今日のイガ問を配布。いきなり問題を自分で見つけることはなかなかできません。ゆくゆくはそうなってほしいけれど。最初は、僕からとくとオモシロい!良問を配布してスタート。早速、数学者ノートを見開きに張り出します。

まずは問題をじっくり読むことから。「下の魔方陣には、1〜9の数字が入ります。たて、よこ、ナナメの和が15〜」と、全員で確認。その後、難しい言葉を確認。すると、「それぞれ?」「和?」の意味を確認しました。

問題を読んで解法の計画を立てます。計画がないのは無計画。すぐれた問題解決者は計画がみそ!【求めること】つまりこの問題のゴールと、【分かっていること】を確認。「残りのマスってどのこと?」みんなで指をさして「ここに数字をいれるんだね」と確認しました。

分かっていることをたずねてみると、「1〜9の数字を一つずついれる」「縦、横、ナナメのそれぞれの和が15ね」をすんなり。そして、【使えそうな作戦】を出し合いました。
・足し算作戦。
・15から引く引き算作戦。
・試す作戦。
・たしひきの筆算作戦。
・ものを使ってみる作戦
・暗算作戦。

ここではヒントとなる「7」の扱いが出てきませんでした。この辺りの見通しは、問題解決経験の蓄積がものをいうので、実際に問題に取り組んでから気付くまでそっとしておくことにしました。一方、「暗算でやってみる」って子には、間違えのパターンを明らかにするためにもメモしておいてね、と告げました。間違えた例も一つ解決に向けての前進です。ある子から「メモを吹き出しで書いてもいい?」と質問がありました。自学ノートでも練習していたこと、さっそく活かそうとしてくれていいなと思います。もちろん、OK。今後、ミニレッスンで「うーん」「あぁ!」のメモをとる練習もする予定のため、さらりと済ませました。もし、数学者ノートが見開き2ページでたりなくなったらおかわりどうぞ!と次のページをじゃんじゃん進むように。

最後に、学び方のこと。いつものように、一人で静かに考えてもいいし、友達と一緒に解いてもいいことを確認。解決の時間は10分ぐらいでやってみようと投げかけました。でも、実はこれがなかなか思うようにいかなくて。。。2年生では30分ぐらいあってもいいほどでした。

問題へ取り組む勢い

僕は数学者の時間に取り組んでいて、好きな時間の一つがこの「問題へとりかかる瞬間」です。教室内の空気が一気に変わり、わっと集中する子や急にふらふらして友達と話しに行く子、なにか解決に向けて勢いが生まれるこの時間がたまらなく好きです。

教室を見回してみると友だち2〜3人でやる子は3分の2ぐらい。一人でやる子もちらほらと。引っ張られないでいいなと思いました。今日ははじめての数学者の時間。個別に支援に入ると言うよりは、全員が熱中しているかをやんわりと見回りました。しばらくすると「でたー!」と解けた喜びの声が聞こえてきました。すかさずぼくは「気のせいじゃないの?」とすかします。子ども同士答えをみあっていると、「答えが一つじゃない!」って気付いたようです。

子どもたちはやはりプリントの3×3のマスに答えを書いては消しをやりがちでした。やっぱり、書きたくなるのはしかたなし。けれども、それだと「解いた道筋」が残らない。すかさず、できないパターンもメモしておいてね、と何度か確認しながら教室をまわることになりました。これは問題の提示の仕方を工夫すればなんとかなりそうですね。

けれども一方で、子どもたちの中にはまだ「系統的に試してみる」作戦がないことも分かります。何か問題解決に当たりをつけるときには、順に一つずつ丁寧に追っていく方法がかかせません。これからのミニレッスンでも扱う内容なので、そのときの材料として今回のケースもとっておこうと思いました。

そろそろ時間だけどぉ〜と告げると「まだまだ(やる)〜!」というので、こちらが説明に時間がかかってしまったので、今日は共有の時間を無しにして、のこり10分間じっくり問題に取り組むことにしました。こういう柔軟な時間の使い方もワークショップ授業のよさでもあるなぁと、自分の時間管理の甘さをたなにあげて思うのです。

「この問題は家に持ち帰ってできませんから!」と高らかに僕が告げると、「えー(家でもやりたいー)!)」との反発の声が。そうです。少し授業で安定してきてからでないと、家で解いても深まらないのでしばらくは学校でクラスの中で試行錯誤を一緒にしていこうと思っています。

最後に、振り返りを一言書いて、提出して終わり。そこには、「くやしかった」「さいごギリギリでとけてうれしい」などなど。いいなあ。考えるのがめんどくさい!ってアンケートに書いていた子ほど、熱烈な参加者になっていました。

