2023年 10月 の投稿一覧

運動会からこの指止まれスポーツフェスティバルへ

いよいよ明日、運動会。子どもたちと熱のこもった練習を続けている。

今日、学年の先生と買い出しにいったときの会話でそのとおりだなと思うことがあった。

「これまで仲良くやってきたのに、どうして急に赤と白で戦うの?」

子どもたちとは5年生の頃からずっと協同とか、多様性とか大事にしてきた。競い合うことよりどんなことでも認め合い支えてきたはずだった。

なのに運動会となると、なぜいきなり赤と白に分かれて急に競い合うことをするのだろうか。これは子どもたちにとっては、まったく文脈のないことだ。

子どもたちと考えてきた学年競技「シン・ハタシッポトリ」では、勝っても負けても楽しかったはずなのに、運動会が迫ってくるにつれて勝ち負けがつくといきなり熱くなりすぎる場面もあった。

応援団の練習では「絶対勝つ!」なんて普段の言葉からは絶対絶対でないような言葉を叫んでいる。

ずっと違和感をもっていたのは、このことだったのか。

運動会ではなく、民舞発表会+この指止まれスポーツフェイスティバルにすればいい。種目も、子どもたちが考えた種目を1年から6年まで募って自由参加できるような競技にするといい。大人だってそこに参加したっていい。赤が勝つとか白が勝つとか越えて、もっと全員で楽しめるといい。

僕はやっぱりパン食い競争とかやりたいな。パンはやっぱりあんパンね笑。子どもたちと考えた「生卵をはこべ!(オタマに卵を落とさないようにリレーする笑えるゆるスポ)」とか、あと世代別3種目競技(走る、跳ぶ、投げるなど)にも参加してみたい。

人気のない種目は少人数だっていい。そういう希少価値に目を向けて「自分がやらねばだれがやるのか」という勝手な気概をもって参加する人がもっと増えるといい。楽しい様子は、必ず広がるし、周りを巻き込む力があるからだ。

どうやって人とつながって、いっしょに生きていくのか、そういう視点でもう一度、運動会をみなおしてみる機会があるといい。

とはいうものの、明日は運動会。これまでがんばってきた全てを出し切って、気持ちよく、楽しめるといいな。

尊敬する相談室のボスからもらったロジャーズの言葉「あるがままにいきる」ってこと。

健康的で甘いものといえば・・・

夏頃から、毎朝、あるものを食べている。

日本古来から続く、伝統食のひとつであり、それを食すと腸内環境を整え、肝機能の回復をもたらし、生活習慣病にも効果があるとされる。また、ビタミンB1や鉄分も多く、疲労回復に貧血予防、美肌効果もあるとか。タンパク質もしっかりとれるのがなによりも嬉しい。

それが「アンコ」だ。

アンコとは何者なのか。日本あんこ協会によれば、 弥生時代より、日本では無病息災や魔除けを祈願する行事に小豆を使った料理が食べられていたそうだ。あんこの原型が伝わったとされるのは、飛鳥時代といわれている。当初は塩でにつめた塩あんが主流であり、甘いあんこが庶民の口に入るようになったのは江戸時代である。

最近購入したホットクックのレシピにはアンコもある。小豆を買ってきて、水の量を調整し、ゆであがり途中で砂糖を投入。味をみながら塩を少々。塩を先に入れると浸透圧の原理から砂糖が小豆にしみこまない失敗もした。

市販のアンコは甘すぎたり、添加物も気になる。素材そのものの味を楽しみたい。それには手づくりが一番。そしてこの手抜き料理をささえてくれるのがホットクックだ。なにより家でつくると香りがたってとてもいい。

僕は毎朝、きまった朝食を食べている。ここ数年はオートミールにきな粉、サツマイモ。オートミールは牛乳でもどして「麹だけでつくったあまさけ(これが最近おきにいり)」を少々。これで自然の甘みが活きてうまい。それにフルーツとヨーグルト。これにアンコが加わった。きっと毎朝、食べ続けるとまたその効果もちがうかもしれない。

そのうち町を歩いていたら、今月の「町でみつけた美肌少年」にスカウトされるかもしれない。ないかもしれない。

しかしなんで今頃アンコなんだろう。もっとおしゃれなものもありそうなのに。だんだん子どもの頃に食べたものが懐かしく感じるのかもしれない。昔、烏森神社の近くにあったアンコ工場から直接もらってきたことを思い出す。僕にとってはなつかしい味なのかもしれない。

