学級づくり

東京学芸大学付属世田谷小学校の研究発表に行ってきました


「学びを自分でデザインする子」とテーマをうった東京学芸大学付属世田谷小学校の研究発表に行ってきました。4年生〜6年生を縦割りにして、それぞれの個別テーマ研究を行う「ラボラトリー」をみてきました。このセンスはとてもいいなぁと思います。5年前から学校規模で改革ができることが素晴らしい。

僕は算数に興味があるので算数Laboをみてくると、13人ほどの子どもたちがいました。後楽園ドームの座席において推しの見え方が一番いい座席を数値化している子、鶏の美しい絵を描いて黄金比を使って表す子、そして水平線の見える長さをひたすら計算している子など、それぞれがテーマを持って研究していました。しっとりとしていていい時間でした。

僕はこのバラバラ30人以上の算数テーマ探究学習を前任校でやったことがあります。

うずまきコンパスの発明 「数学者の時間」で学べること

http://igasen.blog22.fc2.com/blog-entry-602.html

学会発表会と銘打ってそれぞれの発表会もしました。それはそれで面白かったのですが、個人追求では、どこかクラス全体のダイナミックな協働性が生まれなかった。そのため、今回は個別テーマで追求するラボラトリーに興味がありました。

算数laboでは、あの一人一人のiPadがかなりの一人一人を支えていることに気づきました。先生が子どもに個別カンファランスしている間、当然、他の子はほったらかしとなります。僕はこの問題を探究では共通テーマ設定にすることで、ピアカンファランスが生まれるように、情報交換を促進するように補っているのですが、世田谷小の算数laboはそれぞれ個別すぎてそれができません。そのため、かなりの部分をネット情報に頼ることになっていましたが、まさにGIGA時代を写した実践。情報を駆使することで、ここまで行けるのかぁと、実感。このあたりについてはもう少し慎重に考えていきたいところです。

学校ってほんとに多忙。それにも関わらず熱量もって学校規模で研究発表していくマンパワーに刺激を大いにもらいました。帰りは世田谷「たこ坊」でペッパークイーンを食べながら帰ろうっと。

火起こしから再生エネルギーについて考える

三学期がはじまり一ヶ月。クラスのわんぱく坊主たちがようやく成し遂げたことがあります。それはそのへんにおちているものでやる火起こし。ようやく、煙をあげて(これ簡単)、火種を作り(これかなり難しい)、炎までつくる(これ経験ないと最難関)ことができる子がでてきました。

火起こしは本能に訴えるのか、子どもを夢中にさせますね。ほっておいてもずっと火起こし。ひまさえあれば、煙をだす鍛錬を積み重ねてきました。まぁその都度、朝、休み時間、放課後と、僕は付き合わされてきましたが、それがまたオモシロかったのです。正統的周辺参加で、いつの間にかつい口をだしたくなってしまい、一緒になって大人も本気モードになってしまう魅力がありました。

火がつけば、しぜん広場にいたみんなで大喜び。これぞ人類!という瞬間に立ち会えました。

子どもたちの技術も日進月歩で、舞いきり式から、行き着いた先は、ペアで火起こし。一人が棒を押し込み、もう一人がひもで棒をまわす(どちらも校内のひろいもの笑)。これによって縦と横の圧力を同時にかけて摩擦の強化ができます。まだ、子どもたちにはこの縦と横の同時にまわす操作がとても難しい。ましてや棒一本で火起こしするなんて困難さの極み(ちなみに僕はできます。エヘン)。

一番最初はこんな道具。これじゃむずかしい。

ペア火起こし、これはすごくいいアイディア。グループで協力していくと自然とこの形になってきました。子どもの日記を読んでも「火起こし仲間が増えた」とその輪の広がりを見せて楽しそう。

改良を重ねてここに行き着く

火を使えるようになったことで人類は暖をとることに加え、これまで生でしか食べられなかったものが火を入れることでその消費期限が延びるようになりました。燻製にすることもできました。その人類の発展プロセスを体感しない手はありませんね。ライターやマッチ、ましてやAmazonサイトの火起こしセットなんてなくたって、いつでもどこでも火をおこせる技術を手に入れました。これで、きっとどこでもサバイバルできることでしょう。

このことは、子どもたちと今、一緒にとりくんでいる再生エネルギーの学習の一貫なのです。だから堂々と楽しんでいます。そして、今、私たちが安易に使っている火力発電ベースの電気をなんとか再生可能エネルギーに代替するため、自家発電できないかを思案中。そして、原子力発電についてはもっと批判的に検討していけるといいです。

とまぁ、学校の中でこういうダイナミックな取り組みには、実は緻密な準備も必要で。この一月、ずっと小まめに着く気配のない火をまちのぞみ火気使用願を提出したり、保護者印をもらった火起こし検定証をしたり、あの手この手で安全には十分配慮してのリスクテイクなのでした。

算数の個別指導と数学者の時間の個別指導ってどうちがうの?

