自分史上一番地味な一年の計「本を開いておくこと」

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一年の計は元旦にありという。さて、具体的な一歩はなんだろうと考えたとき、僕は「本を開いておく」ことに決めた。これはたぶん、自分史上一番地味で小さな一年の計だ。

毎年、大きな抱負を考えてきたけど、いまいちそうならない。『数学者の時間』に至っては、「書く書く詐欺」を続けてきてもう10年が経つ。ここまでくると、詐欺ではなく、いっぱしの芸風だ。まぁ、現場で実践研究していくにはそれほど骨の折れる仕事ということか。

けれども、昨年の後半からだんだん「いいかんじ」になってきたことが増えてきた。それはブログとトレーニングだ。日々、思ったことを忖度無しにブログへ自由に綴ることもできてきた。バスケットを続けるために、毎朝のトレーニングも続いている。

すると、やりたいことが、やりやすくなってくることが増えていることに気がつく。なるほど、日々の自分の生活の質を高めるための継続したメンテナンスが必要だということか。きっとそれを習慣ともいうのだろう。

何かを始めるに当たって、自分の中にその熟達度には段階があることが分かってきた。人の成長には段階があることを、この本を読んで知った。

「『まず言われたことを言われたようにやり、基本を覚えることが大事である』という人もいれば『自分で考え自分に合ったものを選ぶことが大事である』という人もいる。また『量が大事だ』『質が大事だ』や、『考えろ』『考えるな、感じろ』というものもある。今ならわかるが、これらは段階が違うだけなのだ。」

為末大『熟達論』より

新年に、いきなり大きな野望をたてても、それは届かなかったのは、大きく跳ぶための準備・段階ができていなかったから。

そこで慎重に慎重を期して一番、小さな習慣とは何かを考えてみたら「本をひらいておく」ことだった。

決してカッコいいとは言えないけれど、昨年度、なかなか読むことが増えずにいたため、研究も進まなかった(これはシステムの問題で働き方とかいろんな係数が関係しているが、いきなりそこに手は入れられないのでこのシステム問題は保留にしつつも検討し続ける)。これで、自分の中に「読む」「書く」「動く」のステータスを身につけることができるはずだ。

情報収集的に速読すれば年間100冊は軽い。けど、そういう読み方は本のスクリーニングする程度では、ほとんど何も残らない。今、手元にある本はじっくりと考えながら読みたい本ばかり。ちゃんと読んで考える大人になりたい。そのときグラスを片手に、カランとウィスキーでもロックですすれば絵としては最高だ。

元来のめんどくさがりや。読みたいことは読むけど、めんどくさいことはやりたくない。本を開くのだって、めんどくさい。なら、徹底して、本を開いてそこら中に置いておいておけばいいのでは。

エウレカ!である。今、これの記事は風呂に入りながら書いているが、このまま風呂から出て町内を駆け回りたい気分だ。

ということで、まずは服を着てから、「ただ、本を開いておくだけ」実験をはじめる。乞うご期待。

KAIから元旦に最高の写真をもらった。本来みるはずだっただろう金時山からの富士山
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