心のビタミン剤、それはねぎらいの言葉

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今朝、教室に顔を出すと、机の上に連絡帳がおいてあった。

朝から、教員の机に連絡帳があるのはゆゆしきこと。悪運立ちこめるそんな1日の始まりの合図だ。これは警戒しないといけない。

開いてみると、なんてことはなかった。修学旅行中に声をかけていた保護者の方から感謝の言葉があった。

ふむ。

こちらは当たり前だと思ってやっていたことだけど、声をかけた子は家に帰ってからそれが嬉しかった、安心できたことだったらしい。

たまには人の役に立つこともしている自分をほめたい。

連絡帳に感謝の言葉、たったそれだけのこと。それだけで、1日が気持ち良くスタートする。先生ってそんな仕事。

それだけに、ほんの一言だけでもねぎらいの言葉をかけることは大事なことだと思う。

僕は小まめに伝える方ではないので、目力で伝えたいと思っている。しかしそもそも視力も弱いのであまり効果がない。やはり言葉で伝える事は大切だ。だから、せっせと子どもたちのジャーナルに返信を書いている。自学ノートもみられるときは返事を書くようにしている。

僕ら教員はだれかに認められるためにやっていることはそんな多くないと思う。多くの仕事は自分の自己満足が多い。

もちろんお付き合いの仕事もあることはあるが、結局はそのさじ加減は自分が決めている。それだけに、誰かから感謝されたりすることは最初から期待していない。

けれどもやはり、がんばったらがんばったなりにお褒めの言葉をもらいたいものだ。教員とはそういうものだ。覚えておいてほしい。僕らはもっとエネルギーチャージされてしかるべきなのかもしれない。

ここまで書くと、やることやってから言えといわれそうだが、あえて言ってしまおう。

ふりかえってみると、いい管理職や信頼できる学年の先生たちは、必ずといっていいほど、ねぎらいの言葉を自然とかけてくれていた人達ばかりだった。そしてこれまで出会ってきた保護者の中にもそういうモデルとなる人がたくさんいてくれた。

今朝、職場に顔を出すと、多くの先生たちから「修学旅行おつかれさまー」と声をかけてもらった。いい職場だと思う。

やってもらって、やってあげてあたりまえと思わないこと。僕も少し意識して感謝の言葉を伝えていこうと思えた朝の一幕だった。

この修学旅行で一番うまかった肉玉そば。
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