今朝の数学者の時間ミーティングでダイジから話題にあがった「算数の個別指導と数学者の時間の個別指導のちがい」がかなり面白いなと思いました。

同じ個別指導といっても明らかにちがう。はて、どこだろう。

どちらも1on1の同じ形成的評価にちがいありませんが、決定的にちがうところがあります。

一斉指導における算数授業における個別指導(最近では、一斉指導もかなり少なくなってきたのでは?)は教師にとっての確認の意味が大きい。個別指導は、そこまでの授業展開を理解しているのかを一人ひとりの進度や理解を確かめ、教えるためでもあります。

★筑波付属小の授業をみていると、それを全体の中で発表しあったりして、一人のつまずきを全体に返して、取りこぼさないように慎重に授業をすすめる高度な技術がみてとれます。

一方で、ワークショップにおける数学者の時間も同じく、個別指導(この場合は個別カンファランスと呼んでいます)も一人ひとりの進度や理解確かめる為でもあります。

けれども決定的に異なることは、前者の一斉指導における算数授業は「教師にとっての」教えたいねらいにそって個別に相談が展開される一方で、数学者の時間ワークショップでは「学習者にとっての」やりたいこと、考えてみたいことや解法を実現できるためのコーチングのようなものです。

★数学者の時間のカンファランスでは、「目標と現在地」「次に進みたいところのゴール設定」「そのためのスキル選択肢」のアドバイスが行われています)。

一昨日の数学者の時間で、良問を解いていたとこのこと。僕が自信まんまんに子どもがつくった問題を解いて「答えをみたい人は参考にどうぞ!!」とどや顔をしていました。僕の数学者ノートには「スッキリ!」とメモまでしてあるじゃありませんか。

けど「イガせん、それ18通りじゃなくて、20通りじゃない?」と指摘されました。すると、一気に4〜5人が集まって、「どこがまちがっている?」「足りないところがあるんじゃないの?」「一緒に考えてあげるよ」と大盛り上がり。このときが一番の学びの最高瞬間学習風力が巻き起こったときでした。

その後、「一つ一つ順番に確かめていくのはいいけど、どれを数えたのかモレや重なりがでてくるから、パターンの数を書き出せた方がいいね」とぼそっと言われました。

まさに! わかっていらっしゃる! この算数・数学で問題を消費するのではなく、まさに! 数学的構造を理解していらっしゃる!

それに比べ。。。

僕の本気の間違えに最初は本気で「はずいよ!」と思ってしまったけれど、子どもたちが懸命に解き方を一緒に考えてくれてサポートしてくれました。この場合は、子どもたちが教師である僕を個別カンファランスという個別指導をしてくれ構造となりました。なんだか、すごく問題に熱中して考える時間だったし、温かく、楽しい時間でした。

個別指導って、これまで「子どもにとって」と思っていたけれど、教師としての僕と同じように、学ぼうとする人たち全員「学習者にとって」、個別指導が必要なんですね。

同じ個別指導といっても、主体が変わることで、授業の様子はこんなにも変わってくるものなのですね。

つくって考えるはおもしろい

こういう「ものづくり」授業は本当にたのしいものです。活動中は、一緒に考えようと机を移動する子、必要とあれば立ち歩いて展開図の組み合わせを話し合うなど、自然と意見交換が行われます。多くの子は「自分で考えたい」とひとりで取り組もうとしている姿もまた魅力的。テキスト中心にカバーする授業では、こういったゆるやかな教室空間を引き出せすのは難しくあります。子どもたちは、明らかに夢中になってあそんでいるみたいでした。この原動力はなんだろう。

「できるかわからないけど、とても楽しかった」

「トイペの空洞に苦労している」

「雲のもくもくを創りたいけど難しいな」

「考えるのがむずい。家でも考えます」

「水曜だけなのは残念」(展開図「数学アート」は毎週水曜日に取り組んでいます)」

授業終わっても「持って帰って家でやりたい」と画用紙追加してくるので、まるめて持って帰らせてあげました。これもまたほんわかとしていいエピソード。

最初の計画でつくりたいものがきまってつくりだしたり、つくりながら考え始めようとする子もいたり、どんな展開図が展開されるか楽しみでなりません。あー、先生やっててよかった笑。

ゴールの共有

次に、これからの学習の見通しをプレゼンしました。ここからの実践は実は昨年度から数学者メンバーのがもちゃんとずっと検討していてとても楽しみにしていた実践のひとつなのです。