考える算数の世界へ一歩踏み出しました。今後、定期的に続けていこうと思います。

あー、楽しかった。

数学者の時間② ミニレッスン1「数学者とは?」計画案

数学者の時間の研究に取り組むに当たって、いかに事前の計画(年間、単元、1コマ)が大切かが身に染みて分かってきました。「学習の見通し」がなければ、その場しのぎの実践にならざるを得ないってことなんですね。

けれどもこれがくせ者で。やってみないと学習の見通しは立たないという矛盾もあります。僕の今の立ち位置は、「事前にまぁまぁ準備して、毎回の授業を振り返りつつ修正しつつ、子どもたちと一緒にゆられつつ、授業を作っていく。」そんな感じです。やりながら、子どもの夢中にも巻き込まれながら、盛り上がっていく、それが楽しいんですね。だから、何年たっても、ふんわりとした見通しはすぐに立つのですが、キッチリマンにはなれそうにありません。

この1コマ目で大切にしたいこと

・数学者の時間とは?を知ること。
・良問を解いて、算数には算数授業だけではないオモシロさがあることを実体験を通して知ること。

事前の準備したもの

・イガ問3問(3方陣3×3、4方陣4×4ヒントあり、円陣2×2)
・子どものつまづき予想例
・解答例イガせん数学者ノート(いつ見てもいい)
・「数学者の時間とは」プリント(穴埋め)
・授業記録ツール(模索中)

子どものつまずきやレディネスについて

・3方陣だと、解答のひっくりかえしの2パターンあることで混乱しそう。
・系統的に順番に解く見通しがない→個別にカンファ(順番でやるよさを実感させたい)
・ノートに書こうとしないで、答えだけだそうとする子がでてくる。→思考をゆっくりするための記録、そのよさとは?を考えたい。

・子どもたちのこれまでの様子から3口の足し算はできそうとみました。事前に子どもたちにとって何が良問であるのか?を議論してきました。それは、「今の子どもたちにとって良問であるのか?」というレディネスそのもの。解法が多様にあることやオープンエンドの問題であること、それらは良問であるけれども子どもの実態(まだ思考体力が育っていない状態)では良問とは言えないこともあることが分かってきました。このあたりは先生一人ひとりの千里眼。子どもを見立てる実力に左右されてしまうだけに、今後、なにか指針を見つけられるといいなと思っています。

授業の大まかな流れ

  1. 授業のおおまかな流れML:優れた問題解決者とは?10分間 ★語るだけではだめだろうな。実感が伴わないと。だから短くしておくこと。
  2. 問題→計画→とく(一人で/友達と)
  3. 共有:順番で3口の足し算を確かめている子を選んで、解答法を発表。

さて、授業にすすむぞー。

数学者の時間① 算数アンケート

実践の記録も残していこうと思います。

数学者の時間に取り組むにあたり、毎年、算数アンケートから始めます。今年は2年生。素直な子どもたちいっぱいです。

アンケートって鏡。これまでどんな算数世界とであってきたのかがはっきりと見て取れます。だから自分自身の反省の材料にもなる。これまで僕の傾向としては、利用する生活にねざした算数の意識が弱いところがありました。この辺りは今年、成長していきたいところ。

多くの子どもたちは算数がスキ。特に今年になって「先生、友達に相談できるのがいい」とのことでした。また、算数では、課題を終えた際のイガ問(発展問題)がなかなかおもしろいようです。家にまで持って帰って、親子で考えてもらったりしてくれて、嬉しい限りです。

ただ、算数関連の習いごとをしている子にとっては、「考えることがめんどくさい」って子が何人かいました。じつはこういうことって、子どもたちの生活場面とつながっていることが多々あったりして、教科だけが分断しているとは思えなくなっています。

考えることの楽しさ、考えることのよさが、数学者の実践を通して、伝わっていくといいなと思っています。半年後、改めてアンケートを撮り直したときにどうなっているかな。

あー。楽しみ楽しみ。

算数アンケート

たった一人の熱烈なファンが探究を支えてくれる

夏休みに入りました。この夏、本当に自分がやりたい研究をやってみようとはたまた全国の先生達と「探究自学ノート・シーズン3(TQJs3)」で、大人の探究自学ノートを始めました。僕は「ゾーンディフェンスの研究」です。

TQJシーズン1で、探究自学ノートを深めていくためにはその学習内容への専門性が欠かせないことを議論してきました。教科への専門性があればこそ、ネタ教材を入り口により深いところへ学びをガイドすることができるはずと。

TQJsシーズン2では、探究自学ノートを進めていくには、遊び心に併せて探究のプログラムデザインを研究しました。これまでわかっていたようでわかりにくかった逆さまデザイン。探究を学習者に丸投げでは学習者の個々の能力に任せすぎてしまい深まる人とそうなれない人との如実な差がでてしまう。そこを乗り越えるにはやっぱり、探究の明確な見通しが必要で、専門性に加えて何をパフォーマンス課題にするのかをゲーム化したりして考え合ってきました。これはほんとオモシロかった。

