2023年 10月 の投稿一覧

書き続けてみてわかった4つのこと

毎日書くときめてから、すでに50日がたった。よくまぁ細々とつづけてこられたものだと我ながら関心関心。

「さすがにもう今日は書くことないなあ」と思える日もあったが、いざPCの前に座って書き始めてみると意外や意外。不思議と何か書きたいことが到来してくる。そう到来する。

書く前まではまったく予想もしていなかったことや、考えてもいなかったことが跳んでくる。自分の中にこんな自分がいたんだと驚きがたびたびあった。

書き続けてみて、わかったこと。その1

書く前には書いた後の自分のことは想像つかない。これが身をもって分かったこと。書くとは予想もつかない変態だと思う。僕はそういう変態をくりかえしてきた。と書くとなんかあやしいけどな笑。

書き続けてみて、わかったこと。その2

1日のうちにあったもやもやが言葉になると、なんだか自分をいやしてくれる。心おだやかになれる。ふりかえってみて、こういう時間がまた大事だったりもする。

書き続けてみて、わかったこと。その3

何か書き上げられるとスッキリするし、とてもその1日に大事な意味を感じられるようになった。決してたいしたことを書いたり、あったほとでもないにもかかわらず。そう思えてしまう不思議な力がある。日々を消費しないでいられた気がする。気がするだけだけどな。

書き続けてみて、わかったこと。その4

書き続けるコツがわかってきた。日々、クリティカルヒットなことは書けないし、そういうことは期待していなかった。わがままに書きたいことを、思ったことをかくだけ。自分自身にも期待していない=ハードルを下げることが、継続のコツだった。

結局、日々、たんたんと記録していくこと。これだけで、自分との出会いでもあり、それがまた自分を励ましてくれるものだったりもした。

明日から、修学旅行の4日間。たぶん大忙し。しばらく書くことはお休み。また復活できるか不安もあるけどそのときはまたそのとき。

そうそう。習慣といえば、朝トレも結局は毎朝続き、3週間が経った。明日の修学旅行バッグには、トレーニンググッズをしのばせておく変態がここにいる笑。しっかり学んで楽しもっと。


今日は学園で一番大きいヒマヤラ杉の直径を条件つけてしらべてみた。

この年末。KAI(甲斐埼博史さん)から学ぶ機会を逃すと、あなたはきっと後悔する

今回、どうしてもKAIさんから学びたい。念願かなった研修会。

LAFT2023冬合宿 KAIさん教育実践から学ぶ

現在、軽井沢風越学園の副校長をしている甲斐埼博史さん(以下、いつもどおりKAI)。

どうして、KAIから学ぼうと思ったのか。

先日、ある研修に顔をだしたところ、偶然にもそこにKAIもいた。グループ対話もまた偶然いっしょのグループだった。そこで今、KAIがやっている「体育」といういう名のアドベンチャー。もう突き抜けて面白かった。

KAIの「今」の実践を知るには、軽井沢風越学園のHPからこれまでの投稿が読めてお得。これを読むだけでも、KAからが体験学習が人をどう育てるのか、そのリアルが伝わってくる。

そして、その場にいた若い先生がKAIに質問した。「そのカリキュラムで学校で教えるべき事をおさえられるのですか?」

それのKAIからの返しがまた印象的で。

「じゃぁ、あなたは先生が教えれば、子どもたちだれもが同じことを学べると思いますか?」(正確には覚えていないが、たぶんこんなかんじのことだった)

教師がたった一つのことを教えたとしても、学習者によって何を学ぶかは人それぞれちがう、ということだ。カリキュラムありきではない。学習者ありきだ。もう次元がちがうのよ。

若い先生は、職場で言われたことや教えるべき事をせっせとカバーするための教師のためのカリキュラム。一方、KAIは学習者の立場に立ってその学びに一体何がおこっているのか、のぞいてみることが大事だとしずしずと語ってくれた。

ここのブレなさ加減。そうだそうだ。KAIってそういう先生だった。自分の中に大切だとおもうことから、一切ぶれない。妥協しない。やるときめたらやる。

𠮷田新一郎さんが以前口にしていたことに「KAIさんはやると決めたら、たった一学期間でライティング・ワークショップの実践から原稿までかきあげてしまった!」マッチョかっこいい。みならいたい。