まず、この僕の作品例を示し、ゴールイメージの共有から。実は、これ、結構、真剣に僕はつくりました。

そして、いざ、切り抜いて組み立てようとすると。。。なんと、タイヤが片側にしかない! 本気で間違えました笑。

頭の中で創ったイメージと実際に形になると齟齬が生まれてしまう。これは本当にいい経験。失敗は成功への小さな一歩。だからこそ、たくさん小さくためしてやってみる試行錯誤の「ティンカリング」が必要なのです。(この本から学ぶことがたくさんありました)

これを子どもたちに示すと大盛り上がり。最高でした。ビバ失敗。

そして、ゴールは

  1. 一面の展開図をしあげること
  2. のりしろがあること

二つを共有しました。また、立方体や直方体の展開図のみはすでにつくっているのでなしってことで。

また、取り組み手順はがもちゃん先行実践を参考に、

  1. つくりたい形を決める、
  2. ノートに見取り図、展開図をノートに書く
  3. 計画にそって下書き用紙(画用紙)でためす
  4. たしかめて、予想がうまれてくるからメモ
  5. 工作用紙に清書して、一面展開図の出版

となります。

3と4の「ためす」「たしかめる」の繰り返しで、修正点やつくりたいことが「予想」として閃いてくるはずです。それをメモして、ためして、たしかめて。。。サイクルしていくことが、数学的思考を深めていくコツ。しかもこれは、個々人の中でおこなわれるとてもナイーブな思考プロセス。そとからは見えませんので、ノートにできるだけメモすることがコツ。といってもすぐにはできないので、これからのミニ・レッスンでも紹介しながらすすめていこうと思います。

子どもたちのよくある失敗に、メモをとらない。結果、作品ができてもどこをどう工夫したのか思い出せない。メモをノートにとることは、思考のスピードをゆっくり考えさせてくれ、闇雲な試行錯誤にブレーキをかけてくれる最良のスキル。学ばない手はありません。

僕はワークショップや活動のある授業では、この説明する時間をけっこう大事にしていて、どんな作品ができたらゴールなのかそのイメージの共有や、活動の見通しなど、ちゃんとここで何がよくて、どこまでできるのかホールドしておくかんじです。制限のない自由からは創造されないからね。こういう話をしてみると、前時までの取り組みがあるからこそ、何をやるのか、何をやりたいのか、学びの見通しを支えてくれるものだと気付きました。

算数・数学におけるアートとは!?

いよいよ立体の一番おもしろいところ、一面展開図を数学アートする段階へ突入。

ここからは毎週1回、ほそぼそと4回にわけて作品を作っていく時間にしる予定。一気に作品づくりにいくよりも、一週間空けることで、失敗やうまくいかないことをしばらく考えてみたり、つけておいたり、自学でやってみたりと、少しゆっくり自分の作品と向き合えると考えたからです。

手始めに今学期の算数テーマ「算数・数学におけるアートとは何か?」を投げかけました。子どもたちからは「いろいろな形」「式」「すっきり」「数字の美しさ」そして鉄板「アートネイチャー(笑い)」など挙げられ、まだまだ「これがアートだ!」といった答えはみつかっていません。このことは、3学期が終わるまで考え続けること、そして、自分の言葉で表現できるようにしていこう、と投げかけました。

なんだかただ算数でやることをカバーするだけじゃなくて、こういう楽しむことが何よりの学びの原動力なる。その日の感想に「アートとはふくざつだと思う」「アートが面白そうだとおもった。水曜日が楽しみ。」「算数なのにアートすんの!?」と、数学がアートであることに思いを向けはじめました。

この算数・数学アートするってテーマは、今年の初め、数学者のメンバーの新学期の打ち合わせで開発しました。こうやってずっと続けてこれた仲間に感謝。こういうことを考えているときは本当におもしろい。「子どもたちがどんな顔をするかな〜」とわくわくしちゃいます。

この本に立ち返ろうと思う。今、まさに再読するといい本。

遠足引率で、救急救命の場に居合わせた僕ができたこと

昨日、遠足で都内へ山登りに行ってきました。そのとき、心肺停止で倒れていた方と偶然居合わせ、その場で救急救命を行いました。遠足の引率というプログラムが進行しつつ救急救命を実施したその状況は、今後、同じ状況に遭遇するかも知れない教員のみなさんに、少しでも心づもりやその対応に役に立つのではないかと思い、備忘の意味を込めて書き記してみます。

もし、人が倒れている現場に遭遇したら、本当に自分は対応できるのでしょうか。救急救命が必要な場に偶然に居合わせた人のことをバイスタンダーというそうです。予期しようとしまいが、誰もがバイスタンダーとなりえます。僕はちょうど、遠足で子どもたちの引率しているときのことでした。

