何かを身につけるために学んでいる?

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数学者の時間では何を評価しているのか。今朝の数学者ミーティングでそうきかれて、テストの点でもないし、何かの能力を身につけることを目指している感じでもないし、ちょっと違和感があったので、考えてみることにしました。

数学者の時間を経験することは、問題解決サイクルの技術を身につけるため、数学的思考を身につけるため、なにか、○○力を身につけるためにやっているかというと、そうではなさそうです。これらのことは、数学者の時間をやってその結果ついてしまったオマケのようなもののような気がしてきました。

そもそも何かを身につけるために学ぶという前提、その考え方がちょっとちがっているのかもしれません。

3学期に入って、子どもたちとは毎週金曜日、数学者の時間でひたすら紙と鉛筆で良問を解いてつくる時間を過ごしてきました。そこでは、問題解決力、数学的思考力、そして、コミュ力など、何かを身につけるためにやっていないなぁと思います。もちろん問題解決サイクルは身につけてほしいことなのですが。そのためだけにやっている訳じゃなさそう。

では、何を目的とし、評価し、何を見取っているのか。僕は、子どもたちが本気になったり、夢中になっているかどうか。じゃないかなぁ。真面目にタスクをこなしているとか、与えられた課題を忠実に消化しているとか、そういう姿をあまり期待していないようです。もちろん、基本的にはそういうことは大切にして欲しいとは思っているけれど、教育の真ん中はそれじゃないと思う。

この間の金曜日のこと。ある問題を解いていて、本気でくやしがっている子どもたちがいました。それは、本気でまちがえたこと。真剣に考えたその答えがまちがっている。人はそういうときに「絶対、解いてやる!」「自分の何がおかしいのか!?」何、本気のスイッチが入るようです。

僕は、ニコニコしながら「頭の目隠しを外してご覧よ」というだけ。一気に知恵を集結し、夢中になって考え合う、力強いすがたが生まれました。こういう場面に出くわす度に、学びのありたい姿が見られた気がして、とても嬉しくなります。いつも、この通りに上手くはいかないけれど、教員経験と共に割り切れることが増え、こういう時間がうまれることが増えてきたなと思います。まぁ、いろんなものを手放しているっていることなのでしょうか。

数学者の時間で評価しているもの、みているもの。

それは、子どもたちが夢中になって算数・数学しているか楽しんでいるか、その姿がまずは一番大切にしているなと気がつきました。目標→活動→評価といった直線的な学びでは捉えきれない子どもの姿があります。それこそ、探究→活動→表現といった右往左往しながら考える子どもたちをまるっと理解しようとできるはずです。

ちなみに、子どもたちが本気でスタックした問題は、1000年ほど古来より解かれ続けてきた論理問題。それをもとに2018年に生まれた問題です。僕も最初、同じようにひっかかりました。考えるっておもしろいですね。紙と鉛筆だけで学びは駆動しています。

この問題、ひっかかりませんか?

参照本

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