そして、TQJシーズン3。今回のテーマは大人が学ぶこと、そして学びをガイドするヒミツとは? つまり学習のカンファランスについて。探究するにはその分野の専門性やプログラムデザインだけでは動きません。振り返ってみると探究を進めてくるときそこには、探究する人を一緒に「おもしろがる」人がいました。けれども、なんでもかんでも誰の学びも「おもしろがる」ことはできません。

僕は今、誰かの学びへ興味をもつことに大きな興味があります。今シーズンを通して(10月まで2週に1回のペースで学習会・その間のブッククラブと大人の自学ノート)、技術だけではない、人として「おもしろがる」要素を明らかにしていけたらいいなと思うのです。

シーズン3の2回目のオンライン・ミーティングで「子どもの頃に夢中になったわくわく原体験」について語り合いました。グループからでてきた意見の中でハッとさせられたことがありました。脳内クリティカルヒット!(毎回、こういった気づきがあるのがこのTQJのおもしろいところ。1回目はデジタルにはない手書きノートの3つの良さなんかは、Evernote生活ずっぽしの僕は忘れたくないことの一つです)

それは、「探究には仲間がいる」ということ。

僕は小学生の頃、友人のことをモチーフにした「青春のゆうじくん」というギャグマンガを描いていました。ゆうじくんというのは、親友のゆうじくんです。彼とは今でも、二人で離島にキャンプしに行く仲です。学校であったおこられた出来事や当時のCMをモチーフにて、おもしろおかしいギャグマンガです。最初はノートの切れ端に。でも、ゆうじくんがめちゃめちゃ喜んでくれるので、スケッチブックにもストーリーマンガを描くようになりました。

「早く次がよみたい」と、なんども催促してくれるので家に帰っては夢中になって描いたのを覚えています。できあがった作品をゆうじくんに読んでもらっているときのわくわく感。クスって笑ってくれるうれしさ。たった一人だけだったけど、まぎれもないファン1号でした。僕はゆうじくんが僕のマンガを喜んでくれるのを本当に楽しみにしていました。そして、その頃の僕の将来の夢はマンガ家でした。

学習者の探究を支えてくれることってなんだろう? 自分の小学校時代のわくわくしていたことを掘り起こしたとき、このファンになってもらえた体験があることに気がつきました。そうなんです。探究するを支えてくれるのは、面白がってくれるファンがいることなんです。そして、きっとだれもがその原体験をもっているのだと思うのです。

ごくまれに、誰からも評価されずともひとりコツコツと山に入り蝶を集めたり、自分だけの石を集めたりする人もいます。本当に魅了される世界を見つけた人は強いですね。多くの人は自分が何に興味があって、その対象のもつ世界の深さも知りません。そこを一緒に「おもしろがってくれる人」がいることこそ、探究を推進する力となるのではないでしょうか。そう、探究心に火をつける人が必要だったんです。きっと他者と一緒によろこんでいた探究が、少しずつ自分の探究へと昇華されていくのでしょう。

僕はカンファランスし続けることは、専門性やカリキュラムデザインだけではないことに気がつきました。もしかしたら、面白がってくれる人がいることが、それよりも強力なことなのかもしれません。ファンを見つけること。ファンになること。自分の探究自学ノートのファンになってもらえること。こういったことが、僕の小学校時代にぎゅっとつまっていたんだと分かってきました。これはきっとみんなにあることだと思います。

たった一人でいいんです。再生回数が何百万回である不特定多数の人ではない、自分にとって特別なファンがいてくれる、自分の好きなことを応援してくれている、楽しみに待っていてくれる、ここにファンの持つパワーがあるはずです。

そして、私たち大人はなんでもかんでもファンに決してなれるわけではありません。だからこそ、それをスキルでカバーできないか考えています。キャシー・タバナー他著・吉田新一郎訳『好奇心のパワー:コミュニケーションが変わる』はコミュニケーションの本です。しかし、これはカンファランスの本だと僕は理解しています。ここには、相手に好奇心を発揮するための3つのスキルがあります。

①「今、ここ」に集中し、相手に焦点を合わせる。
②聴き方を選択する。
③相手への興味関心を示すオープンな質問をする。

しばらくは、TQJシーズン3のメンバーとこの3つのスキルを使って、お互いの探究自学ノートのよき理解者となり、ファンになれるように練習していこうと思います。グループ内ファン体験。それがそのまま、教室・職員室で、子どもの興味関心に興味をもてる資質につながっていけるんだと思っています。それと同時に、だれが何を探究しているのかを可視化して、子ども同士の興味関心をつなげてあげればいいんだと。先生がマッチングアプリ先生になればいいんです!あは!まいっちんぐ。

一方、自分に感心がありすぎる人(僕はこの傾向が強いね)、人との比較や優劣でものごとをみてしまいがちな人やそういうタイミングにある人は、素直にファン似なれないんじゃないかなと思っています。かといって、評価されたり上から目線で面白がられてもなんだかしゃくにさわるし。このファンになる事って、もっと純粋に他者や対象をおもしろいって思える「仲間」感覚が必要なのではないかな。小学校の友達関係は、こういった仲間感覚があったなぁ。いつもなにか開かれているマインドをもっていたのが子ども時代だったのかもしれません。

さぁ、ファンになっちゃうぞー!?

