新算研の全国大会から、午後は認識的知識について考える1日

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今日は新算研の全国大会に参加してきた。午前中に6年生の算数授業を2本参観。こういう時間は自分にとって、とても大切な時間だと思っている。今の算数教育のスタンダードがどういうものなのか、ちゃんとキャッチアップできるからだ。

どちらもとてもよい授業だった。全国大会だけ合ってよく準備されていて、やりたいことがしっかりと練られていた教材だった。子どもたちも1時間の算数授業の二連続に披露を隠せなかったが、とてもがんばっていた。

共通の問題をといてから、問題を拡張していく場面では、数学者の時間の「問題づくり」と同じようでワクワクしてみていた。授業ではおさえるべき所はしっかりとおさえられていて、観ていても算数が苦手な子もちゃんとついていける技術も随所にみられた。

ぼくだったら同じ教材をつかったらどう扱うだろう。

せっかく作りたい問題を共有したのなら、それぞれのやってみたい問題づくりを保証してあげたいと思う。

もし全体で共有したい熱がでてきたらそうするだろうし、そうならなければ、たんたんと次に進むだろうな。だから、どうしても1時間を見合っての研究授業にはなかなか適さない授業をしているのかもしれない。少なくとも3時間みてもらわないと笑。

ここのところ面談つづきで少しリフレッシュしたいなと思っていた。午後の公演は参加せずに、お昼はカフェでコーヒーを飲んで、トレーニングをして帰ってきた。

小学校以来の旧友と連絡をとった。この冬どこか寒いところにキャンプへ行こうとそんな話にになっていて、今はそれは楽しみだ。

そして新しいコーチングのプロジェクトを始めることになった。これはこれでずっと楽しみにしていたこと。どうなるだろうか。

昨日から、認識に関する知識(Epistemic Knowledge)がよく理解できなくてFacebookになげてみたら、意見をいただいた。SNSは本当に助けてもらっている。感謝、感謝。

つまり、学術的知識、学際的知識、そして手続的知識は、特定の内容や方法に焦点があてられる一方で、認識論的知識は、これらの知識がどうやって知ることができたり、つくられるのか。そして、その正当性が確かめることなどということのようだ。

例えば、算数のある学術的知識「三角錐の頂点の数」がどのようにしてその解答を得られたのか、その解答が信頼できるものなのか、この考え方のプロセス(数学者のように予想しながら修正して相談して解へ辿り着くといった)のつくり方を認識的知識といえそうだ。

だとすると、普段の授業の中で普通にやられていることなのかもしれないな。

まだ気になっているので、次の本を購入してみたので、じっくりと秋の夜長に読んでみたい。すぐ寝ちゃいそうだけど。

『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』

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