サークル対話でのやりとりを聞いていて、「あぁ、KAIからもっと学ばせてもらいたいな」と素直に思った。

そして、今年はKAIの教員ラストイヤーでもある。その集大成かつ野望かつこっそりあるだろう失望、語ってもらいたい。

これは僕の中においても歴史にのこる研修となるはず。はたまた、学習仲間の3号がきりもみする箱根温泉「みたけ」でおこなわれるのも嬉しい巡り合わせだ。

「子どもは(人は)誰でも有能だ」いつもお酒を酌み交わし語られ続けたKAI語録。世界平和を願っている静かなる熱い先生。それがKAI。

KAIとの研修会は以下のURLから申し込めます。のこり若干名となりました。お急ぎください!そして一緒に学びあいましょう。

https://www.kokuchpro.com/event/4c67517c528e192a5887ee62ee22f6e4/

もう何十刷りなんでしょう、この本は教室に毎年おいてあります。子どもたちも好きでパラパラとよんでいる本。一緒に原稿カンヅメして書いたのが懐かしい。

https://amzn.to/48WRrgW

「怒り」とどうむきあうのか

今年は様々な場面で他者からの怒りに対峙することがあった。また、その場面をみることもあった。その一つひとつに相手の気持ちはわかることがある。

僕はといえば、あまり怒りをあらわにする方でもなく、いつもへいへいぼんぼんと生きている。それはラッキーなことでしかないのかもしれない。この仕事がら「おだやかでごきげんでいる」ことは一種のたしなみのようなものでありたい。

怒りってなんだろう。

気になってまずはセネカを読み始めたが(論点がわかりづらくながい!)、戦争や日常の出来事、動物の怒りなどさまざまな観点から検証され、どうも、怒りをもってはよろしくないことがストア派哲学からはみてとれた。それは理性をうしなうからだ。

セネカ (著), 兼利 琢也 (翻訳) 『怒りについて 他二篇 』(岩波文庫) 2008/12/16

先日、10月2日のブログで福田村事件をみてきた感想に僕は以下のようにつづった。

“差別意識は気付かないところに誰にでもあるものだ。ただ「差別はいけないと教わっているから差別をしない」ままでは、いざ「差別をするのがあたりまえや得するとなった集団や社会」では、普通に差別が起こるのではないだろうか。学校のいじめも同じ構造だ。

差別撤廃、差別を禁じているだけではダメなのだ。無知から差別は生まれる。自分の内面にある偏見を見つめ、差別はもっと根っこの部分で理屈を越えるもの、怒りや義憤の感情を伴わなければならない。”

本当に自分にとって大事なことには理性を失ってでも、うったえたいことに感情的になっていい。怒りをもっていいのだと。いや、怒りをともなわないといけない。

僕は生きるためには、ものわかりよく過度に怒りをもたないようにするのが成熟されたオトナだと思って生きてきた。でも、ちょっとちがうのかもしれない。もっと感情をだしてもいいのかも。

明日からいきなり「コラ!」と怒鳴ったら、びっくりされるだろう。怒りをもつことは大事なことだが、その出し方とその後のことのを考えるて感情を安心して出せるといい。

以前、日精研のアサーショントレーニングで「怒りの感情はいきなり激高して怒りとなることはない。怒りには段階があり、最初は小さな困りごとがあるだけだ」と教わったことがあった。

小さな困りごとを日々口にしていけるといい。信頼関係をきづきつつ困りごとのうちに怒りのマネージメントをする。ぐちっぽくならないように。そして、同じように相手にも怒る権利、困りごとを伝える権利も大事にしないといけない。

でも、怒りを出したり、向けられることはとても疲れること。お互いケアの気持ちをそれ以上に大事にしていきたい。

開幕3連敗は怒りというか悲しみでしかない。

LAFT2023冬合宿 KAIさん教育実践から学ぶ

今年の年末は、KAIさんとじっくり対話です。

「LAFT2023冬合宿with忘年会 KAIさん教育実践から学ぶ」のお知らせです。

年末の12月27日(水) 10:00〜2023年12月28日(木) 15:00に、LAFT2023合宿を企画しました。箱根温泉「みたけ」で風越学園のKAIさん(甲斐崎博史)の教育実践からたっぷり二日間学びます! 

