ほおっておいても子どもから自然遊びは生まれない。まずは「強制的」に巻き込むことから

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「目の前に自然があるだけでは、子どもたちはその中にはなかなか入っていかない。自然を伝えたり、魅力的なカリキュラムの必要性がある」

先日のLAFT合宿で、KAIがそのためにウィルダネスプログラム(野外プログラム)を導入した経緯を話してくれた。ほおっておいてもなかなか自然遊びは生まれない。そこでアウトワード・バウンド的強制力を発揮したということだった。

どこの子どもたちは同じようだ。

自然あふれる環境にある子どもたちであってもそうなら、都会の子どもたちならなおさらのこと。休み時間ともなれば、教室でトランプしたり、おしゃべりしたり、わざわざ外へ出なくなってくる。

もちろん、それでもいいと思っている。でもどこかちょっぴりさみしい。もっとオモシロいことが外遊びでは生まれることや、遊びから学べることがたくさんあることを知っている僕としては。KAIは課題解決の力を自然の中から学ぶと話してくれたがまさにその通りだと思う。

だから、子どもたちを自然の中に強制的に連れ出すカリキュラム化することに納得してしまう。

僕は、ここ4年間、朝、しぜん広場に行くというだけの「強制」を続けてきた。コロナのこともあって、人とふれ合う機会が失われてしまった。外なら部屋と違って空気感染しないし、いいだろうとおもって、朝遊びを続けてきた。

瓢箪から駒で、結果、しぜん広場から学ぶことの方が実に多いことが知ってしまった。そして、いろんな子どもの姿がみてとれた。

雨上がりこそ、びしゃびしゃになって泥まみれになって遊ぶ子。

となりの家の2階を超える高さまで木登りする子。

卒業制作のトーテムポールを転がし、ペアで玉乗りし始める子。

一年間、池のヤゴをとり続ける子。都会の中でめったにみることないギンヤンマのヤゴを何体みせてもらったことか!

起伏の激しいフィールドでの鬼ごっこを極める子。やってみると分かるが、大人にはなかなかしんどいし、体幹とバランスが試される。

一年間、遊び倒した子たちは、そのおもしろさを親にも伝えたいと、年度最後のまとめの会に「しぜん広場一緒にあそぼう企画」を考え、己の能力の高さを示し、親たちを驚かせしめた。

何をやってもいい時間と場を用意することは、ここまで一人ひとりの個性を上手に引き出してくれる自然のもつ力はすごいと感嘆しかない。その力を十全に発揮するためには、全員で外に行く場が必要だった。

低中学年の子どもたちは、自然の中で自由に遊びはじめる。でもただ連れ出せば、何か始まるかというと、そうでない発達段階の子たちもいることがわかってきた。それが高学年の子どもたちであり、ここ2年間ずっと悩み続けていることのひとつでもある。

これまでの経験にしぜん遊びの文化が少ないと、そもそも率先して遊ぼうとしなかったり、できない子が増えてくる。そこでいくつか、仕掛けを用意することにした。

例えば、「落ちているものを食べる」とか。

この秋には、ずいぶんと自然広場に落ちている果実を食べた。柿、夏みかん、モモ、大抵おちているものは、熟れておいしく食べ頃だ。たいてい子どもたちは、「落ちているものは食べられはしない」と怪訝な顔をして言う。

そして、二分される。「それたべれるの?」「おちてるとかやばくない?」と警戒する子と「なになにそれ?いいにおい」「おれ、食べてみたい」と何も疑わないチャレンジャーだ。先発隊の毒味が終わると「わたしも一口だけなら」と恐る恐る口にし「案外、うまい」と、だんだんその遊びの渦に巻き込まれながら、感染していく様子が見て取れる。

「寒いね、そのへんにおちているもので火起こししよう」

これは、とくにやんちゃな子たちにヒットした。以来、その辺におちているもすべてが火起こし道具に使えないか、常にそんな話題となっていく。どこから拾ってきたのか、ひもを使ったり、木材をみつけてくるのもおもしろい。自然の中にあるものへの解像度が火起こしのために変わっていく。

だいたい一学期間を費やした試行錯誤の火起こしの末、ペアで火起こしするのが一番楽だということが経験的にわかってきた。本当にそのへんにある材料をつかって火起こしをできるスキルを身につける猛者も生まれた。自分が起こした種火を使って、火が起きたときは感動だった。忘れられない出来事でもあり、生きていくための自信にもなったはずだ。

僕は小さくてもいいから、こういう日々、連綿とした帯でしぜん遊びを続けていく必要があると考えている。ときに「だるい」「めんどくさい」という圧力に屈しかけるときもあるが、これも必要な勉強のひとつ、と割り切って、連れて行く。

すると、いつのまにか、その辺にあるもので遊び始める。この秋、6年生にとっての落ち葉の山は一番の遊び道具だった。

自然には力がある。けれども、自然から遊ぶには熟達レベルが求められる。悲しいかな。すぐには遊べないのである。だから、低学年のうちから、豊かな自然遊び経験の量をつんできてほしい。1年間を通して外に出続けていると、ただの外遊びでは経験できないセンス・オブ・ワンダーを自然から感じ取れることがたくさんある。その点、最近の月曜日の朝は、3〜4学級がしぜん広場で遊ぶ混雑ぶりだ笑。それでいいと思う。

さて、いよいよ3学期。しぜん広場で何しようか。はたまた、しぜん広場ではない、自然豊かな場所にこっそりいこうか。はたして、そんなヒマあるのだろうか。画策中である。

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