人が成長するために欠かせないものな〜んだ。
答えは、出会いです。(諸説あり)
一人で早く先に行くよりも、みんなで遠くに行くために、一人ひとりが成長できるといいですね。そたのめにも「一人ひとりがリフレクションできること」と「対話できること」が不可欠です。
そもそも受験問題のようにすでに答えがある問題には、そもそもリフレクションはいらない。はやくその情報にキャッチアップすればいいだけだから。
でも、今は、答えなんてない時代。だから人との出会いを大切に、相手と補い合いながら問題解決していくことが大切だ。
でも対話の場で、評価判断を保留できない人が一人でもいるとその場は破壊されてしまう。これは悩ましいこと。きっと、本人はまだ気付いていないだけのこと。そこで、「さぁ、気付こうよ」と一緒に成長していけるといい。
僕に、僕らに必要なのは、対話の場に貢献するための仲間づくりが必要なのだ。
でも、カチコチマインドセットの頑固頭の自分もいる。私たちは、一度「こういうものだ」と思ったら、その考えをあらためることがとても苦手だ。多面的、多角的に見るためには、まずは、自分のカチコチ四角あたまから考え直すことができるかな。対話とは、自分のわくの外にでる力がためされているんですね。
この対話こそが、実は内省であり、リフレクションの場なんです。リフレクションって、1日終わって、あとでこっそり一人でやることだと思っていませんか。僕はそう思っていました。
対話におけるリフレクションとは、ライブなんです。今、話し合っている相手の意見を、善し悪しを、評価判断を、保留して、相手を含みこんだ多様な世界を模索して、自分の枠の外へ出ること。つまり、これが学ぶということ。
対話とディベートを比べるとわかりやすいと思います。
ディベートは自分の正当性を訴え、主張を変えないことがよしとされ、そこにはリフレクションは必要ありません。
一方、対話では、自分はなぜそう思うのか自分にリフレクションかけながらきいてみる。相手の世界も同じようにきいて、背景をききとる。なぜそう思うのか。
対話では「主張はどんどん変わる」もの。傾聴し、相互学習することで、自分の中にも相手の中にも、変化がおきる。「その意見いただきます」「思ってもみなかった。ありがとう」と、その場にいる全員が○なんです。
僕は、人と共創するために、対話を豊かにつかえるようになりたい。そんなうまくいかへんけど。
多様な人と積極的に出会うことが、自分をふりかえる機会をもらい、出会いが自分を育ててくれるんでしょうね。
みなさんは、最近、すてきな出会いはありますか。
