数学的思考の核となる考えに「特殊化」と「一般化」がある。子どもたちとは「ためす」と「たしかめる」という言葉をあてている。
「特殊化」とは、具体的な一例として手軽にできることから試してみることだ。「一般化」とはそこに共通するパターンを見抜いて、他の例においても運用できるきまりをみつけることである。
この二つの取り組みを相互に駆動させることで、問題を解決させることにとどまらず、その問題がもっている数学的な特徴を明らかにしていくことができる。

ここでいる数学的思考の特殊化と一般化は、帰納と演繹に似たものとなるだろう。著者はこの言葉をあえて使っていない。なぜなら帰納と演繹は思考の型であり品目である。しかし、数学的思考は型では収まらず、その取り組みのプロセス自体に価値があるからである。
これは登山をすることに似ている。いくらキレイな写真を眺めてみてもキレイなことしかわからない。実際にのぼって経験してみないとその感動を味わえないのと一緒である。まったく臨場感がちがうのであるから、学ぶことは全くことなるはずである。
こういったことは具体的な問題例を経験しないとただの抽象的なキレイな話で終わってしまう。ぜひ、この問題をやってみてほしい。この問題はとくに特殊化、自分でやっていること、系統的にやってみることで、パターンがひらめていくるよい問題だ。特殊化を実感するにもってこいである。
『教科書では学べない数学的思考』P.7 手軽に特殊化を体験できる良問
特殊化の特徴を自分なりにまとめてみた。
①特殊化とはためしてみること
いくつかのケースを実際にためしてみること。例えば、数字や記号を使ってみる、表にしてみる、実物の紙を使ってやってみるなど、わかりやすいものを使って問題を探ることだ。
②特殊化は、問題を身近に感じさせてくれる
一体、何を求めるとよいのか分からないときでさえも、特殊化を繰り返すことで、何を求めているのかその感覚をつかめてくる。特殊化を繰り返すことで、「もしかしたら、こうしたらできそうかも?」と問題との距離をつめることができる。まずは無作為にやってみることからはじめることだ。子どもたちはこれを「とりやる作戦(とりあえずやってみる作戦)」と呼んでいる。
③特殊化は自信をもたせてくれる
最初の問題との出会いでは解けそうもなさそうと不安になる。このやり方が正解へ導いてくれるか不安になる。いくつか試すことで、自分にとって答えとは何かを知り、その解法の正しさの感触をえることができる。このわかりにくいものへ、自信を持って取り組めるようにしてくれるものが特殊化なのである。
④系統立てた特殊化はパターンを予想してくれる
系統的な特殊化を続けることで、根拠のある予想がたちあがってくる瞬間が生まれる。順序立ててためしてみることで「もしかしたら次はこうくるのかも?」と一般化への予想が立つこととなる。試してみた全ての特殊化したケースは、共通するパターンを見いだすことを可能としてくれる材料である。ふと「あぁ!」と気付く瞬間が訪れるものである。この数学的興奮はやみつきになる。
また一般化されたパターンについて、本当にすべてのパターンにもあてはまるのか検証したくなる予想も生んでくれる。それを試すのがまた特殊化である。
⑤特殊化はたんなる一例でしかない
しかし、特殊化だけでは問題の解決にはならないこともある。それぞれの特殊化に共通するパターンをみつけたとしても、実はその事例でのみしかあてはまらないかもしれない。帰納的にもとめたパターンは真とは証明されないからである。もっと他のケースで試してみるしかない。しかしこれは、解決のきっかけにはなる。
⑥特殊化は行き詰まりを解決してくれる。
躓いたり、行き詰まったときにこそ、小さく具体的に特殊化して試してみることが必要である。そのための具体的な方法は以下の3つだ。
・「無作為」にやってみる。
・パターンを見抜くために系統的に順序よく確かめてみる。
・パターンが見えてきたら、他のケースにも当てはまるのか巧みにためしてみる。
僕はこの特殊化は誰にとっても使いやすい一番のツールだと考えている。問題で行き詰まったときには、とりあえず何かできそうなことからやってみる。そこから問題の感触をつかみ、解決の糸口をみつけていく。さらに、その糸口が本当に正しかったのかを巧妙に特殊化することで確かめていく。
これはポリア『いかにして問題を解くか』が主張する「計画段階の準備こそ問題解決」とは一線を画すものであり、計画段階はあくまでも取り組みの入り口にしかならないことが慧眼である。あたりまえである。計画段階ですべて見通しが持てないから問題なのである。
こういった思考法は意外にも授業の中で推奨されることはあまりない。それもそうだ。教室ではできるだけ無駄なく寄り道しないで理解してほしいからだ。しかし、数学的に考えるとはその対極にある。ムダと思われることを繰り返し、寄り道から出来そうな感覚をみつけていくのである。前者はタイパはよいがそこには思考はない。
この特殊化に子どもたちと名前をつけるといい。僕は「ためす」としている。名前をつけることでしか、そのプロセスを意識できないからである。子どもたちがノートに何気なく自分の考えをかいて取り組んでいるそのプロセスのことに名前をつけることは重要である。
「ためす(特殊化)」ことは算数・数学が苦手な人にとっての救いのツールになる具体的な一歩と思った。