自分が効果高し!と実感していた教え方は実はエビデンスが低かった(その逆もあり)!こととの乖離はどう埋めていくのだろう?

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最初に、今回の課題本『学習に何がもっとも効果的か』を選定した思いを、教育エビデンスが抱える光と闇と称して(別に称してなかったけど)語りました。

  • エビデンスのもつ信頼度や強度の話
  • エビデンスと政策資金や方向性、知らず知らず形成されるコンピテンシーの話
  • 教師にとって都合のよい印籠エビデンス(これでもかー!と金科玉条のごとくかかげるエビデンス攻撃)
  • 結果としてのエビデンスでは価値あるプロセスを語れないこと

などをふまえ、自分の授業づくりのまたはマインドとのふりかえりにエビデンスを自己の批判的視点として、慎重扱っていこうと話し合いました。

P29にあるエビデンスの効果が高い、中くらい、低いものを仕分けして話し合いました。これは、すごくおもしろかったです。それぞれのあり方を垣間見ることもあったりして。けど、勉強不足で教育単語の翻訳のため?項目の意味がまだよくわからないものもありました。

ジョン・ハッティ著 原田伸之訳者代表『学習に何が最も効果的か』P29より

そこで、僕の中で刺さったことは、自分が効果高し!と実感していた教え方と実はエビデンスが低かった(その逆もあり)!こととの乖離はどう埋めていくのだろう?ということ。

今、自分が実践していてやっていて、効果があることでエビデンスが高いと、やっぱりうんうんと納得しちゃって思考停止するな。

「生徒の学習スタイルと教え方(d=0.17)」はこれまで、マルチプルインテリジェンスや一人ひとりをいかす授業の学びから、効果が高いと思っていました。実は、それほどでもなく、教師の力量に大きく左右されるもの。この内実を知りたい。

また、漠然と(他の項目と相対的に考えて)効果がなさそうだと思っていた「語彙力促進プログラム(d=0.67)については、実はとても効果があったりした。自分の中に納得感もって授業に組み込めるのかなぁ。もしくは、すべて効果の高いエビデンスを無理に組み込む必要はないのかもしれない。

都合のよく印籠エビデンスごとくつまみぐいしていくだけではだめで、自分にとって都合の悪そうなこと、つまりエビデンスの効果を低く見積もっていたものでも、実は効果が高かったものについて、慎重に学習していかないといけない。単純に、知るところからはじめていこう。

今は、まだ頭の中と言葉での空中戦でしかないので、これをもう少し具体的な実践案といった計画にうつしていったときに、少しイメージがたちあがって意味があるものとなりそうです。今後の自分たちに期待!ということで。

ただ、ここで慎重に語られることは、「汝、己の影響を知れ!」という、教師の学習者に対する理解です。それはとりもなおさず、教師の影響が与えられる学習者、クラスの子たち一人ひとりの様子をみていくことです。自分に焦点化しすぎず、かかわりや授業の影響について真摯にエピソードとして記述していけるといいですね。この延長線上に、自分をふりかえるヒントがありそう。

今回、エビデンス実践者でもある森さんからも、オンラインでいくつかレクチャーをいただきながら、エビデンスについて概要を整理してもらいました。今後、課題本の訳者である原田さんを紹介してくださるということだったので、みんなで「はらださんにききたいことおてがみ」を作ってみたいです。チャンスがあれば、ワークショップでじっくりエビデンスについて考える一日をつくってみたいな。

さて、LAFT2回目に向けて、オンライブッククラブ、フィードバック、授業案づくりなどまだまだ続きます。次回は11月15日(金)です。

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