Appleペンシルに負けるな!子ども時代に体験しておいてほしいこと

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Appleペンシルになくて、鉛筆にあるもの、なーんだ?(答えは最後)

うちの学校には肥後ナイフの学習があります。僕はとてもいいものだと思います。ナイフは使い方によってはとても便利なもの。でも、自分を傷づけることもあるし、人を傷つける道具にもなり得ます。それだけに、子どもにどのタイミングで刃物体験がふさわしいのか、悩ましいところです。うちの学校では、その肥後ナイフを使う授業が1年生からあります。今回はコロナで少しだけしかできずに、2年生でも取り組むことにもなりましたが。

学校で刃物の使い方をちゃんと学べること。しかも小さいうちから。ここに僕はいいなと思うのです。肥後ナイフで鉛筆を削っているときには緊張感もあり、上手に削れたときには、「見て見てー!」と自慢もしたくなるし、「いいじゃんそれ!」となれば一人前として認めてもらえる。その経験は子どもにとって計り知れない自信となっているようです。その成長のとば口に立てる経験が肥後ナイフで鉛筆削りです。

僕も子どもの頃、じいちゃんから肥後ナイフをもらいました。使い方なんてよくわからなかったけど、かちゃかちゃ刃物がでるのが不良みたいで格好良かったのを覚えています笑。ちきり(ナイフの背にある突起で、これを押さえないとナイフが折りたたまれてしまい、柄を握っている指を切ってしまう)の使い方など自分で確かめていきました。それでミニ四駆を改造したり、心を静めようとお地蔵さんも彫ったりもしました。もちろん、何度も指を切り、少しずつ上手なケガの仕方を知り、ナイフの力加減も身につけていきました。今思うと、そういう体験こそが何かつくるときに「なんでもつくれそう」という感覚があるんだと思います。

先月。3年生の子どもたちが鉛筆の削り方を教えに来てくれました。子どもたちにとってはシャカシャカけずるお兄さん、お姉さんはキラリと輝く憧れの存在。自分も上手に、削れるようになりたいなと。初めて削った鉛筆はまだでこぼこだけど、どこか美しいものです。

その後、毎朝の10分間、自分の鉛筆や色鉛筆をピンピンに削ってきました。日々のカオスである教室は一変し、この時間だけはしーんとした空気がながれます。朝のマインドフルネスです。すごくいい。月曜日の朝が落ち着かない都市伝説はこれで変わりますね。

僕が「すごいな」と思ったのが、指を切ったりする子がいないこと。それは切らない指導法が徹底されているから。そして、刃物の危険やその安全な使い方を学べるから。このへんは昭和からの歴史と伝統を感じるし、それがあっての実践。子どもたちは「僕にも安全にできる!」そんな気持ちが持てるようになっています。なんてったって、ナイフは動かさずに鉛筆だけ動かすことからなのです。

先週末、その肥後ナイフの試験をしました。「集まれ!肥後ナイフの森10」プリントをつくって、先生達と相談して10の評価基準を共有してはじめました。はやりに乗っています笑 

そして、練習ではやっぱり思ったようにうまくいかない。最後の最後で、芯がポキッとおれてしまう。刃が削り幅に深く入ってしまう。指先にぐっと神経を集中させ、芯を削り出そうとするけど、ぼこぼこしてうまくいかない。これはほんとうに粘り強さがためされます。指先の巧緻性、やっぱり小さいうちから刃物に触れておく体験は大切だなと思うのです。なにより、手作業は子どものやりたいという気持ちを引き出してくれます。

鉛筆削り試験の途中、緊張のためか深呼吸が何度か聞こえてきました。いつもゆるりと家族のような教室で、たまにはピリリとこういう時間もいいものです。ピンピンにとがらせ、床に削りかす一つものこさず、片付けるところまで。やりながら向上していくのを見越して、8/10点以上を合格としました。そして、みごと全員が合格。帰りの会が終わって、下校の時間。最後の最後に一人となっても削っている子もいました。こういう姿を見られたこと、またいいものです。

