2023年 11月 の投稿一覧

仕事にも、生活にもバッファをもうけるとうまくいくはず

「咳、大丈夫ですか?」同僚の体調を気遣って声をかけた。「年をとってくるとなかなか治りにくくてね」同僚といっても僕と同じ歳頃。

「そうですか。僕は最近、風邪という風邪を引かないんですよ。そのぶん、よく怪我してますね。こないだもバスケをしていて〜」と他愛のない話をしたばっかりだった。

そういう話をしたからか、ここ二日間、頭痛と喉の痛み、発熱で寝込んでしまった。マーフィーの法則か。

幸い、ただの風邪だったため、家で大人しく寝ていた。

寝ていても気になっていたことの一つが、「書くこと」。しばらく続けこれたことがここで途切れてしまうことが残念だった。でも、それで良かったと思う。書くことが目的化してしまわないことだ。

たしかに書き続けること(たいしたことでもないことだが)で、思いもよらなかった発見や出会いは起こる。でも、何のために続けるのかを見失うと、「続ける」ためになりかねない。書くことはあくまでも、アタマナノナカをクリアにすることだし、ストレス解消だし、ただの遊びだ。

たまにはこういう中断もよいことにしよう、と思った。僕はストイックになりすぎてしまうところがある。

日々の生活や働き方にもっと「バッファ」をもうけるようにしたい。そう、あのキン肉マンのバッファローマンではない。「バッファ」とは、車のハンドルのあそびのようなもので、計画にゆとりをもたせることだ。常に、全力疾走ではそれこそ続かないし、予期せぬ出来事に対応することができなくなってしまう。

アイリスオーヤマの話を聞いたことがある。我が家にもある家電で有名な企業。コロナ禍において、欠品するだろうマスク作りにいち早く乗り出した。普段は、家電を作っている会社であり、日々、余力を残し、たしか60%ぐらいの稼働率だそうだ。

ゆとりがあれば、どんなときにも対応できる可能性が高い。そう思うと、今の働き方をもう少し考え直さないといけないな。これは僕個人だけの意識の問題ではなく、学校組織全体の問題でもある。

このバッファのおかげで、この時期、休みをもらえているのも確かだ。しかし、その分の仕事が他の誰かにのしかかっていることも確か。働き方改革は決して人ごとではない。

「あ〜、ヒマでしょうがないから、仕事でもするかぁ」といった気分にならないものか。本来、「仕事とは暇つぶし」らしい。生前の国分康隆が行っていたカウンセリング研修でそう話を聞いた。そのおかげで、僕は仕事を人生の全てにすることなく、相対化することができた。

まずはようやく日々を取り戻しつつあり、また細々と日々できることを積み重ねていこうと思う。

秋の夜長にお薦め映画アマプラ14選

学生の頃から映画が大好きで、最近では家事をしながらよくみている。今年70本みてきた中で、特によかった自分ランキング★4つ以上を紹介したい。

「何みよっかな」「まだみてなかったな」など、アマプラ、Netflixなどでチェックしてみて。順不同。ではさっそく。

「マッドマックス 怒りのデスロード」

狂った北斗の拳世界を味わいたいなら間違いなくこれ一択。今年一番の最高なひゃっはーな映画。

「ハングオーバー1・2」

二日酔いで記憶をなくした男たちの大騒動。とくにアランが大スキだ。バチェラーパーティをやりたかったな。あまりにも好きすぎて、動画を購入。

「アナザー・ラウンド」

マッツ・ミケルセンすきにはたまらない。高校教師と3人の同僚は、朝から酒を飲み続け、常に酔った状態を保つと授業も楽しくなり、生き生きとする研究を開始する。しかし。。。いつかやってみたくもある。

「キャストアウェイ」

トム・ハンクスなのに、セリフがほとんど無く、飛行機事故から無人島での半裸でサバイバルしている映画。なんとバレーボールが友人となるくだりは感動。一度はみておきたい。

「とんび」

重松清に阿部寛はまちがいないでしょ。運送業者のヤスと息子の2人生活。仲間たちに支えられながら、不器用にも息子を愛し育て続ける。ある日、母の死の真相を知りたがるアキラに。。。