今年のテーマは「算数する?」 算数メガネで日常世界に再発見

コロナ禍もあり、今年の算数は余剰時間が十二分にとれなさそうです。それを今更、嘆いていても始まらないので「今年はどうやったら、昨年度までのような問題解決のサイクルを学び、それを使った算数探究へ突入することができるか?」を考えていました。

しばらく一人でゆるりと考えていましたが、あんまりよいアイディアはひらめかない。それでもしばらく考えようと、頭の片隅においときながら数日をすごしていました。すると、閃きは急にやってきました。

数学者の時間の研究メンバーと週末の朝、ミーティングで2学期以降の計画を検討していたときのことでした。「これまで通りができない今年度なら、年間通して一辺にやってしまえばいいんじゃない!?」と閃きました。

独力で考える時間は大切です。それには手書きノートがいいと思います。これについては、探究自学ノートを大人で取り組み始めた。一人で考える時間がある程度あるからこそ、対話したときに閃きが降りてくると思います。対話はそこをつなげてくれる装置です。ただし、思考したことを自由につなげられるかは、信頼できるかメンバー構成の対話に大きく影響されますね。

昨年度まで、丁寧に学期ごとにステップを踏んできたことを、ぎゅっとシュリンクさせてよりダイナミックに年間通して一辺にやってしまおうという魂胆です。算数授業において、「年間算数テーマ」で串ざして、算数の時間でも数学者の時間でもいつでも同じように年間算数テーマを追求していく。

イメージとするとPA(プロジェクト・アドベンチャー)でビーイングを作り上げるようなもの。抽象度の高いもの(例えば「フルバリュー」とか「算数する」とか)を試行錯誤することで、より具体的にしていくプロセスに焦点を当てながら、その年間算数テーマをそのクラスやその子に応じて定義づけていけばいいじゃん。これおもしろそう。

ドストライクでした。これまでの算数では、①算数の授業で学習内容を学び、②それを使って数学者の時間でさらに理解を深められるように、テーマを設定してものづくりをし、算数探究をして発展させていくといったような、二つを並行して扱っていくデュアル・プログラムでした。これを融合させて、一辺にやってしまうアイディアで、よりダイナミックな学びになるはずです。

そこで、年間算数テーマに「算数する」を設定することにしました。残りの2学期間を通して、どの教科書単元も数学者の時間の算数探究でさえも、「算数するとは?」を明らかにしていく、そんな学習テーマにしました。

そもそも算数するってどういうことなんでしょう? 教科書を学んでいるときは、算数している? うーん。どちらかといえば、「算数できる」になっているかもしれません。それを使ってみるといった視点はつい欠けてしまいがち。

この算数するって、算数メガネ(形状は絶対に丸メガネ設定で)をかけることなんだと思います。これまでは自分の世界の周りにはまだ見たことのない知らない算数世界が隠れていて、それを海賊王になるかのごとく算数探究をしてさがしにいく、そんなイメージでした。

でも、それはちょっとちがう。たくさん予習をして、どんどん先に進むことが学びを豊かにすることとは僕は思っていません。先取り先取り、知識を過剰なまでに増やそうとすることに加担したくはないのです。それよりも、今ある少ない知識を上手につかうことで、いろんな発見や問題解決ができること。そのほうが、安心して知らないでいられる。考える楽しさもあるし、大人になってからでも知識がないことへのコンプレックスもなく、知らないことは頭をひねることで、必要なら知識を増やせばいい。そのぐらいに思えた方が、人生楽しい。

「算数する」ことを考えたとき、今ある自分の世界やこれまで経験したことのあることやものを広げるではなく、算数メガネで見直すことで世界を再定義する。つまり、これまで知っていた世界がまた別の世界として観られること、そこに豊かさを感じています。

少ない知識であれこれ使って、創造的な問題解決の練習をする。知識を増やしていくアプローチではなく、いまある知識を使って見え方を豊かにしていくことなんでした。ここに僕は先日、投稿をして、本意があるんです。

「知る」だけではだめで、やっぱりそれを「つかう」こととセットなんです。「できない」「わからない」などの知らないことへの不安はすぐに換気されますが、知っていること使っていない事への不安は起こりにくいからこそ、なおさらです。

そこで、学期の最後に子どもたちと「2けたー2けた(または2けた+2けた)」の問題づくりをしました。そこでは、ただの「2けたー2けた」をつくるのではなく、生活の中から、または、実際にありそうな数を見つけて、問題づくりをすることにこだわってきました。