5年生を担任し、超多忙な日々の行事をこなし、ようやく月末の遠足にたどり着きました。今年は都内近郊の登山。コロナ対応でそれほど目くじらたてることなく、昨年よりはスムーズにルートの下見もできました。今回は、グループチャレンジ。6人グループで約3時間、山頂にいってきて折り返しの広場で落ち合うことになっています。子どもたちにとっても、大きな挑戦。もちろん、迷子にならないように木道を歩けば、必ず山頂にたどり着けるルートにしました。それでもお弁当を食べ、途中でおやつも食べながらの3時間は、なかなかのチャレンジ。支援員が今年は学年を補佐してくれているため、引率する教員も通常よりも一人多く割り当ててもらっています。その先生方を、途中の分岐点やチェックポイントに配置し、そこで記念写真をそれぞれ撮りながら山登りをする、そんなプログラムでした。

途中、ケーブルカーを使って一気に班行動のスタート地点へ。僕はいよいよグループチャレンジにのぞむ子どもたちに最後の確認事項を告げ、出発係の先生にその場を任せ、先にチェックポイントに出発している先生たちを一人で追いかけていきました。午前10時10分ごろのこと。途中、二人の先生にそれぞれあいさつをし、最後、展望台で待っているA先生に巻き道を通ってあいさつしに行ってから、そのまま山頂の待ち合わせ場所「なめこ汁の看板」下で、持ってきたバーナーでカレーでも温め食べていようと思っていました。

すると、展望台へかけ登る斜面に、登山客とみられる男性が倒れていました。遠巻きに一人年配の男性Bさんが一人。展望台にはほんの数人いたかどうか。ちょうど道をふさぐように両手をあげて仰向けに倒れていたので、近づき「大丈夫ですか?」と声をかけても、男性は宙をみて微動だにしませんでした。60〜70歳ぐらいの男性で、口に耳を近づけてみると呼吸も胸の動きもありませんでした。意識もなく、呼吸もなければ心肺停止。とっさにそう判断し、すぐに胸骨圧迫、心臓マッサージをしました。ちょうどザックが背中でマクラ代わりになり体が水平になっていたので、あごだけ上にし、気道を確保しました。

このちょうど1週間程前、水泳学習に向けた心肺蘇生法の救急救命講習を本校に消防職員を招いて研修したばかり。コロナのこともありかなり簡略化されていましたが(感染予防のため人工呼吸はしなくてよい)、さすがに今年で僕も20回以上。それでも、やっておいて良かった。動揺することなくスムーズに動けたのはそのおかげにちがいありません。そして最近、読みなおしていた名作「岳(山岳漫画)」のおかげでもあります。実際に自分はその場面に遭遇したら本当に動けるのか、こっそりシュミレーションしていたばかりのことでした。

遠巻きに見ていた年配の人Bさんに「119番に電話してください」とお願いすると、「さきほど、電話しました」と心配そうに遠目から近寄れないで見守っているようです。知人ではないようでした。心臓マッサージを続けながら「山頂のビジターセンターにAEDがあるはず」と思い、そこにも電話してもらうように声かけると、「電話が話中でつながりません。。。」と。この間、1〜2分か。

ちょうどこの日は、本校の4年生も同じ山に歩きに来ていたことを思い出し、4年が下から登ってきているので、連絡すればちょうど今はビジターセンター当たりにいるはず」と思い、心配しながら近くを通りかかった登山客の年配の女性の方Cさんに心臓マッサージを代わってもらい、トランシーバーのチャンネルを1にして、呼びかけました。

ちょうど2〜3日前に「トランシーバーもってくでしょ」と学年の先生が前日に充電してくれ、チャンネルも5年が「3」で4年が「1」ね。何かあったら連絡取れるようにしようと渡してくれていました。4年生の担任に呼びかけ「救急救命中で、近くにいればビジターセンターに連絡してください」とお願いした瞬間、Bさんが「ビジターセンターに連絡とれました!AEDがない(そんなことあるか?確かにそう言われた)けど、救急救命が出動しているからそのほうが速いですといわれました」とのこと。確かに、山頂のビジターセンターから展望台までは歩いて30分程度はかかってしまう。4年の先生には「ビジターセンターとは連絡とれました。また何かあったら連絡します」と切り、チャンネルを元に戻し「心肺蘇生中なので子どもたちを近づけないで、直線で山頂をめざすように指示してください。展望台のA先生を僕の代わりに山頂待機に変わってもらいます。途中の広場で待機している先生(トランシーバーを持っているのは専任3人のみ)に連絡してください」と、すぐさまA先生を頂上に行ってもらい、子どもたちと現場の鉢合わせも回避しました。振り返ってみると、こういうスムーズに連携がとれる学年の先生たちの臨機応変できる対応がさらなる被害や二次災害を最小に防げたと思います。