「海よりもまだ深く」

是枝裕和監督と阿部寛もたまらない。大人になりきれない男と年老いた母を中心に、夢見ていた未来とは違う現在を生きる家族の姿をつづった人間ドラマ。

「ディパーテッド」

ディカプリオとマット・デイモンの犯罪組織に潜入した警察官と警察に潜入したギャングの戦い。ハラハラの展開がしびれすぎる。

「マイ・ボディーガード」

元CIAの特殊工作員デンゼル・ワシントンは、9歳の少女ダコタ・ファニングの護衛を引き受け、彼女の純真さに癒されていく。そして彼女が誘拐犯に拉致されたとき、彼の過激な追跡が始まる。控えめに言って最高。

「グッバイリチャード」

余命180日の大学教授が残された時間をありのままに生きることで人生の愛おしさを見いだしていく姿をユーモラスに描いた。ジョニー・デップの演技が好きすぎる。

「ブラッドダイアモンド」

内戦下のアフリカで発見された巨大なピンク・ダイヤモンドを巡って繰り広げられる争い。ダイヤ密売人にレオナルド・ディカプリオはやはりかっこいい。

「Mr.ノーバディー」

ごく普通の中年男が、世の中の理不尽に怒りを爆発させて大暴れし、やがて武装集団やマフィアを相手に激しい戦いを繰り広げるハードボイルドアクション。こういうおじさんになりたいぞ。

「ジオストーム」

地球の気候をコントロールすることを可能にした人工衛星が暴走し、世界中が異常気象や大災害に見舞われる。その危機に立ち向かうディザスターパニックアクション大作。SF大スキ。

「リピーテッド」

事故の後遺症で、毎朝目覚める度に前日までの記憶を失ってしまうニコール・キッドマン。夫のベンは、自分のことを忘れてしまうクリスティーンを献身的に支え、暮らしていた。そんなある日のこと。誰を信じていいのか分からなくなる、これはまじやばい。

「罪の声」

実際にあった昭和最大の未解決事件をモチーフに過去の事件に翻弄される2人の男の姿を描くミステリー。小栗旬はやっぱええわ。小説もいいし脚本賞とるだけある。

学生時代みた映画でも、今、あらためて見なしてみるとちがった角度からそのオモシロさがわかってさらに好きになる。今年一番はやっぱり映画館でみた「ラストスラムダンク」だな。

「子どもの心 データで可視化」も気持ちわるい

子どもの心 データで可視化」今朝の朝日新聞の一面だ。

どうしてこれが気持ちわるいのか、このことはちゃんと考えておかないといけない。けど、今はじっくりと考えるほどのゆとりがないので、このイヤ〜な気持ちをちゃんと記録して忘れないようにしておきたい。

9月にも同じような「子どもの気持ち、データ化」の新聞記事があったので、子どもの人権からブログに書いた。子どもにだって知られたくないこともある。

「子どもの気持ち、データ化」は気持ちわるい(2023年9月19日)

http://igasen.xsrv.jp/wp/2023/09/19/「子どもの気持ち、データ化」は気持ちわるい/

今回は、欠席や遅刻、早退や保健室の利用回数、国語や算数のテストの点数、身長に肥満度、友人関係や家庭での会話など、多岐にわたるデータを集めているようだ。授業改善というよりも、いじめ、自殺を予防するための取り組み。そのため多角的なデータを集めることで、もっと子どもの心を立体的に「心の天気」としてデータ化していく。

いじめ、自殺を予防することは必須だ。僕は反対はないし、それには首肯しかない。

とくにいじめ、自殺への対応が、データに頼る学校・教師になったとき、「データに表れませんでした」問題が必ず生まれる。もっとひどいのは「データには出ていましたが働き方改革のため、それを校内で閲覧する時間がありませんでした」みたいなことも起こらないとも限らない。