子どもたちは問題をつくる楽しさをいっぱいに感じています。すると「2年西組が86人います」と誰もがつくろうとします。より大きい数を扱って、問題を少しでも難しくしたいんですね。でも「西組86人もいませんから〜!」と。みんなで笑いました。

けど同じ問題は他にもでてきます。バナナだって86本もふつう買わないし、86こもケーキは買わない。このさじ加減がが難しい。ここからが苦しむとこでした。実は「86ー29」なんて実生活の中で、なかなか見つからないし、そういう目でそもそも生活をみたことがない。ここに算数メガネで見直すおもしろさがあると思うんです。

それでも、子どもたちはサクッとそこを乗り越えていきます。一人で考え、友だちとも考え合い、なかなか面白い問題でも生まれます。この時期だけにコロナの病人数問題は100に近い数として実感がありそうです。また、子どもの世界でありそうな繰り下がりのある妖怪問題(妖怪は絶対にいる!そうです笑)なんてのもありました。

これらの問題は、印刷して夏休みのドリル宿題にしました。学年みんなで取り組んだので、問題数は学年人数分です。算数プリントの宿題が一番多い学年でした。笑。

算数するってなんだろう? 

今年は算数メガネをかけて、今いる世界を算数で再定義していくことに探究していく、そんな実践を子どもたちと模索していこうと思います。

失敗をしない限り、人はクリエイティブにはなれない

失敗をしない限り、人はクリエイティブにはなれない

コーネル大学の数学者であるスティーブ・ストロガッツの言葉です。

何よりもモガキながら進むことこそ重要なんですね。完璧な自分、専門家という自分をいかに手放し、知らないということの好奇心へとつなぐことができるか。

特に算数の授業で起こりがちなこと。「この問題はわからない」「できない」「答えられない」といった恐怖心は、何百万人の子どもたちに共通している感覚なはず。また、自分よりも他の子がより早く問題を解くことで「自分はできない」と思ってしまいがち。これらはその後の数学嫌いへと、しつこくつきまとってくる算数の呪いですね。

算数・数学が苦手なのは、決してその子になにか問題や数学脳の欠損があるわけではありません。そもそも数学脳などはありません。もちろんスピードの問題ではありません。これは個別最適化したカリキュラムを個別のペースで隠したところで、このマインドセットは解決されるものでもなさそうです。

失敗してもいいし、ミスしてもいい。そしてその失敗からこそ、学べることができる、と勇気づけてあげられること。僕は、このへんは思考の習慣だと考えています。一回っきりの教師からの「説諭」でも難しい。日々の授業や生活の中で、くりかえし体験し、その言葉への理解と体験が重なるところまで、日々反復連打し続けることだと思う。

その反復連打の中で「わからない自分がはずかしいと感じている」と正直に言えるようになってほしいし、自分もそうでありたい。その勇気はすごいことだと思う。「わからない。もっと知りたい」と、できない自分を受け入れること。そして、「あ、まちがえた。これはおもしろい!」「なんとかなるさ、これは挑戦だ」と思えること。こういうマインドセットの文化を育てていきたい。

そして、どうして、ここまで失敗の価値が語れるのに、失敗をいかして、もがくことがなかなかできないのか? 僕の中で一つ大きなブレイクスルーがありました。それは、知識を増やそうとする収集心が、今ある手持ちの知識で考えようともがき続けることを阻害してしまっている。そこに気付きました。

ケーキ分割問題という数学界では名の知れた有名な問題があります。ケーキや土地のような連続した物体を、二人以上の間で均等に分けて、それぞれの当事者が満足するように分けることができるか、という問題。これには多様の解法があると同時に、何年間も数学者を魅了し続ける問題でもあるそうです。

そして、このケーキ分割問題を、2人の若いコンピュータ科学者が劇的に解決してしまいました。この2人には、数学者が持っていたような豊富な数学の知識は持っていませんでした。そうなんです。「知らないこと」が、これまでの常識に縛られずに創造的に問題解決にアプローチすることができたのです。

「私たちの成功は、他の人よりもそのトピックについての知識が少なかったことが原因であり、それによって自分たちは違った考え方をすることができた」

と振り返っています。

僕は、この二人はきっともがいたに違いないと思っています。安易に、知識を集めようとせずに、今ある手持ちの知識を組み合わせ、統合させようと、常にぐるぐる考え続けていたんだと思います。

僕に必要なことはここだ!とピンときました。

何か分からないことがあれば、すぐに知識を増やそうとして対応してしまう自分がいます。でもそれって、「知っている」程度の浅いところでしかない。その知識は応用する、統合する、創造するところまで引き上げられていない。くんずほぐれず、今知っている知識でサバイブしようと考えることにコミットすること。これがもがく事なんだと思います。

失敗することはいいことだ。これは誰にでも言えます。一歩だけ推し進めて、失敗してもがき続けるには、「余計な知識を知ろうとするクセを手放せ、今ある知識でもがいてみせろ」。知識を収集することに注力することから解法された気がしました。知識を統合することにこそ、時間を割く必要があると思います。しばらくは、考えることにコミットしてみます。

ちなみに、僕が好きになってしまった数学者の一人、スティーブ・ストロガッツさん。TEDトークにも出ています。なぜ、魚や鳥がシンクロするのか数学的に解明しようとしています。まぁ、それよりも彼が素晴らしいのは、誰もが共通してもっている「微分・積分なんかオトナになってなんの役に立つのか!?」という怒りにも似た問いへ明快に答えてくれる良書があることです。ぜひ!