年配のCさんも疲れている様子だったので(心臓マッサージは1分本気でやるだけでかなりの疲労が)、そこまでザックを背負っていたことを思い出し脇道に放り投げ、また心臓マッサージに戻りました。ここまでで要救助者に遭遇してから3〜5分たったか。それでも遠巻きにみていたBさんは「119に連絡したのは20分ほど前なんです」と。20分。ちょうど手当をしないで助かる可能性が0%に限りなく近い時間。そのときは夢中だったので、それでもマッサージは続けました。後に調べたところによると、もしすぐに救命措置をしたとしても20分では生存の可能性は10%にしかなりません。そのときは、そんなことまでは考えていませんでしたが、20分が生存の可能性の分かれ目ということはなんとなく覚えていました。

Cさんが、要救助者の胸のホルダーと腰ベルト、ズボンベルトを緩めてくれました。改めて軌道確保を。胸骨圧迫のたびに、のどの奥からシュコー、シュコーと肺もおされて空気が出る音がしました。何度かCさんが「だいじょぶですか!」と呼びかけましたが、目はうつろで宙を見て、よくみると瞳孔が開いていました。僕は(もう、むずかしいかもな)と案外、冷静に客観的になっていて、マッサージを続けました。「私に何かできますか?」と声をかけてきてくださった女性の方に、「こっちに登らないように下の分岐点で止めてください」とお願いしました。ここまで約15分くらい経過。

すると、遠くの方から赤いヘリコプターが近づいてきました。Bさんが手を振って合図をすると、しばらく空中で待機し、救急隊員2名がワイヤーで降りてきました。僕はヘリの風圧で目を開けることもできず、口はマスクでなんとか息をすることができる程度でした。ホッとしたのも束の間、「マッサージつづけてください」と指示。すばやくAEDを準備し、指示されてCさんが上半身を脱がせながら、パッドを的確にはりAEDが心臓をチェック。同時に「通報してから20分が経ち、僕が心マ(なんでかっこつけてシンマなんて言っちゃったんだろう)はじめて12〜3分がたちましたが意識はありません」と報告。対処が的確だったのか心マと言ってしまったからなのか「医者のかたですか?」と聞かれ、「いえ、教員です。引率できたところたまたま遭遇しまいた」とマッサージを続けました。

そしてAEDの「ハナレテクダサイ」の合図で、電気ショック1回目。要救助者はつま先からビクッとなり、「マッサージつづけて」と言われそのまま継続を。またCさんがマッサージを変わってくれ、その合間にもう一度トランシーバーで救急隊が来たことを先生達へ告げ、子どもたちの対応の確認を。学年の先生のおかげで子どもたちはトラブルなく移動していることもわかりました。こういうとき、携帯よりもトランシーバーの即時性がとても有効でした。

しばらくは機械音と遠目にヘリの音だけが聞こえました。隊員から名前と住所、電話番号を聞かれたた後、心臓マッサージを交代。(きっとあばら骨折ってしまっているかも)そう思いながらも、なんとか戻ってきて欲しい一心で続けました。長く感じた2〜3分後、2回目の電気ショック。と、同時にヘリに収容するため担架に包み、また当たりにヘリの騒音と共に要救助者と隊員1名が挙がっていきました。残りの隊員はその老人の荷物とストックなど、「何かありましたら連絡します」とビレイにワイヤーロープをひっかけ、さっそうと空に登っていきました。10分いたかいないかぐらいでした。最後に、そのおじいちゃんの顔をみましたが、変わらず目は見開いたまま。きっと心臓発作だと思う。なんとか(意識が)もどってきてほしい、ただそれだけでした。

それにしても、遠巻きにスマホを撮っているやからには、なにか嫌悪感がのこりました。自分にできることを考え、行動すべきです。それはスマホではありません。Bさんはしきりに「何もできずにすみません」と言っていましたが、隊員は「しかたのないことですよ」と、優しく声をかけていました。決して責められないことですが、もしBさんが心肺蘇生をしていたら、生存の可能性は少しでもあったのではないかと思ってしまう自分もいました。

ヘリが去った瞬間、藪のなかから地上部隊の隊員が3人、駆けてきました。大きなリュックにいろんな機材が入っているようで、息をはぁはぁさせながら「救助者は?」と聞かれ「ちょうど今、ヘリで」と告げました。改めて、現場に検証、どのように倒れていたのか、服装など確認され、僕、Bさん、Cさんの名前、住所、電話番を知らせてその場が終わりました。「どこから登ってこられたんですか?」僕の問いに、「直登してきました。そのほうが速いので」とナルゲンボトルの水をがぶりとさわやかに飲んで答えてくれました。かっこいいなぁ。

