仕事にも、生活にもバッファをもうけるとうまくいくはず

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「咳、大丈夫ですか?」同僚の体調を気遣って声をかけた。「年をとってくるとなかなか治りにくくてね」同僚といっても僕と同じ歳頃。

「そうですか。僕は最近、風邪という風邪を引かないんですよ。そのぶん、よく怪我してますね。こないだもバスケをしていて〜」と他愛のない話をしたばっかりだった。

そういう話をしたからか、ここ二日間、頭痛と喉の痛み、発熱で寝込んでしまった。マーフィーの法則か。

幸い、ただの風邪だったため、家で大人しく寝ていた。

寝ていても気になっていたことの一つが、「書くこと」。しばらく続けこれたことがここで途切れてしまうことが残念だった。でも、それで良かったと思う。書くことが目的化してしまわないことだ。

たしかに書き続けること(たいしたことでもないことだが)で、思いもよらなかった発見や出会いは起こる。でも、何のために続けるのかを見失うと、「続ける」ためになりかねない。書くことはあくまでも、アタマナノナカをクリアにすることだし、ストレス解消だし、ただの遊びだ。

たまにはこういう中断もよいことにしよう、と思った。僕はストイックになりすぎてしまうところがある。

日々の生活や働き方にもっと「バッファ」をもうけるようにしたい。そう、あのキン肉マンのバッファローマンではない。「バッファ」とは、車のハンドルのあそびのようなもので、計画にゆとりをもたせることだ。常に、全力疾走ではそれこそ続かないし、予期せぬ出来事に対応することができなくなってしまう。

アイリスオーヤマの話を聞いたことがある。我が家にもある家電で有名な企業。コロナ禍において、欠品するだろうマスク作りにいち早く乗り出した。普段は、家電を作っている会社であり、日々、余力を残し、たしか60%ぐらいの稼働率だそうだ。

ゆとりがあれば、どんなときにも対応できる可能性が高い。そう思うと、今の働き方をもう少し考え直さないといけないな。これは僕個人だけの意識の問題ではなく、学校組織全体の問題でもある。

このバッファのおかげで、この時期、休みをもらえているのも確かだ。しかし、その分の仕事が他の誰かにのしかかっていることも確か。働き方改革は決して人ごとではない。

「あ〜、ヒマでしょうがないから、仕事でもするかぁ」といった気分にならないものか。本来、「仕事とは暇つぶし」らしい。生前の国分康隆が行っていたカウンセリング研修でそう話を聞いた。そのおかげで、僕は仕事を人生の全てにすることなく、相対化することができた。

まずはようやく日々を取り戻しつつあり、また細々と日々できることを積み重ねていこうと思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

最近のコメント

    コメントを残す

    *