TED「驚くべきシンクロ現象」

探究自学ノート「質問づくり」から知りたいことを

はっぱって、どうしてきせつごとにかわるんだろう? よそう。もしかして、おこりっぽくなったり、なきむしになったりしているのかな〜?

どうしてはっぱって、しゅるいによってかたちがちがうのかな? よそう。なかまがどれか、わかるように?”

子どもたちの質問に予想を書くことで、その問いがどこからくるのか、その子の中にある物語やアニミズムの世界に、少し触れることができた気がしました。

教室で探究自学ノートづくりを進めています。「知っていること」をクモの巣マップで出し合ったので、今度は「知りたいこと」に向けて質問づくりをしました。以下の本を参考に。

この手順で進めていくと、すぐに答えの出るクローズな問いとすぐに答えはだせない・もしくはないかもしれないオープンな問いとの仕分けが出てきます。けど、その問いの仕分けって2年生にはちょっとまだ早すぎると考えました。子どもたちは純粋に、オープンだろうが、クローズだろうが、どっちも知りたい。クローズな問いを見つけるる経験が積み重なっていく打ちに、「こんな問いはツマラン」と気付いて少しずつ、「答えのない問い」へ魅了されていけばいいんじゃないかなぁと思います。

ここで僕がこだわったのは、本にはないけれども「予想」を書き出すこと。見方を変えれば、数学的思考ではこれは決定的に重要なこと。そもそも予想は言葉で捕まえられれば、もう大収穫!この辺りはまたじっくりと「数学者の時間」で語りたい。子どもたちの予想は、きっとこの後の答えを見つけた、見つけられなかったとき、そのギャップに自分の考えに当たりをつけていくように、自己修正する練習にもなりそうです。

子どもたちの様子をみていると、質問を見開き2ページを目安に書き始めました。2つの子もいますし、12個書き出せる子もいます。今は個々での取り組みなので(グループワークで質問出し合ったりはしていません)、差があってもいいと思っていました。それでも、やってみると「質問の数ではないな」と思い直せました。

少ない問いにも、なにかキラリと光るようないいものがあります。いい問いってなんなんでしょうね? 僕は子どもらしい、その子の知りたいことが素直にでてくるものなら、なんでもいいなと思うのです。知りたい対象に働きかけがありそうな問い、調べてみたら驚くようなことが待っているかもしれない。どれも小さな冒険であり、探究の入り口。知りたいことがあるってわくわくすること。

いくつか質問をつくってみて、クラス全体で共有してみました。すると問いのキーワードが浮かび上がってきました。「どうして」「なぜ」「名前のゆらいは」「色」「かず」「たべもの」「すみか」など、問い作りのパーツが集まりました。こういったことを整理して、教室に掲示しておくと、また次のテーマで質問づくりをしたとき、もっと多様な視点での問いづくりが練習できそうです。こういう気づきがうまれるのは、低学年の担任のよさでもありますね。

探究自学ノートでは、こちらから「学習のネタ」を用意することはやめることにしました。いろんなテーマは考えてはいたのですが。そのかわりといってはなんですが、その子の興味関心のあることで勝負をしようと決めました。その子の視点や興味をおもしろがったり、一緒に考え、なにか作ったりおもしろそうなこと、やれそうなことを提案していける、そんな個別カンファランスに舵をきっていこうと思います。

人が学ぶとき、楽しいときって「与えられた何か」ではなく「自分だけのもの」を見つけたり、夢中になっているときなんじゃないかな。「そこにオーナーシップはあるんか?」「女将さん!」と、なにか大切なものは忘れちゃいけないと思いました。

それはオトナも一緒。まず、こういったなにか夢中になる体験をオトナもしないといけないな、と思うのです。その楽しさや難しさを経験していないで、手順書のように学びや遊びをガイドすることはできないはずです。

この休校中は、探究自学ノートづくりの研究を2シーズンにわたって協同研究してきました。これまで教材を準備することに重きをおいてきましたが、心機一転、ちょっとベクトルを変えてみようとチャレンジしてみます。これからは「その人の中にあるなにか」から、遊ぶように学ぶタネを見つけ、いっしょに育てていこうと。言葉にするととても美しくなっちゃう笑。けれど、かなりしんどいことだと予想しています。