と、我に返り、頂上にいるA先生の元にもどることをトランシーバーで連絡し、4年生の先生にもヘリで搬送されたことを伝えました。午前10時45分ぐらいだったか。偶然居合わせた数人での救急救命。瞬時に役割に分かれこなし、そしてできることをできるだけやったらまた散っていく。日本ってすばらしいよ。ほんと。そして、山を登るときはお互い様なんだなぁとじんわりしました。そこから一人、とぼとぼとA先生が待っている頂上を目指して歩く道々はなんとも足取りが重く、ずっしりするものでした。自分にできることは何か他にあったのか。もし、元気になってくれたら「岳」の三歩さんが言うように、また山に帰ってきてほしいなと素直に思いました。幸いにも、子どもたちは大きなケガすることなく(川の水をがぶ飲みするやつがいたぐらい)、無事に遠足を終えることができました。

春の木道にはシャガが美しく咲き乱れていました。シャガの花はたった一日の命だそうです。

AEDの操作は隊員がやってくれ、Bさんが電話を、Cさんと僕は胸骨圧迫に専念することができました。いつなんどき、自分がバイスタンダーになるかもしれませんし、もしかしたら、自分が倒れることだってあるかもしれません。そのために思いつくできる限りの準備をすること、繰り返し行われる救急救命講習に参加すること、いつでも助け合おうとすること、自分にできることを勇気を持って声をかけること、それにこしたことはないでしょう。これを読まれることで、少しでもご自身の中にシュミレーションができれば幸いです。1つでも山の事故、遠足の事故をなくしたいと願っています。

子どもたちと一緒にお弁当を食べ、山頂の人混みにもまれながらおしゃべりしていると少しだけ気がはれました。やっぱり学校ってえいいなぁと思うのです。いろんな気もちをかかえながらも、癒やしてもらっている実感がしました。そして、夜、疲れをとろうと大衆温泉につかっていたら、前から苦境な肉体をした外国人が僕のとなりに座りました。見たことあるぞ! あのバスケ界MVP優勝請負人のセバスチャン・サイズ! おもわず声をかけてしまいました。先週末のタフな延長線ゲームのこと、いつでも渋谷にもどってきてほしいこと、気付いたら、名前も聞かれ、すごい角度で肘の挙がった握手もしました。手、まじデカかった。オフなのであまり話しかけては悪いと思い、しばらく横でほくほくあたたまりました。

子どもの生活から算数メガネで教材づくり

算数メガネを使うことで、今まで見えていた世界の解像度が変わって見える経験をさせてあげたい。それは一体どんな授業になるんだろう? この1〜2カ月間ずっともやもやと考え続けていました。

一年間のまとめである3学期を迎え、コロナで学校閉鎖もあり、なかなか予定通りいかないことが多く、翻弄されっぱなし。そうだったからこそ、見通しも立ちにくい中でも、やっぱり「教師が」やってみたいことがあること、その心の持ちようが何よりも大事なんだと確信できました。

子どもたちとやりたいことがある。その気持ちがあるからこそ、いろんなものに翻弄されながらも、最後まで駆け抜けられる持続力が生まれる。まずは何よりも担任の願い、やりたいこと、チャレンジしたいこと、こういったことを十分に広げる発想からスタートできたことがうれしい一歩でした。

ここに気づけたのは、数学者の時間の研究メンバーとの対話からでした。仲間に感謝、感謝。毎週末の早朝からのzoomはなかなかしんどいこともあるけれど、継続するモチベーションの一つになっています。

子どもたちの生活から、身近なものを使って算数教材化できるものはないか探していました。子どもたちの生活の文脈を生かすことをベースに、教えるべき内容があること、さらに深めると面白くなりそうなこと、こういった算数メガネの視点で日々の生活を見直してみると、ふっと一つのイメージが湧いてきました。それは今年、毎朝あそび続けてきたしぜん広場の池のことでした。

子どもたちはこの1年間ずっと池の周りを走りまわったり、水の流れに沿って登ったり降りたり、雨が降ってもびしょ濡れになりながら駆け巡ってきました。最近では、池に角材を渡して、人間ピタゴラスイッチと称し、綱渡りをしてこっそりあそんでいます(笑)。

最初は、水の池を全部測るのが面白そう!とアイディアが浮かんできました。その名も「水の池、全部、測っちゃいました」。 しかし、3年生レベルでの思考方法ではなかなか水の量まで広げると手立てに限界がありそうです。教師が引っ張り続けること必須か、または賢い子におんぶにだっこになってしまいそう。

でもまてよ。池の周りの長さに目をつけてみると、おもしろそうなことができそう。これまでは直線しか測ってこなかった自分たちが、曲線をも測ることへの挑戦。果たして、直線を測る方法で曲線を測りきれるのか。さらには学級全体で一つの池の周囲を測定後、個々人やグループごとの興味関心により曲線や測りにくいものを測ってみるとおもしろそう。長さの概念がより多面的に捉えられる機会になりそうです。