和菓子や日本の食材に目を向けて、いろいろためしながら作ってみようと思う。そしてコロナがおちついてきたから、また教室でじっくりと小豆を煮ながらアンコをつくって、白玉団子でもいっしょに食べたい。

今日の放課後、子どもたちと話していたら「僕はお菓子の中でもアンコが一番すきです」という子がいた。意気投合してしまったので、ついアンコのこと書きたくなった。

運動会の主役は「子どもが」から「子どもと」いっしょにへ

今日は運動会予行。

昭和気質の学校なため、こういう時間はまだ大切にしている。僕は結構気に入っていて、運動会当日は各自の仕事で忙しい子どもたちだから、この日ばかりはじっくりと他の学年の民舞をみることができる。

本校の民舞は1年が荒馬、2年が花笠、3年が御神楽、4年がソーラン、5年がエイサー、6年が中野七頭舞だ。どれも古くからずっと研究しつづけてきている伝統の踊り。

子どもたちはさすが6年生だけあって、1年生が踊っていると自分たちも一緒に応援席で荒馬を踊れてしまう。それが5年生のエイサーまで続くのがこのここちよい。

「本物に触れることを大事にしている」学校とは知っていたが、一番驚いたことに、練習に沖縄からエイサーの保存会の人を呼んで練習し、本番はその人達の演奏で、子どもたちが踊ることだ。もうライブじゃん。

昨日は七頭舞の「レジェンド(保存会の人たちのことをみんなそうよぶ)」を呼んでそれぞれのグループ踊りを練習もした。

おどろくことなかれ。僕が一番驚いたのは、この踊りを一緒に先生たちも踊れることだ。指導するんだから当たり前といえばそうなのだが、練習ではなく、本番の運動会でおどってしまうのだ。

これまでの経験では、子どもの見本として朝礼台に教師が立って踊っているのもみたことがある。僕は運動会当日なんだから、子どもたちにすべてをまかせればいいのになぁと思っていた。

でも今の学校はちがう。先生は子どもたちの列に一緒に入って、一緒に踊ってしまう。「先生が目立つじゃん!これってどうなの!?」と思うかもしれない。実際に、職員会議でもいくらなんでもやりすぎだと議論されたこともあるようだ。

でも、僕はそれでいいとおもう。「子どもが」つくるというよりも、「子どもと」一緒につくって楽しんでいる様子がとても伝わってくるからだ。

今日も、学年の先生がいないなとおもっていたら、ちゃっかり浴衣と袴を着けて子どもたちにまぎれて七頭舞を踊っていた。お見事。

僕はというと、踊りはからっきしダメで動きがぎこちない。踊らせようとするならば、盗んだバイクで走り出したくなる。だから大人しく横からこっそり見学してみていよう。なんてことはゆるされない。

七頭舞はチャッパ(和楽器の鐘)を任された。また、おかげさまで御神楽の太鼓もたたけるようになり神様に奉納したくなる。そのための練習も欠かせない。この学校に来てからは楽器のレパートリーが増えている。そのうち、三線もひけるようになるかもしれない。

子どもが主役だけど、その主役を輝かせるためにいつも一緒になってつくってきた先生もそのステージに参加しちゃう。これいいなとおもう。

先生はなんでもやるのだ。

ふつうの暮らしをしていたらなかなか出会えない文化にたくさん出会えるのがこの運動会。密度の濃い時間をすごしている。

時間にケチな先生にはなりたくないな

ここ数日、帰宅が20時をすぎていることが多い。それもそうだ。運動会と修学旅行がどちらも大詰めだから。それにいくつかの家庭に連絡をすることもあった。

僕はこれまで比較的、時間になるとちゃんと退勤するようにしてきたが、20代の頃はそれこそ22時、23時と普通に授業の準備をしていた。それが楽しかった。SECOMから毎晩22時になると、戸締まりの電話がきていて、声なじみにもなっていたのはなつかしい思い出だ。

いつからか限られた時間の中できちんと仕事をやりきることを考えるようになってきた。すると仕事の効率をいかにあげるかにやっきになっていった。帰宅ははやくなっていったが、それと同時に時間にケチになっていった。