そして、夏休み前の今、オンラインでも全国の先生達とも探究自学ノートづくりシーズン3に着手しました。おかげさまでコアメンバーは一日待たずに満席。あざっす。オブザーバーの募集を始めました。また、熱いメンバーが金曜日の深夜のzoomに集まることでしょう。2ヶ月の間、もがいていこうと思います。みんなでモガッキーになります。

もがくこと。それは脳の発達にはとても効果的だと脳科学でも証明されています。僕が今、受講しているスタンフォードの数学オンラインコースでも、度々、紹介されています。失敗することや、できないこと、わからないでもがき続けることこそ、脳に効果的なんだとか。もがきのないスルスルとした(繰り返しのパターン計算練習のような)学習だけでは、せっかくつながった神経細胞のルートも消失するようです。

この本に出会って(特に、母親の癌を克服するために娘が親身になって調査するモガキのエピイソードは必見)、理解することにはモガッキーになることが必要だと分かってきました。それまでは、どこか避けてきたところがあったのに! 

とはいうものの、こういった脳科学で証明されていてもそのモガキからの脳みそ成長は「実感」が伴いません。エビデンスを示されたところで「よし!ナイスな情報!明日からはもがきまくるぞ!オイラのなまえはモガキじゃ!」とはなかなかなれません。どこか懐疑的な自分がまだいます。

この科学的な根拠と自分の実感との穴埋めはやはり慎重でないといけない。エビデンス・リテラシー向上にむけ「疑いを持ってリソースにあたってみる」と現在、研究中です。このあたりは、LAFTの勉強会で、一度、エビデンスにじっくりとっくんでみたので、その組み手がわかってきました。

少しずつ、僕の中で、まわりでも、学びのスイッチが起動しはじめました。この夏休み、大切にすごして、深く学んでいこうと思います。ちなみに僕の個人的なテーマは「2−3ゾーンディフェンスの理論と実践」ですから!マニアックー!

Appleペンシルに負けるな!子ども時代に体験しておいてほしいこと

Appleペンシルになくて、鉛筆にあるもの、なーんだ?(答えは最後)

うちの学校には肥後ナイフの学習があります。僕はとてもいいものだと思います。ナイフは使い方によってはとても便利なもの。でも、自分を傷づけることもあるし、人を傷つける道具にもなり得ます。それだけに、子どもにどのタイミングで刃物体験がふさわしいのか、悩ましいところです。うちの学校では、その肥後ナイフを使う授業が1年生からあります。今回はコロナで少しだけしかできずに、2年生でも取り組むことにもなりましたが。

学校で刃物の使い方をちゃんと学べること。しかも小さいうちから。ここに僕はいいなと思うのです。肥後ナイフで鉛筆を削っているときには緊張感もあり、上手に削れたときには、「見て見てー!」と自慢もしたくなるし、「いいじゃんそれ!」となれば一人前として認めてもらえる。その経験は子どもにとって計り知れない自信となっているようです。その成長のとば口に立てる経験が肥後ナイフで鉛筆削りです。

僕も子どもの頃、じいちゃんから肥後ナイフをもらいました。使い方なんてよくわからなかったけど、かちゃかちゃ刃物がでるのが不良みたいで格好良かったのを覚えています笑。ちきり(ナイフの背にある突起で、これを押さえないとナイフが折りたたまれてしまい、柄を握っている指を切ってしまう)の使い方など自分で確かめていきました。それでミニ四駆を改造したり、心を静めようとお地蔵さんも彫ったりもしました。もちろん、何度も指を切り、少しずつ上手なケガの仕方を知り、ナイフの力加減も身につけていきました。今思うと、そういう体験こそが何かつくるときに「なんでもつくれそう」という感覚があるんだと思います。

先月。3年生の子どもたちが鉛筆の削り方を教えに来てくれました。子どもたちにとってはシャカシャカけずるお兄さん、お姉さんはキラリと輝く憧れの存在。自分も上手に、削れるようになりたいなと。初めて削った鉛筆はまだでこぼこだけど、どこか美しいものです。

その後、毎朝の10分間、自分の鉛筆や色鉛筆をピンピンに削ってきました。日々のカオスである教室は一変し、この時間だけはしーんとした空気がながれます。朝のマインドフルネスです。すごくいい。月曜日の朝が落ち着かない都市伝説はこれで変わりますね。

僕が「すごいな」と思ったのが、指を切ったりする子がいないこと。それは切らない指導法が徹底されているから。そして、刃物の危険やその安全な使い方を学べるから。このへんは昭和からの歴史と伝統を感じるし、それがあっての実践。子どもたちは「僕にも安全にできる!」そんな気持ちが持てるようになっています。なんてったって、ナイフは動かさずに鉛筆だけ動かすことからなのです。