いじめの見抜くのは、結局は「違和感」だと思う。

これは経験がそうさせるというよりは、人として気づけるかだと思う。こういう感覚は、長年教師をやっていれば、だれもが経験することだ。

「この子に何か気になるところがある」

「今、教室で何か起こっている」

この違和感にどれだけ向き合えるか。それに真摯に向き合って、分かろうとできるのか。ここへの支援がほしいのだ。そのためのデータがほしい。順番が逆だ。

子ども一人ひとりをデータとして理解していると、データには表れないその何かを、見取ることはできなくなりそうで怖い。こういうことは、原因と結果のように、直線的に理解できることではなく、因果関係がみえにくいつながりの中にあるシステムの問題だからだ。

子どもの自殺やいじめを本当に減らしたいのなら、余計なことはしなくていいのでは。ただ、教員にヒマとゆとりを与えてほしい。それだけで、子どもの一挙手一投足にもっと敏感になれるはずだ。

ゆとりがあって、子どもと一緒にいられるだけの時間をもっと増やせるといい。一人ひとりをみられる環境をつくってくれればいい。データは大事であることは変わらない。しかし学校現場でほんとうにほしいものは、子どもの心のデータではないないだろう。この問題を早急に小手先の科学技術でカバーをすると、必ずしっぺ返しを食らうだろう。

朝日新聞 2023/11/05より

モテ期、到来か

僕は蚊に愛されている。

必ずと言っていいほど、毎日、蚊に刺される。このつらさ、誰かにわかってほしい。

虫除けぬればいいじゃないかと言われそうだが、僕はそういう身につけることはキライだ。なんせめんどくさい。時計だってしたくない。

ご多分に漏れず、今日もすこぶる蚊がよってきた。テラスのベンチに座ってお茶を飲んでいたら、半袖の腕には3匹くっついてきた。なぜなのか。

周りの人に相談したら「それはきっと足がくさいからでしょう」と断言された。くやしいので「なら嗅いでみてよ」というと「いやだ」と言う。ならば、自分で嗅いでみようとためしてみると、別にくさくない。

気になって、いろいろ調べることにした。蚊に刺されやすい人には、いくつか要因があるようだ。

汗っかき。僕はそれほど汗っかきではない。

アルコールをよく飲む。人と一緒なら飲むことは多いが、1人で飲酒の習慣はここ数年ない。

妊婦。そもそも僕は妊婦じゃないし、妊婦にはなれない。

黒い服を来ている。いや、白い服が多い。

血液型がO型だ。いやAB型だ。馬鹿にされるから秘めておきたかったが。

二酸化炭素によってくる。なら、なぜ僕の吐息にだけよってくるのか。僕以外は呼吸をしても二酸化炭素をだしていないのか。そんなことはない。

体温が高い。これは確かにあると思う。僕の平熱は37度近い。しかし、体温が高いだけなら、子どもたちだって体温が高いはずだ。一緒にしぜん広場にいくと刺されるのはいつも僕だ。納得できない。

どれも納得できない。

そこで、徹底して調べてみることにしたら、蚊を引き寄せる「誘因源」が強いらしい。そして、その誘因源は、遺伝的要因にきまっているとか。

『あなたは嫌いかもしれないけど、とってもおもしろい蚊の話』

たしかにじいちゃんはよく蚊にさされていた。僕の先祖も、きっとポリポリと蚊にさされて掻いていたことだろう。

いくらモテ期だろうが、蚊のあの羽音がラブソングにきこえてくることは決してない。

だれかにわかってもらいたかったショウモナイ話。

人生で一番ぜいたくなトリュフピッツァ

立川志らく「師匠」から学びの本質を知る

明日から入試。なかなかタフな日程が続く。英気を養うため、今日はのんびりと家で読書。昨日、新宿の本屋でたまたま手にした本がおもしろすぎて一気に読み終えてしまった。

しばらく落語を聞きに行けてなかったので、約束していた人と会う前に落語関連の本を探そうとふらっと本屋に寄った。

ちなみに新宿の本屋でいうと、僕は新宿紀伊國屋よりも新宿ブックファーストのほうが好き。あの本の杜に迷い込む感じがとくにいい。

しめしめ、立川流の本が新しく出版されていた。

立川志らく『師匠』

立川談志にたいする愛が語られている本だった。本の帯には「師匠のことは大キライ」とかかれているのが立川流。

以前、読んだ立川談春の『赤めだか』には、立川談春は志らくのことを、かなりはなもちならない奴だったと読み取れた。一方、志らく『師匠』からは談春こそ芸はするどいが、怠惰な奴だと仕返しされていた。