僕の尊敬する先生の一人であるKAIさんとのおつきあいはすでに10年以上。一貫してぶれないのがKAIさんのすごいところ。常に体験学習がそのねっこにあります。

そして行動力のあるところ。たきビールをしていたら急に「おれ仙台にいこうと考えてる」と震災後の気仙沼支援にしばらく行ってしまった。そして「イエナ学んでくる」といつのまにかオランダ留学へ。どんどんアクションしてしまう。

そんなKAIさんから、教師としての矜持をぜひじっくりとあじわってもらいたく企画しました。

理想の教育実践をききながら、自分自身の理想を捉えなおす。それを参加者の皆さんとじっくり対話しながら考え合います。よかったら一緒に学び合いませんか。

そして今回の目玉はなによりも我らが勉強仲間の3号が若旦那を務める箱根温泉「みたけ」が研修会場です。温泉あり、大宴会あり、夜は忘年会で盛り上がりましょう。宴会隊長募集中!

申し込みはこちらから↓

https://kokc.jp/e/4c67517c528e192a5887ee62ee22f6e4/

記録しないなんてもったいない!

数学的思考の本質は、特殊化と一般化を繰り返すそのプロセスにあると書いた。そして、その数学的思考を支えるための強力なツールが「記録する」こと。つまりノートをとることだ。

この記録することとは、板書をうつすことではない。なぜなら、ただ写すだけでは、そこにはその人の思考が働きがみてとれないからだ。

ここでいう記録することとは、「自分の考えに気付いて、それを言葉で表現すること(P.29)」である。

自分の思考をちくいちライブでメモすることはとても面倒くさいことである。そして、後になって思い出して書き出してもなんら意味は生じない。この面倒くさくともライブで記録することに向き合うことで、計り知れないほどの価値がうまれてくるのが「記録する」ことだ。

問題解決をしていると必ずおとずれる「うーん、できない!」状態がやってくる。この手詰まりになったときに、次に何をしたらいいのかを教えてくれるのが、記録である。

頭の中にあるだけでは多角的・多面的にに検討することは不可能なのである。これは書き出すことではじめて検証可能となる。

記録を見直すことで、自分の頭の中に入り込み、はっきり言葉として記録することが、自分の過ちや欠点に気付かせてくれ、修正すべき点に気付かせてくれる。

自分の手詰まりを直したとき、問題への感情がかわっていることがある。以前は手に負えないと思っていたことが、なんだかできそうな気持ちになる。記録することのがまん強さや忍耐は、あとになって大きな見返りを提供してくれる。やらない手はないはずだ。

「うーん、できない」の手詰まりから脱出する一歩は、素直に「自分の手詰まりを認めること。これができると何よりも力になる。

また、記録することを継続すると、これまでの自分の問題解決経験リストから、類似している解決方法を引っ張り出せる効果も生まれる。アイディアがひらめきやすくなるのだ。ノートに自分の考えを書く練習をしていかないことなんかありえない!

では、具体的にノートには何を記録するのだろうか。

①ひらめいたすべてのアイディア

②やってみようとしたこと

③途中で感じたこと

ぜひ、次の問題を記録することを意識して解いてみてほしい。記録をすることで、前回紹介した、一般化から予想がたちあがる経験ができる良問である。

【問題 パッチワーク】P.22

やってみるとわかることだが、記録はなかなかつらい。「まちがっていないか?」「とくことができないのでは?」など、常に不安を向き合うこととなる。勇気を持って書き始めることがなによりのコツなんだと思う。

