社会をよりよくしていくために今、自分ができることはなんでだろう

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分散登校がはじまり、1週間が終わりました。

お昼時にニャオタロー(ネコ)に餌をあげよう一度、家に戻ろうと昇降口で靴をはいていたら、前年度の子どもたちと久しぶりに会えました。「いやー!ひさしぶりー」とハイタッチならずのエアタッチ。どうもすかすかして気持ちがわるけど、うれしい。

3ヶ月会わないだけで、声変わりしている子やぐっと背が伸びた子もいました。「なにしてたの?」と尋ねると、「なにも〜」「ごろごろしてたー」と即答。いい時間を過ごせていたようです。

やっぱり、学校はいいなぁ。もうひとつの家族のようで。

今週は、分散登校と自宅でのzoomを使ったオンラインホームルームの交互勤務。自宅時間をうまく使って、これまで参加できなかった企業系の研修にzoom参加しました。以前、NPOでお世話になったゼロックスのフューチャーセンターでお会いした荻原さんの「知識創造プリンシプルフォーラム」。

ここ数ヶ月、創造的な学びについて思案している中、野中郁次郎さんの「知識創造のSECIモデル」にヒントがあるのでは? と行き着きました。そこで、コロナ禍のもと、これからの社会向けて企業が何を創り出していくのか動向を知りたく気軽にzoomウェビナーに参加。ほんと、この時代、とても気軽に研修に参加できるのは、でぶしょうの僕にとってはとても助かります。

気軽に参加したけれど、ドストライクでした。この知識創造世界でのグルであるラリー・プルサックさん(不勉強のため知らなかったので著書を購入、これから読みます)からの動画メッセージに「いかに社会の役にたてるのか?を語ろう」とありました。がーん。実は、これが一番、僕の胸につきささりました。目の前の学級の子どもたち、そして学年、学校づくりそういう視野では考えることはあったけれども、社会的意義については、後は野となれ山となれだったなぁ。。。

本校では「地球市民の時間」という新しい教科を立ち上げました。英語をツール化せずに、人権や差別、世界でおこっている出来事に目をむけながら学んでいきます。僕は、ここに大きな可能性を感じています。しかし、いきなりグローバルな視点ではむずかしいもの。自分が今、生きているこの社会っていったいなんなのだろうか? 僕にとっての社会ってなんなのだろうか? 大きな事でなくてもいいので、身近な生活がちょっとだけでもよくなっていくための問題解決をしていきたい。これは、ラリー・プルサックさんの「いかに社会の役にたてるのか?を語ろう」と、根っこの部分でつながっていることに気付きました。

このコロナ禍で、目の前のことをこなすことや慌ただしさの中で、見失ってしまいがちだったこと、思いださせてくれました。「社会にとっての今の自分」って一体何なのだろう。とても大事な問いをもらったと思いました。しばらくは、いまここでじっくりと考えていきたいと思います。

一方、忘れないようにしたいこと。それは、大きなビジョンを掲げて終わりにせずに、具体的な実践とセットで語れない限り、無力だと感じています。思いを描いて、計画にして、形にしていけるようなこと、これが今の僕にとって、創造的な学びの第一歩なんだと思えてきました。

たった一つでいいと思う。人とのつながりの中で、身近な社会や身近な生活を少しでもよりよく変えていくこと。その問題解決することを、僕自身がまずトライアンドエラーでやっていこうと思う。最初はしょぼしょぼだっていい。あきらめなければ。これこそTQJ(探究自学ノート)になっていくんじゃないだろうかな。そして、これはきっと夢中になる楽しさに没頭する学びとは対立することではないはずだから。こういったことも、のちのち子どもたちと一緒につくっていきたいなぁ。

そのため、まず都知事選挙に行こうと思う。政治家が今、何を語るかよりも、これまで何をやってきたのか、やれなかったのかを鑑みて、慎重に投票しようと思う。民主的であるって事は、こうも自分の頭で考えて、決断しなければならないことが多いとはねぇ。なかなか大変ではあるけれど、大変納得できることでもありますね。

社会をよりよくしていくために今、自分ができることはなんでだろう。何をやりたいんだろう。考え中。

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