新聞を読んだり、ネットニュースを流し見していると、いろいろと意見をいいたくなることがある。今朝も、そういう記事を目にして、自分なりの考えがあふれ出てきた。
けど、いわないことにしておこう。
何かにその場で反応しているときは、これまでふりかえってみても、考えが浅い。このメッセージを伝えることで何をしたいのか、その目的さえも見失いかねない。これは、ろくなことにならないばかりか、ピンチを招き入れることとなる。
たいてい意見を言いたいときは、こちらが「正しい」と思っているとき。そういうときは、とくに相手を説得したり、自分の思うままにあの手この手でコントロールしたくなる気持ちがぶくぶくふくれあがる。
伝えたから、そのまま伝わるなんてない。
理解は人それぞれというように、その人独自の理解の枠組みがある。そこを無視して意見を伝えたとしても、相手には刺さらない。こちらが気持ちいいだけのこと。
同僚と意見が対立しているとき。保護者と話しているとき。特に、子どもと話しているときには気をつけたい。無意識のうちにマウントをとりがちな自分がいる。これは意識してもしすぎることはない。
さすがにこの歳になると、決めつけてものを話していたりはしないが、心からそう思っていないのが眉間のシワからビームが出てしまっている。
「きこう」とすることを頭のどこかで常に忘れないようにしたい。そのためには、まずは「反応的に話す」ことをやめてみること。たったこれだけで、相手の話すスキマがうまれる。
僕の中には僕を育ててくれた尊敬するボスがいて、
「イガキさん、ちゃんと聴けていますか?」
と常に見守っていてくれている。いや、見張ってくれている。
人の意見は氷山の一角。そこにはその人の「経験」や「感情」が埋まっている。そしてそこにはまだ言語化さえもされていない「価値観」がある。そこまで聴き取ろうとして、はじめて相手とのシナジーがうまれてくる。
だから、しゃべっているヒマなんてないのかもしれない。
ただ、僕は仲間うちではけっこう「おしゃべり」だ。それは僕の中で、腹を割って話せる人だからと、信頼しているからだ。対話の作法をもちいるまでもなく、誤解もおそれずに率直に、話し合える仲間がいることは本当にありがたい。
でもこうやってSNSにはこっそりいいたいことを書いてしまう笑
いいたいこともいえない世の中じゃポイズン。なのかもしれないけど、いいたいことを言うには、手順があるってことね。