算数のできる/できない問題には、答えはあるのか

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学習サークルLAFTの算数編がスタートした。算数ギライがあつまるはずなんだけど、算数好きもあつまってなかなかおもしろい場になった。

こういう公立と私立の枠をこえて、そして小中高の校種もこえて、一緒に学び合えるのはうれしいもの。お互いの刺激になります。

今日は、算数ができないことへの生きづらさが語られた。

「できないと高校も進学できない。算数・数学は自分の進路に大きくかかわり将来を規定するものでもある。楽しいとかいっているとムカムカしてくる!」と。怒りにもににた本音の声だ。

これをどうメンバーでひきとってかかわっていくのか。これからためされる。

たしかに音楽とか歌はへたでも大きな声で歌えば認めてもらえるけれども、算数は大きな数字で書いたところで○はもらえない。どうして算数・数学はこうもできる/できないことをつきつけられるのだろうか。

この能力を身につけるているかどうかを測る教科には算数・数学はわかりやすい。けれども、この能力ってそもそも、個人のできる/できないに本当に帰属させてしまっていいのだろうか。

僕は、能力を発揮する時なんて、友人がいてくれたり、仲間がいてくれたり、そこでの関係性や文脈があってパフォーマンスがはじめてあがる。嫌なことを言ってくる人や仲間を尊重できない人がいれば、僕の華麗なるその能力はまったく発揮することなんてできない。これは誰もがありうることだろう。

このできる/できない問題を、個人にかえすのではないものの見方ができないものだろうか。もし個別の責任を越えることができるなら、現在の能力を高めることにのみ力点が置かれる教育は見直されるはずだ。

僕はこの算数・数学はできる/できない教科の価値を相対的にバランスするためにも、「数学者の時間」で本来の数学する考える楽しさを味わえることに光明を見いだしたい。

こういう話をずっと聞いてくれる仲間、考えを深める問いをなげかけてくれる仲間がいることに僕は自分の力を伸ばすことができている。仲間に恵まれていて幸せだし、これまでもこれからもいっしょに付き合っていきたい。

さて、ブッククラブチームも決まり、僕自身の実践発表も決まった。子どもが楽しく学ぶためのモデルとなれるように、大人も本気で楽しく学ぼうとおもう。

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