中村哲ドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」を観たことをきっかけに、中国の孟子に興味をもった。
中村哲さんはアフガニスタンで水路を築くその難しさの中、きっと孟子の「性善説」に惹かれたに違いない。人の本性は善であるにもかかわらず悪事へと走らせてしまうのは、その人が生きている環境によってその本性が汚れてしまっているからだと。教師としても、なんだか勇気をもらえる。
僕にとっては高校の漢文程度しか知らなかったが調べてみるとなかなかおもしろい。「ためにならない君主、YOUとりかえちゃえば!」と、当時(といっても2500年の前の中国において)はかなりの革命的思想の持ち主だったらしい。そもそも農民に君主をとりかえる発想はないし。ジャニーズしかり。
それだけに、孟子の愛読者には、徳川家康、吉田松陰、西郷隆盛などそうそうたる面々がならび、そこについに僕もならぶことになった。
とはいっても、まったく革命的思想をもたないいたって平和主義な僕にとっては、孟子の「仁義」に惹かれたまでのこと。自分にとってのぶれない軸を教育社として古典から学ぶのだ(どや顔)。
現状の社会状況や内紛や戦争、環境問題などの解決には、もうこれまでの近代思想で解決するのは難しいのでは。東洋思想から大きなヒントをもらえるのではないだろうか。
孟子は、紀元前400〜250年前、山東省済寧出身の儒学者。孔子の孫に学び、戦国時代に覇道政治をいさめて、王道政治を解いて回った人物。その弟子たちが書き記したのが有名な『孟子』。
人は環境によって変わるというあの「孟母三遷」のモデル少年のこと。余談だけど孟子のは母かなりタイガーマザー。「孟母断機」中途半端にするな!と孟子が勉学にさぼっていると自分の織物を切断してみせた母親。おだやかにいきたいものだ。
孟子いわく、「富国強兵や国の利益なんかじゃない。そんなことしてたら滅びるよ。『仁義』のみが王道政治なのだ」と、当時、戦争まっただ中の君主に、利益よりも仁義をといた。
ここにいくつか仁義にまつわる対話を紹介する。
「仁は人の安宅なり。義は人の正路なり」
仁は人が安心できる住まいである。義は人が胸を張って歩く正しい道のことである。
「仁は人の心なり。義は人の路なり」
仁は人の自然な心であり、義は人が踏みゆくべき正しい道である。
「君仁なれば仁ならざることなく、君義なれば義ならざることなし」君主が仁であれば人民も人徳を持つ人となり、君主が義であれば仁民も義の徳に生きる。このあたりは、子どもたちとのかかわり方や教室においてもかくありたい。
この情緒的な愛の概念である「仁」に対して、それを秩序に落とし込む「義」の概念を明確にしたことで、仁義の規範性が明確になった。
つまり、人とのかかわりは、真心と思いやり。
しかし、この仁義を学んだとしても、「熟した仁」と「熟していない仁」があることをいさめている。それは「仁義によりて行う vs 仁義を行う」であり、前者は仁義を自然とやるものであって、後者は仁義を努力してやるものである。
僕はまだ初心者コースで、道はまだ遠い。
孟子関連の本はいくつか読みましたが、以下の本が入門にもとてもよかったのでおすすめです。