いつも迷っていたり、これでいいのかなと、自問自答している。たぶん、この先もずっとこれが続くし、退職するそのときだってもっとやれたことがあったはずと思っているだろう。教育ってそういう仕事なんだと思う。
迷ったときに立ち返るところがあるといい。それが建学の精神。本校には本学が創られた際の願いが脈々と残っている。
今年、亡くなられた中野光先生は、桐朋初等部の創設期に4年間教員をしていた。ジョン・デューイの発想から桐朋の構想をねりあげた方だ。
中野先生は、桐朋から金沢大学、和光大学、立教大学などの教員の傍ら、日本生活教育連盟委員長・顧問、日本子どもを守る会会長、日本教師教育学会会長、日本学術会議などさまざまな活躍をなされた方。
「私学としての桐朋はいわゆる『研究学校』(ラボラトリー・スクール)として発展していくほかないのではないか」「子どもが構成し、創造し、そして能動的に探究するための作業所・実験室・材料・道具、そういうことに必要な空間」
『初等部誕生物語』より
これってまさに実験校だ。それもそのはず、1950年初頭、中野先生はドイツの教育から学んできたからだ。
伝統的な学校カリキュラムや画一化された教育を変えることを大切に初等部を創ってきた。
だから周りの先生からは「桐朋の先生は自由だ」といわれるゆえんなんだと思う。しかしそれについて回るのはその質。だから悩ましい。
「準備教育ではなく、今を生きる教育こそが大切です」
『生活教育2023/10・11』P.29より

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中野先生は「教育の『質』を研究的に問いつづけるほかに発展の道はない」と言う。ルソーの『エミール』に書かれた「子ども時代は再びめぐってはこない。あてにならない将来のために、人々はなぜ、二度とめぐり来ることのないいまを犠牲になるのか」を引用し、その質に向き合うため、「いま」を大事にする教育をうったえた。
「私のやっている教育は果たしてこれでいいのだろうか」
「もうすこしましにならないものだろうか」
これをみんなで問い直すことができる学校であるのが本校だと。そして今、そういう学校でもある。
今の教育目標
・子どもを原点とした教育の実現
・社会の主人公となりゆくための根っこを育てること
これに立ち返り、その質、取り組みから、子どもたちの学び方とその意欲を高めていきたい。うまくいかないことも多々あるけれど。長い職員会議が終わってそう思う。
本校の校長は毎回の職員会議で、自分の思いや願いをA3用紙に2〜3枚くばってくれる。そこには地球環境のこと、教育実践のすばらしいこと、そこに今回、中野先生のことが記されていた。ステキでしょ。