ムダなおしゃべりや繰り返される会議。効率的にすすまないことには極力さけようとしてしまう。

でも、教育ってそうじゃない。子どもは時間をたべて大きくなるといわれている。生産性の最も低いのが教育だ。どれだけ準備して、かかわったとしても成果として見えることは少ないし結果はすぐにでない。

でも終業式をむかえて、子どもからの一言や手紙に心打たれるし、「もっとしてあげらえることがあったのでは」と毎年、思ってしまう魅力もある。

働き方改革とい言われている時代だからこそ、大事な何かを失わないようにしたい。

学年の先生たちとああでもない、こうでもないと一緒に行事をつくっていけるのは実は楽しいものだ。そしてその裁量が自分たちにあることも大事だ。そのために帰宅がおそくなったとしても納得できるところもある。

やらされ仕事はだれもやりたくないけれど、自分にとって意味のあることはタイパとか生産性をこえて、時間をリッチに費やしたい。そう思える仕事ってステキじゃない?

僕は、いい職場と同僚に恵まれたと思う。先生ってすてきだと思っている。

制服って本当にいるのかな?

10月の早朝はもう肌寒くなり、フリースを羽織ってトレーニングに通っている。子どもたちの制服も夏服から冬服へ衣替えがはじまった。みなれなかった紺色の制服が新鮮にうつる。

ところで、制服ってなぜあるのだろう。

公立学校で勤務しているときは、みんなそれぞれ「いつもの」服をきていた。別に気にもならなかったし、それが自然なことだと思っていた。学年があがるにつれておしゃれしてくる感じもまたかわいかった。

今の学校で勤務するようになって、最初、制服がまぶしく見えた。どうも制服を着ている子どもたちは、不思議とおりこうさんに見える。これはおもしろい効果だとおもう。

実際はかなりやんちゃで、ランドセルに入っているのは弁当箱と池ポチャ用の着替えと体操着ぐらいなのに。落ち着いた清楚な子どもとはほど遠いひざっこぞうをすりむいている昭和のにおいもする。

制服効果なるものがあるようだ。海外からの教育視察団は日本の何をもってかえるのかというと、制服だそうだ。制服は集団を統治するのに効果的だとか。なるほど、中高になるとそういうみえない意図があるのかもしれない。

一方で、制服は貧富を隠してもくれる。毎日同じ服をきていても誰からの何も言われない。ひとつ役にも立っている。

しかしだ。男子は半ズボン、女子はスカートというのはなんとも時代錯誤だと思う。最近では、卒業生たちの中でもスカートではなくパンツをはいている子もいる。男子だとか、女子だとかで着るべき服を着て異する必要はないはずだ。

気になって中高の先生に尋ねてみたことがある。ジェンダーの問題からかと思いきや、理由は動きやすいからだそうだ。僕は機能性の問題だけでも選択できるのはいいと思った。

実際に、本校の幼稚園でも制服をやめた。それは、「着替えの時間がもったいないから」だ。この理由とてもいい。とくに幼児にとってどんな時間を優先するのか、よく考えたい。生活練習をするよりも、たっぷりと遊びの時間をすごさせてあげたい。そんな願いが伝わってくる。

今日の運動会練習の後「イガせん、なんでこの紅白帽子って赤と白なのさ」と文句をいってきた子がいた。たしかに、べつにどんな色でもよさそうだ。運動会の紅白対抗をさわやかな緑と青にしたっていい。

すきな服を着て、おしゃれをしたい人はするし、気にしない人は制服きたっていい。そんなゆるやかな感じでいいんじゃないかな。

今日は七頭舞の衣装でゆかたとはかまを着付け。和装で登下校したっていいかもね。

映画「福田村事件」は今、実際に起こっている事件だ

森達也監督の「福田村事件」を観てきた。

これまでドキュメンタリー映画しか撮らなかった森達也がはじめてエンタメとしてタブー群像劇を撮ったとのこと。森達也といえばオウム真理教のその後を描いた「A」が印象的だったため、ぜひ観に行きたかった。

話はこうだ。

“1923年関東大震災が発生した9月6日のこと。千葉県今の野田市にあたる福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、朝鮮人と疑われ殺害された。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。”

「福田村事件」HP参照

「朝鮮人が村に火を付けた」「朝鮮人が井戸に毒をいれた」などの震災後のデマ、流言によって6000人が虐殺された。

このことは9月1日前後の新聞では毎日のように、取り上げられていた。教室でも校長による週1回のトピックスと呼ばれる授業においても取り上げられ、子どもたちと考え合っていたほどだ。

