新学期の短縮日課。やることを全てリストアップして子どもたちに示しました。その中で何をどの順番でやるか、またはやりたいことをたしてみたり、クラスで話し合って決めてもらい、この二日間の過ごし方を話し合って決めてもらいました。
すると初日の1番最初には「しぜん広場で遊ぶ」こと。次に「サークル活動」をやること。そして「休み時間」。初日はただの遊びしかないじゃん。
あとさき考えずに今を生きる子ども。好きです。
6年生なのにしぜん広場がチョイスされるって僕はこっそり嬉しいです。さて、どうして僕は子どもたちと朝になるとしぜん広場に行くんだろうか。
学校で人が何かを学ぶことって、その教科だけでは完結しないことが多い。人が学んだり何かを考えたり、その人らしい姿を発揮するのは、実は休み時間だったり、朝の時間だったり放課後だったりそういう「あいだの時間」だと思う。
そして、子どもたちにはこの「あいだの時間」がとても大切なんです。何をやってもいいし、やらなくてもいい時間。ひまでひまでしょうがない時間。そういう時にこそ、その人らしさとか、その人のもつ興味関心がしぜんとにじみ出てくる。「何かやろうかな」とはじめたことが、その人の興味関心になるはずだ。
でも、今の子どもたちはこの「あいだの時間」がない。そして忙しい。何か常に、行事や習い事、何かに追い立てられている。僕が子どもの頃はこういったひまで自由な時間は結構あったと思う。
教科ごとに切り分けて、こまめに練習したり、学んだりすれば、人は学んでいるって風潮はちょっと違和感がある。僕は、もっとそれぞれをうめる「あいだの時間」を大切にしてほしいと思う。
「イガせん、こっちきてごらんよ。エビが大量にいるよ」、さそわれるままに池をのぞきに行くと、夏休み中に大量発生していたヌマエビだらけだった。なんだか寿司やで食べるしらす丼状態だ。
網で夢中になってすくっている子。そういうのを容赦なく手でねりねりして触り確かめる。それにむらがってくる子どもたち。子どもたちの過ごし方はおもしろい。もちろん、我関せずと草むらで遊んでいる子たちもいる。
自然の中に入ると、その人らしさやその人の興味関心、やってみたいこと、そういうものが解放されると思う。一年中、ヤゴとっている子もいたしな。
あなたはなにをしてもいい時間があったら、何をやりますか? 何をやりたいですか?
