年末からこの2ヶ月は、原稿の仕上げにじっくり向き合ったり、それに必要な本を改めて読み直してまとめたりと、けっこう生産的な時間を過ごせたと思う。
本の読み方も、だいぶ変わってきたなぁ。以前は手当たり次第にたくさん読んでいたけれど、今は一つの本をじっくりと理解するために、線を引いたり、ツッコミを入れたり、持論をメモしたり、わざわざ文章にまとめたり、スライドを作ったりと、そういうことを繰り返している。すると、自分の頭の中で何かがつながってくる感じがあり、知識が形作られていく感覚が生まれる。
なるほど、これが「知識をつくる」ということか。
知っていることで終わりがちな知識を、「わざわざ」まとめ直す。このプロセスを経ることで、自分の中にしっかりと定着した知識になっていくのだと、ようやく実感できるようになってきた。結構手間がかかるものだけど、ここ数ヶ月続けてきて本当に効果を感じているので、おすすめしたい。
まぁ、だからこそ、じっくり読みたくなる本と出会うためにも、多読も欠かせないんだけど。そのジレンマ。
最近、面白いなと思った本に、メリアン・ウルフの『プルーストとイカ』がある。読書が人間の脳に与える影響を、神経科学や認知科学の視点から解明してくれる本だ。
「読書が苦手な子は一体何につまづいているのか」を知りたくてこの本を手に取ったのだけれど、ところがどっこい、これまでの自分の読書方法がいかに浅はかだったか、反省させられた。
読書は生まれつき備わっている能力ではなく、脳の再配線(ニューロプラスティシティ)によって獲得される能力であること。読書は、脳の可塑性を活かした高度なスキルであり、文字を解読することで脳の回路が強化され、より複雑な思考が可能になること。ふむふむ。
これまで僕の読書傾向は、多くの情報にできるだけアクセスし、スキミングする技術には長けていた。けれど、そういう読み方では脳は育たないし、深く考えることにも至らない。どころか、集中力すら身につかない。
読書は単なる情報の受け取りではなく、推論したり分析したり、より重要なことを見つけるための批判的思考を促すしてくれるもの。また、文脈を想像したり、共感したりすることで、より高度な認知活動を活性化させる。だから、読まないのはもったいない。
じっくりと思考することと、情報を集めることとはちがう。スマホの小さな画面でいくら断片的に情報を集めても、なかなか熟考するには至らない。文字と文字を読みながら、そこに書かれていない行間や文脈を予測し、想像すること。これこそ、深く考えるために必要なことなのだ。だが、SNSではこうした読書の醍醐味を味わうのが難しい。
『プルーストとイカ』の終章でも、このあたりのことが課題として挙げられていた。今後、デジタルとフィジカルな読書のハイブリッドな方法をどう確立するか、という問題だ。続編の『デジタルで読む脳 紙の本で読む脳』も面白そうなので、ぜひ読んでみたい。というか積ん読本だったのでようやく日の目を浴びる。
以前、福岡伸一さんが「紙の本には束(厚さのこと)がある。これが読む地図となり、記憶となる」という話をされていた。紙の本なら「この知識は本のどのあたりに書かれていたか」がわかる。身体感覚を伴って読むことこそが、紙の読書の強みだということだ。福岡さんはそのためか、デジタル本は一切出していない。こういう徹底した姿勢も、とても好きなところ。
はたして、昨今デジタル教科書を推進しようとしているワーキンググループの人たちは、こうした読書の本質について、どれだけ積極的に議論しているのだろうか。しらんけど。
やっぱり、本を読むことは大事だ。細切れの時間でもいいから、常に本を読む習慣と、それを「わざわざ」加工する習慣の両方を持つことを続けていきたい。賢くなれそうだし。