いよいよ明日、運動会。子どもたちと熱のこもった練習を続けている。
今日、学年の先生と買い出しにいったときの会話でそのとおりだなと思うことがあった。
「これまで仲良くやってきたのに、どうして急に赤と白で戦うの?」
子どもたちとは5年生の頃からずっと協同とか、多様性とか大事にしてきた。競い合うことよりどんなことでも認め合い支えてきたはずだった。
なのに運動会となると、なぜいきなり赤と白に分かれて急に競い合うことをするのだろうか。これは子どもたちにとっては、まったく文脈のないことだ。
子どもたちと考えてきた学年競技「シン・ハタシッポトリ」では、勝っても負けても楽しかったはずなのに、運動会が迫ってくるにつれて勝ち負けがつくといきなり熱くなりすぎる場面もあった。
応援団の練習では「絶対勝つ!」なんて普段の言葉からは絶対絶対でないような言葉を叫んでいる。
ずっと違和感をもっていたのは、このことだったのか。
運動会ではなく、民舞発表会+この指止まれスポーツフェイスティバルにすればいい。種目も、子どもたちが考えた種目を1年から6年まで募って自由参加できるような競技にするといい。大人だってそこに参加したっていい。赤が勝つとか白が勝つとか越えて、もっと全員で楽しめるといい。
僕はやっぱりパン食い競争とかやりたいな。パンはやっぱりあんパンね笑。子どもたちと考えた「生卵をはこべ!(オタマに卵を落とさないようにリレーする笑えるゆるスポ)」とか、あと世代別3種目競技(走る、跳ぶ、投げるなど)にも参加してみたい。
人気のない種目は少人数だっていい。そういう希少価値に目を向けて「自分がやらねばだれがやるのか」という勝手な気概をもって参加する人がもっと増えるといい。楽しい様子は、必ず広がるし、周りを巻き込む力があるからだ。
どうやって人とつながって、いっしょに生きていくのか、そういう視点でもう一度、運動会をみなおしてみる機会があるといい。
とはいうものの、明日は運動会。これまでがんばってきた全てを出し切って、気持ちよく、楽しめるといいな。