先週末、その肥後ナイフの試験をしました。「集まれ!肥後ナイフの森10」プリントをつくって、先生達と相談して10の評価基準を共有してはじめました。はやりに乗っています笑 

そして、練習ではやっぱり思ったようにうまくいかない。最後の最後で、芯がポキッとおれてしまう。刃が削り幅に深く入ってしまう。指先にぐっと神経を集中させ、芯を削り出そうとするけど、ぼこぼこしてうまくいかない。これはほんとうに粘り強さがためされます。指先の巧緻性、やっぱり小さいうちから刃物に触れておく体験は大切だなと思うのです。なにより、手作業は子どものやりたいという気持ちを引き出してくれます。

鉛筆削り試験の途中、緊張のためか深呼吸が何度か聞こえてきました。いつもゆるりと家族のような教室で、たまにはピリリとこういう時間もいいものです。ピンピンにとがらせ、床に削りかす一つものこさず、片付けるところまで。やりながら向上していくのを見越して、8/10点以上を合格としました。そして、みごと全員が合格。帰りの会が終わって、下校の時間。最後の最後に一人となっても削っている子もいました。こういう姿を見られたこと、またいいものです。

合格したらいよいよ一人一本、肥後ナイフをラインドセルのチャックがある所しまう約束で持って帰ることができます。成人したらナイフを長老より手渡されるヒゴナイ部族のようです。なんか、厳かでした。子どもたちは「わーい。家の宿題で鉛筆削りができる!」と喜んで帰って行きました。

これまで僕は教室で刃物を扱うことにとても慎重派でした。子どもたち、しかもやんちゃな子ほど、ちゃんと扱おうとするし、それを通して落ち着きを身につけていることが分かってきました。ときには厳しい口調で注意するときもありますし。武道にも通じるものがあるんじゃないでしょうか。

先日、オンラインへの心配についてポストしました。誤解のないようにいっておきます。僕はICT大スキです! 便利な物はどんどん使っていけばいいと思っているプラグマティックな部分があります。それだけに、もっと多くの人とちゃんと子ども時代のコロナ時代のオンライン授業について議論していかないといけないなと、思いを新たにしました。小学校時代に、自分の世界や少し視野を広げて世の中、社会よりよくしていくためにできることを考え合っていける、そんな時代にしたいです。このあたりはまたじっくりと。

子ども時代、臨界期前に身につけることは一体どんなことでしょう。iPadの操作、腕一本の行動範囲でヴァーチャル世界にどれだけの時間をかけたらいいのでしょうか? 僕が思うに、子どもたちの指先感覚、ちょっとヒヤリとする経験から物事に慎重に、そして自分も人をも傷つける力を持っている怖さも、学んでいってほしいなと思うのです。

小学校時代に体験しておいてほしいこと。五感を使って経験すること。少し前はこういった当たり前だったこと、忘れないでいたいです。昭和かよ! っていわれそうだけど、たまには親指クリックだけじゃないことに目を向けて、真剣に取り組むのもいい時間です。小学校時代に、鉛筆一つ削れるかどうか。削ってきたかどうか。学力では試されないかもしれないけれど、なにか大人より上手に削れている子どものへへんとした顔はかっこいい。そして次は、また学年をまたいで1年生に教えに行くのが楽しみです。こうやって学校の文化をうけとっていくし、よりいいものにしていくんだと思います。

こんな時期だからこそ、学校にはいろいろ要求されます。今、子どもたちと相談しながら、身につけておいてほしいことを考え合っていきたいです。やるべき勉強は、あたらしいものだけでもプログラミング教育や英語教育と、時間とり合いだし、せめぎ合いです。小学校時代に、なにを大切にして、その時間を使っていくのか、その「核となる規準」をおちついて考え直してみてもいいなと思います。勢いに流されてしまっている自分にならないように。核となる規準をもっていれさえすれば、それにそぐわないことでも、オカミの言うことでも多少のことは上手に流せるんじゃないかな。

『この世界の片隅に』のすずさんのように、鉛筆一本をあたりまえのように大切にする気持ち。子どもたちに忘れずに持っていてほしいと思います。教室には、鉛筆がコロコロ落ちていたりするから。今度、子どもたちの中からモニター募って「筆箱中身、えんぴつ1本プロジェクト」をやってみたいな。提案してみよう。それだけで、いろんな気づきが生まれるんじゃないかなぁ。オモシロそーだ。

さて「Appleペンシルになくて、鉛筆にあるものなーんだ?」の答え。Appleペンシルはけずれませんから!と思った人いたでしょ。でもね、答えは、僕が思うに世界中とのつながりです。興味がある人はこちらの絵本をどうぞ。僕も毎年読んでいるいい本です。

『いっぽんの鉛筆のむこうに (たくさんのふしぎ傑作集)』

ちなみに僕はもういい大人なのでAppleペンシル2を購入しました笑。大人はいいんです。自己責任なのだから。