しかしだ。

8月30日の内閣方法室では、記者団からの質問

「関東大震災時に多くのデマが広がり、警察、自警団によって朝鮮人が虐殺されたと伝えられている。政府としてどう受け止めているか」

の質問に松野内閣官房長官は「 政府内において事実関係の記録が見当たらない」と述べていた。

「これは観に行かなければならない」と思った。

記録が見当たらない(実際に福田村事件についての資料は特に少ない)からこそ、語り次がれていく必要がある。生き残った香川の行商人たちは部落差別出身のため、口をつぐんでしまった経緯もあったようだ。今は、千葉県にその子孫が慰霊として訪れている。

いつ暴走するのか。ハラハラして観ていた。そこまでの人間模様は冗長のようであったが、狂気に走る人々は実は普通の村民だということを描く必要があった。

僕はあの緊迫した場面に唯一いなかったのが「声を挙げられる人」、つまりリーダーだと感じた。リーダーは「言いにくかったこといえる」人であり、一目おかれる存在だ。民主的な村運営を村長は願ってはいたが、世襲村長彼のその声は集団には響かなかった。

はたして1人であっても声を挙げられるのか。私たち日本人は特に賛同してくれる人がいなければ、声を挙げようとしない傾向が特に強い。普段ものごとをはっきり言えない主人公の澤田が止めようとしたが既に遅かった。

「朝鮮人なら殺してもいいのか!?」朝鮮人への差別に加え、まだ残り続ける部落差別意識や「行かなきゃ村八分になるど」の村意識。新聞による社会統制、そして、それら差別からくる罪悪感と報復への恐怖と労働問題、軍国主義の高まりの時代背景など、さまざまな層が折り重なって起こるべくして起きてしまった事件だと理解できるように撮られている。

そして、そこにいた人達はみな、ふつうの人々だった。特に加害側に力点が置かれて物語は描かれていた。この善良な人が不安や緊張が高まる中、環境によっていつでも悪人に豹変してしまう事実。この描き方が森達也の真骨頂だ。

差別意識は気付かないところに誰にでもあるものだ。ただ「差別はいけないと教わっているから差別をしない」ままでは、いざ「差別をするのがあたりまえや得するとなった集団や社会」では、普通に差別が起こるのではないだろうか。学校のいじめも同じ構造だ。

差別撤廃、差別を禁じているだけではダメなのだ。無知から差別は生まれる。自分の内面にある偏見を見つめ、差別はもっと根っこの部分で理屈を越えるもの、怒りや義憤の感情を伴わなければならない。

福田村事件は私たちの生活の中、職場の中にも当たり前のように起こりかねないし、実際に規模は違えど同じような問題は世界でも起きている。

僕は若い頃、カンボジアのキリングフィールド、アウシュヴィッツ収容所に行ったことがある。そこから何を感じ、学んだのか。しばらく忘れていた感情を思い出させてくれた。

歴史から目を背けない。今だからこそ、もっと受けとめるべき事ががあると映画だったと思う。

僕の好きな往年の柄本さんやピエール瀧などシブい役者が脇をしっかり固めている。水道橋博士の自警団長役は見事だった。ぜひ、秋の映画ライフにおすすめしたい。観てきたら語り合いたい。

数学的思考は特殊化からはじまる 

数学的思考の核となる考えに「特殊化」と「一般化」がある。子どもたちとは「ためす」と「たしかめる」という言葉をあてている。

「特殊化」とは、具体的な一例として手軽にできることから試してみることだ。「一般化」とはそこに共通するパターンを見抜いて、他の例においても運用できるきまりをみつけることである。

この二つの取り組みを相互に駆動させることで、問題を解決させることにとどまらず、その問題がもっている数学的な特徴を明らかにしていくことができる。

ここでいる数学的思考の特殊化と一般化は、帰納と演繹に似たものとなるだろう。著者はこの言葉をあえて使っていない。なぜなら帰納と演繹は思考の型であり品目である。しかし、数学的思考は型では収まらず、その取り組みのプロセス自体に価値があるからである。