兄弟弟子のやりとりが本を通してやりあっているのが特におもしろい。

同じ修業時代でも、師匠である立川談志から厳しく育てられた談春と、天才とほめそやされて育った志らくの別々から、今はなき立川談志の破天荒さがたちあがってくる。

立川談志の修業時代の徒弟制度からは「学びの本質」について考えさせられることが多い。

弟子は、全てにおいて師匠の一挙手一投足すべてに気をつかわなければならない。その気迫が本から伝わってくる。

自分が談志を師とあおぐならば、その談志の意図とは関係なく、全てが修業となる。弟子は、勝手に何かを学んでしまっている。それほどアンテナを張り巡らし、常に師匠と一緒にいる。

この「しまっている」のが学びの本質が凝集されているのではないか。自分はこの師から学ぶと決めたら、もう学びは勝手に駆動してしまう。

談志は自分では抱えきれなくなった弟子たちに「築地に行って修行してこい」と命じる。その無理難題に談春ふくめ3人の弟子たちは文句をいいながらも素直に従う。なぜならそれが徒弟制だからだ。師の言うことは絶対である。この築地修業時代のくだりは談春の『赤めだか』にくわしく、とくにおもしろい。

しかし、志らくは「それはいやだ」と師に背く。落語家になるために修業しているのに、なぜなら魚屋になりたいわけではないからだ。気骨のあるとはこういうこと。あの立川談志を前に、そうそう言えない。だから談志に愛された。

「築地に行ってこい」といわれ、一方はこれも芸の足しになる、修業なのだと思って素直に行く。もう一方は断る。断るとなるとその理由を考え、思考が回せざるをえない。

同じ場面に立たされても、人はまったく違うことを考え、行動し、育っていく。学びってそういうもの。あこがれる、ほれこむ、この人から学ぶ、と思えたならばすなわちそれが学びとなって起動する。そういう学びが芸の世界にある。

落語が好きだ。

古今亭志ん生、古今亭志ん朝といった人気どころはききやすく、好きだ。しかし、立川談志をきいてしまうと志ん朝には物足りなさを感じてしまう。

今はやはり立川一門が好きだ。あの立川談志の毒ある口調、そして人の弱さを肯定してくれる落語が。志らくを聴いていると、談志のものまねが実にうまい。乗り移っているようにも聞こえる。

YouTubeでいくらでも過去の名演技を見られるこの時代はありがたい。この秋、しばらく落語にふけようかとおもう。

イガせん、音楽かけて

「僕は、アレクサではありませんから〜」と返答する。

クラスの子どもたちは毎週木曜日の昼食の時間を楽しみにしている。

コロナ感染予防から、しっとりと落ち着いてお弁当を食べようと続けてきた毎週木曜日の「音楽の日」。

子どもたちは教室の連絡用ホワイトボードに「聴きたい曲」をリクエストを書いておく。僕はそれをただYouTubeで流し、みんなで楽しみながら聴きいている。

これはなかなかおもしろい取り組みとなった。なぜなら僕は流行の曲はまったくといっていいほど興味がないからだ。

あると言えば、尾崎豊か浜田省吾しかしない。今も僕の体にはこの2人の音楽が流れている。でもだれもまだリクエストした子はいない。できれば、「卒業」ライブバージョンとかリクエストしてほしいものだが。

ここでは初めて買ったシングルCDが「壊れかけのRadio」ということはふせておきたい。誰にも触れてほしくない傷もあるものだ。

今、どんな曲がキャッチーで流行っているのか、僕にとっては貴重な情報収集の場でもある。それは学期末に作っている映像のまとめにも使える。

僕が子どもの頃と言ったらみんな同じ曲を聴いていた。でも、今の子どもたちはみんな共通の曲がないくらい、多様すぎる。

電子音の声のガチャガチャした音楽も慣れてくるとおもしろい。不思議な旋律づくりだ。アイドル好きな子どもたちからは、きゅんきゅんするような恋の歌を僕もきゅんきゅんしながら聴く。最近のアニメソングはふつうにかっこいい。マニアック路線すぎる歌もある。

