歳をとってきて、良いこともあれば悲しいこともある

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Facebookのプロフィール写真を更新してみた。以前の僕とはもうすでに違う、別の僕になってしまったように感じたからだ。改めて自分の姿を見てみると、やっぱり「歳をとったなぁ」としみじみ思う。その象徴が「白髪」だ。

髪に変化が出てきた。もともと若い頃からもみあげが白かったため、妻からは「モミシラ」とからかわれていた。今年に入ってからは、頭髪全体に白髪がめっきり増えてきた。だが、それも最近は悪くないと思えるようになった。無理に染めるのは自分らしくないし、自然体でいるほうが心地よいと感じるからだ。

子どもたちにも「イガせん、白髪増えたね」と言われることがある。そんなとき、「お前たちが苦労かけるからだよ」と返してはいるが、「シ・ラ・ガ」という言葉の響きには、やはり若干の抵抗を覚えてしまう。せめて「しろ毛」や「しろりん」など、もう少し柔らかい呼び方だったら、白髪ハラスメントも少しは和らぐのではないか、と思ったりもする。

歳を重ねると、予想していたこととは異なる変化がいくつも起きる。良いこともあれば、少し寂しいこともある。たとえば、走るのがしんどくなってきた。特にバスケットボールでは、機敏な動きや速攻で戻るプレーが以前より厳しい。トレーニング不足を痛感しているが、かつてのような俊敏な動きはもう難しい。試合の動画を確認すると、どこかもったりとした動きに見え、少し悲しくなる。それでも、プレーの質で勝負する方向にシフトしていこうと思う。ドンチッチのような「ゆるうま」プレーを目指すのも悪くない。

また、歳を重ねることで、こだわりが増え、頑固になってきたと感じる。若い頃はもっと柔軟に考え方を変えられていたように思う。それでも、こだわりがあることで、自分の本当に好きな人や、逆にあまり関わりたくない人がはっきりしてきた。それは悪いことではないのだと思う。

できないことが増える分、弱さや不器用さにじっくり向き合い、それを許せるようになってきた。若い頃のように自分に過剰な期待を抱かず、楽に生きることを選べるようになったのは、むしろ幸せだと感じる。できないことがあっても「まぁいいか」と受け入れる心の余裕が出てきた。これは自分自身に対してだけでなく、周囲の人たちに対してもそうである。弱さやできなさを受け入れることで、他人にも寛容になれるのだ。

一方で、「ここだけは譲れない」という自分の中の大切なラインも明確になっている。そこを大事にすることで、自分らしい生き方が形作られているように思う。

歳を重ねた今、無理をせず、ゆったりと愉快に過ごす毎日は、思った以上に豊かだと気づいた。それを知ることができたのは、歳を重ねたからこそだろう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

最近のコメント

    コメントを残す

    *