そして、記録することに向き合うには、自分自身の感情を見つめなければならない。でもこれこそが数学的思考がつめたい論理ではなく、情熱的なものだという証。

つづく。

のんびりいこうぜ

寝る前に本を読んでいる。秋夜のお供はカヌーイスト野田知佑だ。

学生時代から細々と読みながら、そのバンカラさとナチュラリストとしての穏やかな視点が好きだった。

時代や社会にしばられず、自由であること。そして、遊ぶことを追求しつづけた僕にとってはあこがれの大人だ。

野田さん追悼のメモリアルブックを偶然、手に取った。寝る前にパラパラめくると、川下りの写真とあわせて、野田さんの文体がしみわたってくる。

あぁ、こんな旅、やりたいなぁ。

自由で、遊ぶこと、大事にできる大人になりたいなぁ。

本を読んでいると、日々のあわただしさから解放されて、のんびりいこうぜ、そんな気持ちになれる。

あの何物でもなかったころの学生時代の自分にもどったちょっとせつない気持ちにもなれる。

本を読みながら、寝る前に世界の川、日本の古きよき川を旅している。もちろんそこにはカヌー犬ガクもいっしょ。

気がつくとうっかり本を落としてそのまま寝に入ってしまう。とても至福の時間。

野田さんと再会して、ほんとうに自由で、本気で遊ぶ、そんな時間をすごしたいと思った。

ファルトボートほしいぞ〜!

来週訪れる瀬戸内の海

「準備教育ではなく、今を生きる教育こそが大切です」中野光

いつも迷っていたり、これでいいのかなと、自問自答している。たぶん、この先もずっとこれが続くし、退職するそのときだってもっとやれたことがあったはずと思っているだろう。教育ってそういう仕事なんだと思う。

迷ったときに立ち返るところがあるといい。それが建学の精神。本校には本学が創られた際の願いが脈々と残っている。

今年、亡くなられた中野光先生は、桐朋初等部の創設期に4年間教員をしていた。ジョン・デューイの発想から桐朋の構想をねりあげた方だ。

中野先生は、桐朋から金沢大学、和光大学、立教大学などの教員の傍ら、日本生活教育連盟委員長・顧問、日本子どもを守る会会長、日本教師教育学会会長、日本学術会議などさまざまな活躍をなされた方。

「私学としての桐朋はいわゆる『研究学校』(ラボラトリー・スクール)として発展していくほかないのではないか」「子どもが構成し、創造し、そして能動的に探究するための作業所・実験室・材料・道具、そういうことに必要な空間」 

『初等部誕生物語』より

これってまさに実験校だ。それもそのはず、1950年初頭、中野先生はドイツの教育から学んできたからだ。

伝統的な学校カリキュラムや画一化された教育を変えることを大切に初等部を創ってきた。

だから周りの先生からは「桐朋の先生は自由だ」といわれるゆえんなんだと思う。しかしそれについて回るのはその質。だから悩ましい。

「準備教育ではなく、今を生きる教育こそが大切です」

『生活教育2023/10・11』P.29より

https://www.fujisan.co.jp/product/1457/

中野先生は「教育の『質』を研究的に問いつづけるほかに発展の道はない」と言う。ルソーの『エミール』に書かれた「子ども時代は再びめぐってはこない。あてにならない将来のために、人々はなぜ、二度とめぐり来ることのないいまを犠牲になるのか」を引用し、その質に向き合うため、「いま」を大事にする教育をうったえた。

「私のやっている教育は果たしてこれでいいのだろうか」

「もうすこしましにならないものだろうか」

これをみんなで問い直すことができる学校であるのが本校だと。そして今、そういう学校でもある。

今の教育目標

・子どもを原点とした教育の実現

・社会の主人公となりゆくための根っこを育てること

これに立ち返り、その質、取り組みから、子どもたちの学び方とその意欲を高めていきたい。うまくいかないことも多々あるけれど。長い職員会議が終わってそう思う。

本校の校長は毎回の職員会議で、自分の思いや願いをA3用紙に2〜3枚くばってくれる。そこには地球環境のこと、教育実践のすばらしいこと、そこに今回、中野先生のことが記されていた。ステキでしょ。

解いて終わりの算数・数学では、おしい授業。そこからはじまる

数学的思考について考えている。

数学的思考の核となる考えに「特殊化」と「一般化」がある。「特殊化」とは、具体的な一例として手軽にできることから試してみることだ。「一般化」とはそこに共通するパターンを見抜いて、他の例においても運用できるきまりをみつけることである。この二つの取り組みを相互に駆動させることで、問題を解決させることにとどまらず、その問題がもっている数学的な特徴を明らかにしていくことができる。

2023.10.01のブログより引用

数学的思考は特殊化からはじまる 

http://igasen.xsrv.jp/wp/2023/10/01/数学的思考は特殊化からはじまる%E3%80%80/

この説明は大切なので繰り返し引用。

問題解決の途中、1つ、2つ、そして3つの事例をならべてみると、なにか共通している「パターン」がひらめいてくる。1つ、2つ、そして3つと具体的に特殊化された事例には、パターンに気付かせる一般化を助けてくれる力がある。この気づきは算数・数学をやっている魅力の一つだ。