みんな独自路線で、自分が好きを前面にだしてきて、僕が少しはずかしいくらい。

たまに親の世代の影響か、米米CLUBやTheアルフィー、そして北斗の拳「愛を取り戻せ」など、懐メロの流れてほっこりする。一番子どもたちにクリティカルヒットしたのが、吉幾三の「おら東京さいくだ」だ。余りにも愛しすぎて、ハロウィンは吉幾三になっている子もいた。

でも、こうやって共通音楽経験を重ねていると、応援団で応援歌を決めるときも案外、「あれねあれあれ」と共通体験をもっていると強いことがわかった。音楽は人をつないでくれる。

僕はまだ「15の夜」をリクエストできていない。卒業前に勇気を持って伝えたい。魂の歌を。100円玉で買えたぬくもりを教えてあげたい。

人は変われるとあの頃の僕に教えたい

僕は、読んだり、書いたりをしない子どもだった。

書くことは別に好きでも嫌いでもなかった。苦手だなという意識だけはもっていた。書いたものはいつも母が手直しをしてくれていたので(優秀なゴーストライター)、自分で書いた経験はまったくなかった。

唯一おもぼえているのは、二年生の国語で自分で物語をつくる単元があった。僕は昔話の「三枚のお札」をモチーフに、とんちんかんな絵本をつくったことを覚えている。これはすべて学校で完成させたから、大変まんぞくだった。

姉はよく本を読んでいた。我が家には図書館文化はあった。だった。あの名作手塚治虫シリーズを少年時代に「すべて」読破できたことは大変、豊かな経験だった。

つまりマンガしか読んでいない。

当時、流行っていたジャンプ専門だった。ジャンプの黄金期を少年時代で迎えられたのはとても幸せなことだ。キン肉マン、ドラゴンボール、北斗の拳、聖闘士星矢、シティーハンター、ジャングルの王者ターちゃん。こち亀、おしりふりふりもんがもんが、ゆうてみやおうぺぺぺぺぺぺぺ、なんでも覚えている。ジャンプ放送局もすきだった。

しかし、本という本を読んだ記憶はない。攻略本はむさぼるように研究していた。マンガを読んで、ファミコンやって、ゲーセン行って、駄菓子や行って、いつも外遊びしていた。それに夢中だった。

今はといえば、こまめによく書いている。そして読んでいる。

今読んでいる本はいろいろある。僕は場所によって読み方を変えている。じっくりと長くはよまない。最近は本を聞き流せるため、大変ありがたい。

じっくりとこれ。

『教科書では学べない数学的思考』

今シーズンのLAFT課題図書。ブッククラブも4週目。

運動しながらこれ。

白井 聡・他『コモンの「自治」論』

戦後の学生運動からの大学自治論の流れが実におもしろい。

夕飯つくりながらこれ。

田中 泰延『読みたいことを書けばいい』

バンカラな文体ですき。おかげさまで「マッドマックス」3部作を見直すほど!ひゃっはー!

トイレではこれ。

孫 泰蔵『冒険の書 AI時代のアンラーニング』

おしっこしている間に読みやすく刺激的(失礼か)。

寝床ではこれ。

浅見陽輔『最強の懸垂トレーニング』

寝る前には朝トレのモチベーションの一冊に。

『無職転生 ロキシーだって』

ゲームの世界観が好きすぎて(『指輪物語』の世界観ね)、いよいよスピンオフにまで手をだしている。寝落ち本。

歩きながらこれ

橋本 治 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』

美しさを追求しているから。数学的のね。

すき間時間にはこれ

山井教雄『まんが パレスチナ問題』

やはり今、知っておかないといけないなぁと。読みやすそうなところから。

なにが書きたかったのかわからなくなってきたけど、つまり、人は変われるってこと。変わろうと思うこと。それが変われる一歩。あの頃の僕に教えてあげたい。