このあたりこそ教材化できるのではないかと思い、早速、池の周囲を歩足で測ってみることにしました。横に子供たちが数人くっついてきて「何やってるの? 何やってるの?」と興味津々。そのとき、面白い場面を目にしました。それは、しぜん広場を使って自分たちで「丸太に5秒以上乗る」などいろいろミッションを出し合い、達成できるのかを試すミッションあそび。

「イガせんも何かミッション出して!」と言われたので、そのミッションあそびの延長で算数ミッションを大々的に課すことにしました。これをこの学習の導入にしてみうと。これまでずっと、子どもたちがなぜしぜん広場の池の周りを測る必要があるのか? その文脈をどう引き出していくのか、ずっと頭を悩ませてきました。それがすんなりとミッションあそびと言う形で子どもたちへ提供できそうです。ほんと、助かる。ありがとう。

これまで算数は何のために使うのか、その有用さはテキスト算数では時数に追われ、限界がありました。もうちょっとだけ、体験すれば、もっと理解が深まるのに。そういう算数単元になんども出くわしてきました。便利な道具としての算数、算数の有用さは使ってみないとわかりません。子どもにとって「つかえる算数」シリーズとして、実践研究を進めていきたいです。さて、いよいよ第一次がはじまります。楽しみです。

スケートリンクづくり

相変わらず、毎朝、しぜん広場に行って活動を続けています。今週は特に冷え込んだため、池の水が凍りはじめ、寒さと日を追うごとにその厚さが増していきました。

「これ、のれるかな?」やっぱり言い出す子が出てきました。「お、のれんじゃんこれ」と池に足を伸ばし始めます。「うお!冷たい!」とやっぱりクツがぬれます。

「スケートやりたいねぇ」「そうだねぇ」「テラスに水まいちゃおうか」「いいの!そんなことして」「バレなきゃいいじゃん」ということで、一昨日から教室横のテラスの排水口をふさいで、放課後、みんなでバケツでせっせと水をためました。やっぱり、上半身裸、素足で水をバシャシャシャ走り去る少年がいました。いつでも水にぬれられる子が育つ。今年のしぜん広場を継続してきった、ひとつの成果だと勝手に自負しています。

朝、子どもたちと「凍ってるかな?」「わくわくするね」と、僕もいつになく足取り軽く教室への階段を上っていきました。

失敗。

排水口のふさぎっぷりが甘く、水がしんみりもれてただの水たまりが凍っているだけでした。

今日の放課後、大人の力を発揮すべく排水口に粘土で塗り固め水漏れを完全補修。また、水遊びしたい子たちがせっせとバケツで水を運びました。たまった水の中を、やっぱり上半身裸の少年がシャバババと走っていました。しかも今日は3人に増えていました(笑)。

さて、明日は零下2度。長袖長ズボンと帽子をかぶって、上履きで1時間目はつるつる滑る予定。楽しみ楽しみ。こういう意味の無いことや役に立たないけど面白いこと、全力でやってみる。そんな小学校時代を全力で応援中。そしてそういう大人も募集中(笑)。

2021年はバスケに夢中でした

2021年も終わりに近づきました。今年をふりかえると、一番はバスケ。本気で熱くなり魅了され続けてきたのがバスケットボール。この一年間はほんと夢中になりました。40代半ばですが、もちろん「現役バスケットボール・プレイヤー」です。

これまで仕事で得た知見をフル活用して、目標設定し、動画でふりかえり、文献にあたり学び続け、身体づくりもしてきました。バスケ理論学び、身体化するそのコツもわかってきたところでもあります。その甲斐あってかDUNK TOKYOが主催するDUNK CUPのD5クラスで参加62チームの中で、年間優勝できました。なんと、来年は年間通して3000円割引にもなります。地味に嬉しい。

終わってみれば圧倒的な勝利。コロナ禍においても体育館を調整し練習し続け、毎月の大会をこなし続け、15勝7敗の勝率0.68でした。40歳以上のシニアクラスのS2大会では、さらに上の11勝5敗の勝率0.71でした。その間、今年は毎週の練習が46回。本当によくやりきりました。

そんな僕らのバスケチームのモットーは「平等」であることです。上手い人も、そうでない人も等しく同じプレイタイムがもらえるタイムシェアがチーム方針。そして、来る者は拒まず、去る者も追わずで、いい心理的距離感でやってきました。上級者の動ける人だけを集めれば優勝をねらうのはついやりがちですが、それは短期的にはチーム運営は上手くいくかもしれませんが、中・長期で見通したときは、そういうチームは長くはつづきません。