しかし、ここで数学することはおわらない。「そのパターンは他の全ての事例にも本当にあてはまるのだろうか」「もしかしたら、このケースでは?」と予想を可能とし、さらなる特殊化によって、みつけたやわやわのパターンから、その正当性を確かめていくことだ。

この問題に挑戦してみてほしい。いくつかの事例を確かめる(特殊化)ことから、パターンがひらめき(一般化)、それが本当に正しいのか確かめたくなる(特殊化)良問だ。

チェスボードは8×8の64マスの正方形ボード

『教科書では学べない数学的思考』P.34より

めんどくさがらずペンと紙さえあれば、この数学的好奇心を経験できてしまうのが数学することのよさ。そのチャンスを見逃さないで!

「答えがあってた。あってた」といった算数・数学では答えさえ求められればそれでよいと考えがちだ。しかし結果さえわかればよいというのは、まだ数学していないということだ。

「結果は分かったけれども、これってなにか共通するきまりやパターンがあるのかな」解いてみた問題から「どうしてそうなるのかな」「本当にこれっていえることなのかな?」といった理由や好奇心が持てるようにすることが数学する出発点である。

自分自身の解答プロセスと納得感を疑うことをできるのは、最後は自分自身しかいない。この自分を納得させられるか、自分との勝負がまたおもしろい。

パターンがみえてきたらその一般化は「予想」に変化していく。そして、その予想の「何が正しいのか」を判断するために、もっと特殊化して「なぜ正しいといえるのか」よく調べることになる。この過程こそが数学的思考の本質である。

数学するとは、問題を解いておわりじゃないということ。ここが出発点であり、その問題の特徴をとらえて一般化に確信をもつこと。

この点から普段の算数・数学の授業をふりかえってみると、はたして数学しているのだろうか。だいじなことを「教えて・答える」みたいな作業数学になってしまっていないだろうか。

それにはあのテキストの練習量は多すぎるからそうなってしまうのだろう。リッチな良問をじっくりと数値を変えていじりたおす数学経験を取り入れているのが数学者の時間。こういう時間をバランスしていかないと、数学する経験に触れる前に算数・数学ぎらいになってしまうだろう。

一般化を技術的に行うためには

・系統立てた特殊化(順番にためす)、

・部分的にのみ正しいパターンをみつけ、

・その他にも多様なケースで試してみることで、自信をもつこと。

次は、この特殊化と一般化をはたらかすための記録について考えていきたい。

B.LEAGUE開幕2連敗のサンロッカーズ渋谷がチームになるために

今日はスポーツの日。ちょうど一月前の日本中を沸かしたバスケットボール熱。いよいよその国内リーグB.LEAGUEがこの週末にスタートした。

僕はここ4シーズン継続してサンロッカーズ渋谷を応援してきた。週末となればせっせと青山学院のホームコートに通い、アウェイ戦となれば、宇都宮、名古屋、広島など行ける限り、アウェイ戦にも観戦へ行った。

このオフシーズンには、日本代表戦をわかしたジョシュ・ホーキンソンを日本国籍選手として獲得し、元日本代表の田中大貴、アキ・チェンバース、永吉佑也など大型補強が成功した。

今シーズンは開幕戦から連戦が期待され、先の天皇杯においてもその試合運びの堅実性もみられ、リーグ優勝に一番近いチームと言われている。

にもかかわらず、開幕戦2連敗。これは一体なんだったのか。

ゲーム内容には、かなりの約束事が徹底されていることが見て取れた。それもそのはず。今季は、リーグ優勝2度を誇る新ヘッドコーチにルカ・パヴィチェヴィッチ監督が指揮を執ることとなった新シーズン(まだ彼の名前は空では言えない)。

昨シーズンは思いもよらず監督のむーさんが途中で解任という大激動の中、年間の勝率が5割を切り、河村くん率いる横浜さんにCS(チャンピオンシップ:上位8チームによるトーナメント戦)を譲ることとなった。やはり監督、優秀なリーダーがいないとチームとしてまとまりきれなかった。