これは登山をすることに似ている。いくらキレイな写真を眺めてみてもキレイなことしかわからない。実際にのぼって経験してみないとその感動を味わえないのと一緒である。まったく臨場感がちがうのであるから、学ぶことは全くことなるはずである。

こういったことは具体的な問題例を経験しないとただの抽象的なキレイな話で終わってしまう。ぜひ、この問題をやってみてほしい。この問題はとくに特殊化、自分でやっていること、系統的にやってみることで、パターンがひらめていくるよい問題だ。特殊化を実感するにもってこいである。

『教科書では学べない数学的思考』P.7 手軽に特殊化を体験できる良問

特殊化の特徴を自分なりにまとめてみた。

①特殊化とはためしてみること

いくつかのケースを実際にためしてみること。例えば、数字や記号を使ってみる、表にしてみる、実物の紙を使ってやってみるなど、わかりやすいものを使って問題を探ることだ。

②特殊化は、問題を身近に感じさせてくれる

一体、何を求めるとよいのか分からないときでさえも、特殊化を繰り返すことで、何を求めているのかその感覚をつかめてくる。特殊化を繰り返すことで、「もしかしたら、こうしたらできそうかも?」と問題との距離をつめることができる。まずは無作為にやってみることからはじめることだ。子どもたちはこれを「とりやる作戦(とりあえずやってみる作戦)」と呼んでいる。

③特殊化は自信をもたせてくれる

最初の問題との出会いでは解けそうもなさそうと不安になる。このやり方が正解へ導いてくれるか不安になる。いくつか試すことで、自分にとって答えとは何かを知り、その解法の正しさの感触をえることができる。このわかりにくいものへ、自信を持って取り組めるようにしてくれるものが特殊化なのである。

④系統立てた特殊化はパターンを予想してくれる

系統的な特殊化を続けることで、根拠のある予想がたちあがってくる瞬間が生まれる。順序立ててためしてみることで「もしかしたら次はこうくるのかも?」と一般化への予想が立つこととなる。試してみた全ての特殊化したケースは、共通するパターンを見いだすことを可能としてくれる材料である。ふと「あぁ!」と気付く瞬間が訪れるものである。この数学的興奮はやみつきになる。

また一般化されたパターンについて、本当にすべてのパターンにもあてはまるのか検証したくなる予想も生んでくれる。それを試すのがまた特殊化である。

⑤特殊化はたんなる一例でしかない

しかし、特殊化だけでは問題の解決にはならないこともある。それぞれの特殊化に共通するパターンをみつけたとしても、実はその事例でのみしかあてはまらないかもしれない。帰納的にもとめたパターンは真とは証明されないからである。もっと他のケースで試してみるしかない。しかしこれは、解決のきっかけにはなる。

⑥特殊化は行き詰まりを解決してくれる。

躓いたり、行き詰まったときにこそ、小さく具体的に特殊化して試してみることが必要である。そのための具体的な方法は以下の3つだ。

・「無作為」にやってみる。

・パターンを見抜くために系統的に順序よく確かめてみる。

・パターンが見えてきたら、他のケースにも当てはまるのか巧みにためしてみる。

僕はこの特殊化は誰にとっても使いやすい一番のツールだと考えている。問題で行き詰まったときには、とりあえず何かできそうなことからやってみる。そこから問題の感触をつかみ、解決の糸口をみつけていく。さらに、その糸口が本当に正しかったのかを巧妙に特殊化することで確かめていく。

これはポリア『いかにして問題を解くか』が主張する「計画段階の準備こそ問題解決」とは一線を画すものであり、計画段階はあくまでも取り組みの入り口にしかならないことが慧眼である。あたりまえである。計画段階ですべて見通しが持てないから問題なのである。

こういった思考法は意外にも授業の中で推奨されることはあまりない。それもそうだ。教室ではできるだけ無駄なく寄り道しないで理解してほしいからだ。しかし、数学的に考えるとはその対極にある。ムダと思われることを繰り返し、寄り道から出来そうな感覚をみつけていくのである。前者はタイパはよいがそこには思考はない。

この特殊化に子どもたちと名前をつけるといい。僕は「ためす」としている。名前をつけることでしか、そのプロセスを意識できないからである。子どもたちがノートに何気なく自分の考えをかいて取り組んでいるそのプロセスのことに名前をつけることは重要である。

「ためす(特殊化)」ことは算数・数学が苦手な人にとっての救いのツールになる具体的な一歩と思った。