なぜって? そりゃ誰もが同じように歳をとるし、だんだんと走れなくなるし、シュートをぽろぽろと落とすし、下手くそになるからです。そして、それを受け入れなくてはいけなくなってきます。でも、それでいいんです。下手っぴだって、夢中になって楽しめることが日常にあるってことが、僕にとってはとても大事なことなんです。それが上手い人だけで固まっているチームはおもしろくないんです。試合に出られないから(笑)。

僕らのチームは「初任者の同期のメンバーでバスケやりたいね」と立ち上げて、はや18年目。繰り返します。18年目です。よくもまぁ、こんなにも長く、毎週バスケを欠かさず続けてきたと我ながらあきれてしまうほどです。この情熱を仕事に裂いてたら今頃!なんてことはみじんも思いません。だって、何よりバスケが上達することや、チームでプレイできることが楽しいから。

途中、勝利を目指すのか、それともファンバスケを目指すのか、存続の危機もありましたが、「平等」と「マナーよく・プレイヤーリスペクト」をモットーに、常にメンバー内の合意を大切にして、のりこえてきました。2組のカップルも成立し、結婚式では6組ほど司会もしました。冬と夏にはバスケ合宿もしていた時期もあったし、海外マレーシア合宿、NBA観戦へもできました。今では、それぞれの生活のステージもかわり、結成当時メンバーは僕を含めて3名ですが、それでも毎週20名近いメンバーが集まり続けています。

決して上級者のチームではありませんが、決して初級者ではなくなりました。個人でできないプレーは、チームでカバーしあいます。動けないときはそういう「つもり」でプレーしています。うまくいかないことばかりだけれども。だから練習時間の多くは、チームの合わせ練習がメインとなっています。

現在は、下は高校生から上は60歳までの大所帯。学生時代にバスケをやっていて、本当にバスケが好きでたまらない人たちばかりです。僕に限っては、バスケは部活経験さえもないずぶの素人からスタートでした。しかし、もちまえのコダワリ気質でなんとかチーム内ではエースと呼ばれるところにまで成長しました。とは、誰も言ってくれないので、ひっそりとこれからも勝手に思っているところです。

メンバーの中には、専務、社長、工場長、副校長、管理職から平教員の僕やバイトまで、いろんな人がいます。年齢層もやや高くなってきた、いいおっさんたち。おなかまわりの脂肪を抱えつつも、20代の若手に負けじとボールを追いかけ、コートを夢中になって走り回っています。僕は、本当にいいチームだと思っています。数あるスポーツチームの中でも、とても居心地のいいチームだと、自負しています。

毎試合後の反省会という名のお互いのナイスプレーを動画を見合いながら、たたえ合う会と、チームの未来を語り合うのは本当に至福のときです。職場だけでは出会えない人たちとも出会うことができたこと。それはただのバスケだけのプレイではなく、人格的にも尊敬する人とたくさん出会えることでもありました。畑でとれた野菜だけでなく、我が家の愛猫ニャオタローもチームのメンバーから、ゆずってもらったものばかり。仕事とはまったく別の世界のメンバーとゆるくつながれていることは、僕の人生に豊かさを与えてくれていると気付きました。

バスケに出会ってほんとによかった。風邪引くこともなくなりなりました。コロナ禍の精神的プレッシャーはバスケで解消されてきました。膝の痛みは大腿四頭筋とハムストリングスを鍛えることで、すぐに解消もされました。生涯スポーツのはつらつチームとして、文科省から表彰される準備はいつでもできています。

正直、この年になってこんなに仕事以外に夢中になれることがあるなんて!とつい笑ってしまいます。スポーツに歳は関係ないんですね。もっと上手くなりたいし、もっとチームプレーも上達するといい。今回の年間優勝はただの通過点にすぎません。何よりも末永く、楽しくプレーを続けられること。そういう仲間たちとおもしろがれること。そのために、チームを大切にし、つくりつづけ、かわりつづけ、その後に結果がついてくればそれでいい。それくらいが、今の僕らのチームにとってはちょうどいい。もっともっとプレーしたいです。

自分史上、今が1番、体がしあがっている時。今が1番プレイが充実している時。けれども、数年後、いや、60歳になって今の自分を振り返ったときに、「あの時はへたかったなぁ。バスケの本質を分かってないな」と、さらに上達できるといいな。さぁさぁ左ドリブルと左ドライブを練習しましょう。

DEAR バスケットボール ありがとう。

ちなみに今年のチームグッズは、バスケットボールソックスです。チームのロゴが入って一足850円。ご家庭、職員室のみなさんに配りたい方は、お知らせください。

今年のパフォーマンス。自身をふりかえるためにも。のこしておきます。ご笑覧を。