この開幕に連敗の敗因はなんだったんだろう。

渋谷にはキャプテンのベントラメ礼生に加え、元NBA選手でエースのライアン・ケリーやジェームズ・マイケル・マカドゥがいるにもかかわらずだ。マカドゥに関してはNBAのチャンピオンリングをウォーリアーズ時代に2つも持っている。

新チームとしてサンロッカーズ渋谷が始動してからは、チーム内の規律や細かい約束事、一歩にこだわったフロアスペースにも注文がつくらしい。さすがプロだ。平日練習はこれまで1日1回だったものが、今シーズンは午前と午後の二部練に分けられるなど、徹底した改革ぶりだ。選手はみんなルカに認められたいという憧れを抱いている。

ここなんだと思う。僕はこの「○○に認められるために」ってなにか違和感がある。

監督に認められたい。まだそのチームと監督との安心既知をつくっている最中なのだと予想している。強いチームとは良いメンバーの集まりでは決してない。

そのためにまだ個々のメンバーは、チームになりきれておらず、その途上にいる。実際、昨年度優勝した琉球さん、勝率ナンバー1の千葉さんには個の力以上にチームの力を感じたし、年間通してチームに育っていった。

チームを率いるリーダーがカリスマ的すぎたり力がありすぎると、これはなかなかうまくいかないことがある。しかし良いリーダーがいないとまとまらないのも確かである。

サンロッカーズ渋谷はまだ、チームになりきれていない。チームづくりの段階としては、まだ入り口だ。でもこれでいいと思う。ここから始まる。

だから、もっと話すといいと思った。チーム内の対話が必要となってくる。今の自分と求められる自分のすり合わせ、もっと衝突したり、わかり合う。そして求められるチームと今のチームのそのギャップをどう埋めるのか、もっともっと話し合っていく必要がある。きっとこの辺をやっているところなのだろう。

だから僕はサンロッカーズ渋谷の1ファンとして、大丈夫と思って、変わらず応援し続けたい。そして今年は優勝を期待している。

今なら、Bリーグは無料で11月までは観戦できる。年間支払っても5000円程度だ。国内、海外遠征のバスケがいくらでもみられる(もちろん例外もあるが)ので、安いくらいでもっと払いたいくらいだ。そして、今年も大変お世話になる貴重なアプリだ。この機会にぜひ登録を!

https://basketball.mb.softbank.jp

昨シーズンの代々木代に体育館でのホーム戦。このオープニングが大スキ。

運動会がサッパリと終わった

ここに来るまでいろんなことがあったが、無事に運動会が終わってほっとひと安心。

子どもたちとは運動会の終了後、学年の子どもたちみんなでノーサイドパーティーとしてジュースで乾杯をした。子どもたちは和気あいあいとお互いの検討称えあった。こういうときのジュースの準備や、コップの準備や、おやつの準備は驚くほど紅白を越えて素早く的確だった。笑

学年競技「シン・ハタシッポトリ」もお互い競り合うような場面もあって、白熱した。実行委員の子どもたちが当初願っていたものとは違っていたけど、ていねいな話し合いを積み重ねてきた苦労も運動会で報告できた。

学年で一緒に練り上げていたものが形となってみんなで満足できた様子だった。

応援団の子どもたちは感極まるとか、感動して涙をするようなことはなく、さっぱりとしていた6年生だった。僕は案外、こういうのが自然でいいなぁと思った。

なんだか当日までにとてもプレッシャーがあったり、やるべきことが多かったり。そういうものかはの開放感から涙するとか。今回の取り組みからはそういうのはあまりなかったことだったんだと思う。そしてそういう働きかけができていたんだと思う。

自分たちがやりたいようにやる。

感動というよりも満足感。

やりたいこと話し合ってやり切った。

けど負けちゃったね

ニコニコしていた。

次は5年生のあなたたちだからね。

うれしそうに引き継ぎをしていたのもなんかよかった。

いよいよ次は修学旅行。そして個人面談。そして進学の事、そして音楽会、まだまだ目白押しだ。

今できることを少しずつ続けてまた子どもたちと一緒に取り組みのプロセスを大事にしていきたいと思っている。そして何を目指すかも大事にしたいと思っている。

まずは本当に子どもたち、そして陰ながら関わってくださったみなさん本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。