自分で考え、判断する教師がエビデンスを批判的に使え、教室文脈にいかすことができる 3/3

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

今日は、今後、私たちはどのようにエビデンスとお付き合いをしていけばいいのか? 僕なりの考えをまとめていきます。昨日は、「ハッティの主張」まで書こうとおもっていたけど、通勤電車内「作家の時間」も終ってしまいかけずじまい。今日は、そこから。

ハッティはエビデンスにとても慎重派

意外にもハッティ自身は、エビデンスに対してとても批判的です。ランキング表を拙速に使うことを懸念しています。独善的な教師の経験だけに固執し続けることなく、エビデンスに基づいて、教師のふりかえりを批判的に行わなければならないとしています。この振り返りの中にこそ、エビデンスを活用することが重要なのです。エビデンスを批判的ふりかえりの参照として活用していくことが、オレオレ実践や凝り固まってしまっている思想に一度、ブレーキをかけて、見つめ直す機会をくれるのではないでしょうか。

「実践者の判断の過信を排し、自らの実践を批判的にするための視点を提供するもの。高いエビデンスリテラシーを持った教員が現場にいて、実践者の価値観や教育実践の具体的な場面とつなげることではじめてエビデンスは教師の批判的省察の基盤としての機能を発揮する」

熊井将太『「エビデンスに基づく教育の闇を探る」教育学における規範と事実をめぐって』9章271頁より

批判的に扱うためにも、エビデンスリテラシーをもった教師として成長しなければならないんですね。

しかし、教育エビデンスを批判的に捉えることにはまってしまうと、せっかく教育研究で生み出された知見であるエビデンスをいつまでたっても授業づくりやふりかえりに活用できずに終わってしまいます。これは、教育研究者にとっても本望ではないはず。エビデンスに沿って今後、教育を進めていくことについては、研究者も授業実践者も同意できるところ。

問題は、そのエビデンスを導き出した集める方法やそのエビデンスの取り入れ方にあります。そのためには、教育研究分野と教育実践分野での活かし方を分けて考える必要がありそうです。

教育研究と教育実践に分けて考える

エビデンスの活用のあり方を「教育研究」と「教育実践」で分けて考えると扱いやすそうです。文科省の教育施策の大きな方向性を決定するには、量的な成果エビデンスを活用します。今後、文科省の教育政策の決定には、それぞれの経験や勘といったものよりも、エビデンスをもとに予算配分をしていくこととなっていきますね。

それにしても今回の新学習指導要領改訂は、「現場の専門家としての教師はつくづく信頼されていないなぁ」と感じてしまうのです。具体的でわかりやすい指導要領と引き換えに、自分で考え、判断して育っていく教師を漂白してしまっているからです。文部科学省が「私、失敗しないので」と、教育平均値の量的な底上げのためエビデンスに基づいて、教育政策の方向性を決めていくとこういうことになってしまうんですね。指導要領がよくできてしまっている分、トレードオフで学校現場ではよりよく考えにくくなる・考える必要がなくなる。言われたことをカバーするだけといった構造が生まれてしまっているのではないかと考えています。

考えようとしない/考えなくてもすんでしまう仕組み

ここから、教育委員会や管理職から言われたことを上意下達に「ハイ、ハイ、アイアイサー」とやろうとする扱いやすい教師を増やしてしまっているトリックがあるんだと僕はにらんでいます。本当の民主主義を支える教育は、指導要領を越えて何を教えるのかということさえも自ら考え出していく自覚だと密かに思っているくらいです。

学校を管理する立場からしてみれば、こういう扱いやすく、言われたことを何も考えないでそつなくこなしてくれる教師は人気がでます。そういう人は、(支障なく運営される)学校のためになる!と「人事評価もAプラスをとれるんだぞ!」と校長室で以前、言われました。僕の経験からも人事評価Aプラスをもらっている人は大概、人当たりもよく、「学校を(1年間そつなく)まわしていく」こと(だけ)に長けていて、なんでもいうことを聞いてくれる人でした。

エビデンスの活用にひるがえって考えると、エビデンスに飛びついて活用してしまうことは、同じ事が起こりかねません。「これは学習効果が高いから学校全体でやるべし」と学校スタンダードが教育委員会から掲げられてしまう(現状では、「返事ははい!」とか「姿勢良く座る」そういったものが多くを占めていて助かっていますが)。すると、それを一方的に受け取ってしまい、自分とクラスの子どもたち、学校の子どもたちに引き寄せて考えてみることができません(本当に効果が高いものであったとしても、ちゃんと自分の教育現場で扱えるものかどうかを各教師の責任で考えていくことは必須)。自分では判断を何もしない無責任な教師になってしまう予想しています。

正解だけを求めて「あの実践家がそういうから」「学年主任がそろえましょうというから」などと、だれかの後追いをしているだけの人にはエビデンスは毒にしかなりません。エビデンスについて、調べていけばいくほど、結局は「自分で考え・判断する教師」が必要だと確信に近いものを持つようになりました。

僕自身が「本当に面白い人だなぁ」と思って付き合っている人は、やっぱり自分で考えて、試行錯誤して、失敗しながらも成長の中にいる人です。そういう人たちにはたいがい「やりたい・やってみたい」があって魅力的です。そういう人の授業も熱量があって、授業でも同じように子どもたちを魅了しているのだと勝手に想像しています。