合格したらいよいよ一人一本、肥後ナイフをラインドセルのチャックがある所しまう約束で持って帰ることができます。成人したらナイフを長老より手渡されるヒゴナイ部族のようです。なんか、厳かでした。子どもたちは「わーい。家の宿題で鉛筆削りができる!」と喜んで帰って行きました。

これまで僕は教室で刃物を扱うことにとても慎重派でした。子どもたち、しかもやんちゃな子ほど、ちゃんと扱おうとするし、それを通して落ち着きを身につけていることが分かってきました。ときには厳しい口調で注意するときもありますし。武道にも通じるものがあるんじゃないでしょうか。

先日、オンラインへの心配についてポストしました。誤解のないようにいっておきます。僕はICT大スキです! 便利な物はどんどん使っていけばいいと思っているプラグマティックな部分があります。それだけに、もっと多くの人とちゃんと子ども時代のコロナ時代のオンライン授業について議論していかないといけないなと、思いを新たにしました。小学校時代に、自分の世界や少し視野を広げて世の中、社会よりよくしていくためにできることを考え合っていける、そんな時代にしたいです。このあたりはまたじっくりと。

子ども時代、臨界期前に身につけることは一体どんなことでしょう。iPadの操作、腕一本の行動範囲でヴァーチャル世界にどれだけの時間をかけたらいいのでしょうか? 僕が思うに、子どもたちの指先感覚、ちょっとヒヤリとする経験から物事に慎重に、そして自分も人をも傷つける力を持っている怖さも、学んでいってほしいなと思うのです。

小学校時代に体験しておいてほしいこと。五感を使って経験すること。少し前はこういった当たり前だったこと、忘れないでいたいです。昭和かよ! っていわれそうだけど、たまには親指クリックだけじゃないことに目を向けて、真剣に取り組むのもいい時間です。小学校時代に、鉛筆一つ削れるかどうか。削ってきたかどうか。学力では試されないかもしれないけれど、なにか大人より上手に削れている子どものへへんとした顔はかっこいい。そして次は、また学年をまたいで1年生に教えに行くのが楽しみです。こうやって学校の文化をうけとっていくし、よりいいものにしていくんだと思います。

こんな時期だからこそ、学校にはいろいろ要求されます。今、子どもたちと相談しながら、身につけておいてほしいことを考え合っていきたいです。やるべき勉強は、あたらしいものだけでもプログラミング教育や英語教育と、時間とり合いだし、せめぎ合いです。小学校時代に、なにを大切にして、その時間を使っていくのか、その「核となる規準」をおちついて考え直してみてもいいなと思います。勢いに流されてしまっている自分にならないように。核となる規準をもっていれさえすれば、それにそぐわないことでも、オカミの言うことでも多少のことは上手に流せるんじゃないかな。

『この世界の片隅に』のすずさんのように、鉛筆一本をあたりまえのように大切にする気持ち。子どもたちに忘れずに持っていてほしいと思います。教室には、鉛筆がコロコロ落ちていたりするから。今度、子どもたちの中からモニター募って「筆箱中身、えんぴつ1本プロジェクト」をやってみたいな。提案してみよう。それだけで、いろんな気づきが生まれるんじゃないかなぁ。オモシロそーだ。

さて「Appleペンシルになくて、鉛筆にあるものなーんだ?」の答え。Appleペンシルはけずれませんから!と思った人いたでしょ。でもね、答えは、僕が思うに世界中とのつながりです。興味がある人はこちらの絵本をどうぞ。僕も毎年読んでいるいい本です。

『いっぽんの鉛筆のむこうに (たくさんのふしぎ傑作集)』

ちなみに僕はもういい大人なのでAppleペンシル2を購入しました笑。大人はいいんです。自己責任なのだから。

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