自分で考え、判断して切り開いていく教師

学校に、今、目の前の子どもたちに必要な教育目標を同僚と考え合い、自分が大切にしている教育理念や教育哲学、思想をもって、子どもたちと向き合っていく。教材を通して知識や人との関係性をつむいで学びをつくっていく。今は、この狭い教室文脈にしか言えないかもしれない。けれども、こうやるといいんだよ、大切なことだよ、と自分で考え、判断して切り開いていく。ここに教育実践を積み重ねる教師としての矜持があるはずです。

本当は『子どもがとっても楽しくしかもより深く学ぶ教育エビデンスをいかした授業のつくり方』(こんな本あったらとぶように売れるだろうな(笑))を、知りたいですよ。教育に対するこの気持ちがないと言えば、嘘になります。けれども、そういう「知ってるくん」では役に立たないんです。

若かりし頃の僕は、知識の量で経験の差をカバーしようとたくさん本を買い集めていました。1年目からだってスーパー教師になれるはず!と。けれども、そんなことはありませんでしたね。結局、残ったのは積ん読本の数々と、あまりの重さで床がしなってしまったことぐらい。何にも考えてなかったんですね。

いい先生、できる先生に焦ってなる必要はぜんぜんなくて、1年目の教師であったとしても、自分なりの考えや判断をもちながら、失敗もしながら修正し、試行錯誤を通して少しずつ力量をつけていけばよかったんです。教師は時間をかけてゆっくりと教師になっていく。焦ってすぐにスーパー先生になる必要もなく、なれるはずもありません。

教育実践におけるエビデンス・リテラシーって自分を疑い考え続けること

エビデンス・リテラシーが0ポイントだと、「エビデンスはなんだかうちの教室で効果があるかよくわかんないけど、きっと効果があるんだろうからやる!」と何も考えずに飛びついてしまいがち。そうではなくて、自分の実践やあり方が独善的になっていないか、自分の成功体験や経験を信頼しすぎていないか、チクチクと自己批判できるような視点を提供してくれるのがエビデンスであり、エビデンスのいかし方だと考えます。

実践におけるエビデンスの活用はレパートリーを提供するのみである。

(石井2015:35)

僕は、これを積極的にうけとめて、ふりかえりの批判的な視点として、考えていこうと思います。考え方に偏っていなかったか? 批判的に振り返ったり、または、エビデンスそのものを「本当かな?」と自分の教室文脈でためしてみるため慎重に授業計画を練ってみる。ときにはそのエビデンスにNOを実践現場の教師から突きつけることで、さらにどうしてエビデンスが効果がないのか、エビデンスそのものに問題があるか、または、エビデンスの扱い方に問題があるのか、より深まっていきそうです。そういうときにエビデンスは効果的に活かすことができるんだと思います。

研究者と現場の教師が一緒に学ぶ

先日、算数の全国大会に参加しました。そこでは研究職の方たちが、リアルな子どもたちを前に、自分が主張するエビデンスや教育施策を、右往左往しながら授業している姿がありました。僕はこういう同じ釜の飯を食らおうとしてくれる姿に心打たれてしまいます。

苦労して導き出したエビデンスを、研究へのリスペクトをもっていかしていく。僕らはそれに応えられるように、エビデンスや研究成果をうまく使いこなしていく。そのために、ゆるやかにいっしょに合同研究できていくといいです。僕が勤務している学校では、幼稚園と大学教授と共同研究しています。一緒に話を聴かせてもらう機会がありましたが、これは相互依存のシナージーが生まれ、教師がバランスよく学び続けていく仕組みなんだと改めて気付かされます。

とりとめもなくなってしまいましたが、ここが「今」僕がわかっていること、こうしたいことです。もしかしたら、また大きく変わるかもしれない。そうであると、それはまたそれで学びが進んだことなんでしょう。次のステップはいよいよエビデンスを慎重に現場にどう活かしていくか、そのために考え続けていこうと思います。ようやく楽しくなってきそうです!苦笑

参考文献

  • 杉田浩崇・熊井将太(編)(2019)「エビデンスに基づく教育の闇を探る 教育学における規範と事実をめぐって」春風社
  • ジョン・ハッティ(著)、山森光陽(訳)(2018)「教育の効果:メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化」図書文化社
  • ジョン・ハッティ(著)、原田信之(訳)(2017)「学習に何が最も効果的か―メタ分析による学習の可視化◆教師編」 あいり出版
  • 今井康雄(2015)教育にとってエビデンスとは何かーエビデンス批判をこえてー
  • 久富 望(2019)「効果的な教育」のエビデンスの責任と将来性 日本カリキュラム学会第30回大会におけるハッティの研究に関する議論を基に
  • 平成29年度文部科学省委託調査「教育改革の総合的推進に関する調査研究」エビデンスに基づく教育政策の在り方に関する調査研究報告書
  • VISIBLE LEARNING Hattie Ranking:252 Influences And Effect Sizes Related To Student Achievement https://visible-learning.org/hattie-ranking-influences-effect-sizes-learning-achievement/
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

最近のコメント

    コメントを残す

    *