2024年 12月 の投稿一覧

LAFTで國分功一郎さんから中動態を学ぶ

LAFTに國分功一郎さんをお招きし、「中動態」とは何かについて教えていただいた。また、その後の対話を通じて、中動態にまつわるさまざまな視点を共有する場を設けた。

なぜ自分は中動態という概念にこれほどまでに魅了されているのだろう。

この問いのきっかけは、2018年頃にさかのぼる。当時から幼稚園の共同研究者であった大妻女子の久保健太さんから教えてもらった「中動態」という言葉。その響きに当初は漠然とした興味を持ちつつ、「主体性とは果たして個別の意思だけで成り立つものなのか」という問いが生まれた。それ以来、細々とその関心を持続させてきたが、今年はついに中動態をLAFTのテーマとして本格的に取り上げることに決めた。

中動態という古くも新しい概念を学ぶ中で、これまで目にしていたのに見えていなかったものが、少しずつ輪郭を帯びてきた。あるいは、気づこうとしても気づけなかったもの、と言えるかもしれない。僕たちは普段、言語を介して思考を規定されている。能動と受動という文法構造は、当たり前のように日々使われているため、その「あたりまえ」に目を向けることが非常に難しい。しかし中動態は、能動の対になるものが受動ではなく、中動態という第三の「態」であることを教えてくれた。

この理解が少しずつ深まることで、教育における違和感にも改めて気づけるようになった。たとえば、子どもの遊びにおける主体性の捉え方、一人ひとりの能力を伸ばすことを強調する風潮への違和感、あるいは新自由主義を批判的に捉え、「コモン」や「コミュニティ」といった概念を通じて、人と人がどのように弱さを共有し合いながら生きていくのかを考える視点が芽生えてきた。こうした考えの変遷は、常に中動態と共にあったと思う。だからこそ、中動態は単なる文法の「態」にとどまらず、教育観を見直すための強力な概念として僕に響いている。今回、國分功一郎さんをLAFTに招いた背景には、こうした思いがあったのだった。

國分さんの話の多くは書籍で既に触れた内容だったかもしれない。でも、中動態の第一人者から直接話を伺うことで得られるライブ感、そこから生まれる高揚感は特別としかいいようがなかった。ミーハーな気持ちでこっそりサインももらってしまった笑。

印象に残ったのは、責任や意思という概念が本来持っているはずの別の可能性についての話だった。「応答するもの」という責任の語源、そしてそれが刑法をベースにした個人責任の枠組みにどうねじ曲げられたのか。古代ギリシャでは2000年ほど前までは言語にはかつて「意思」というものが存在しなかった。この能動と中動態という二つの態で表現されていた言語が、個別の責任を帰属させるために変容し、現在の「能動」と「受動」という枠組みへと固定化された背景は非常に興味深かった。

では、これを教育にどう活かせるのか。

今回の研修だけでは答えを出し切ることは難しかったが、参加者とこのテーマについてもっと語り合う機会を近々設けたいと考えている。そうした場を通じて、さらに中動態と教育の可能性を探求していきたい。

それでも、翌日のある会議では、責任を誰かに押し付けるのではなく、「みんなで引き取る」という発想をさっそく共有することができた。これは間違いなく今回の研修が後押ししてくれた成果だったはず。ある問題の背景や文脈、関係性を丁寧に紐解いていくことで、子どもたちが抱える問題も自然と解消されていくのではないか。その責任を短絡的にその子にのみ押しつけても、表面的には見えなくなっただけで本質的には解決していない。その行動のは畏敬そのものを捉える、このプロセスこそが子どもを理解することの本質であり、そこから立ち上がる新たなアイデアやヒントは、中動態的な発想の中で生まれるものだと思えるようになってきた。

しばらく自分の内側にわきおこってくる中動態的な何かを大切にしながら生活していこうと思う。様々な分野、そして遠くからもLAFT中動態へ参加してくださった方、ありがとうございました。次回は、オンラインでやる予定です!

みんな、バスケしようぜ!

昨日、社会人バスケットボールチームとして20周年を迎えた。この節目の日には、現在のメンバーはもちろん、創設当初の仲間たちも駆けつけてくれた。ささやかながら、温かく素敵な会であった。

特に感慨深かったのは、創設当初から僕を含めた5人が、今なおコアメンバーとしてチームに参加し続けていることである。「バスケをやりたいね」と同期の仲間たちと声をかけあったのが始まりだった。振り返ってみれば、この20年間、毎週末欠かさず練習を続けてきた。その回数は優に1000回を超える。

仮に1回3時間の練習とすれば、部活動に費やした中高時代とほとんど変わらない時間を、このチームで過ごしていることになる。

まだチームが若い頃は、夏や冬の合宿で朝トレや夜トレまでをこなしていた時期もあった。海外赴任した仲間を訪ね、マレーシアで国際交流バスケを楽しんだこともある。夢が叶い、仲間とロサンゼルスでNBA観戦をしたことも忘れられない思い出だ。仲間の結婚式を祝ったり、チーム内から幾組ものカップルが誕生したこともあった。最近では、恒例のビアガーデンや忘年会、そして何よりも大会後の「プレイタイムは30分、反省会は5時間」が楽しみの一つとなっている。

自分自身、昔から協調性がなく、人と何かを一緒にするのが苦手だった。一つのことを継続することも得意ではなかった。しかし振り返ると、この20年、チームの中心としてここまでやってこられたことに驚く。ただし、これは決して一人の力ではなく、仲間がいてくれたからこその成果である。

バスケが好きで、バスケをやりたい人はたくさんいると思う。でも、毎週末10人以上のメンバーを集め続けることは簡単ではない。過去には3対3の練習しかできない辛い時期もあったが、その冬の時代を乗り越え、今では安定して3チームで交流戦ができるほどメンバーが集まるようになった。

うちのチームのモットーは「楽しく、マナー良く、平等に」である。最近は勝ちにこだわりすぎる場面も見受けられるが、毎週末を気持ちよく楽しむことを大切にしたい。ここ数年はピック&ロールを中心に、2対2や3対3、5対5のチームオフェンスを磨いている。来年度はホーンズセットに挑戦するのも面白いかもしれない。まだまだ成長の余地があることに楽しみしかない。

週末のバスケのおかげで、どんな嫌なことがあっても、すっきりとストレスを解消できる。本当にメンタルが爆上がりだ。教師という仕事柄、日常では自分をコントロールする場面が多いが、週末は全力でプレイし、ときには激しい言い合いもある。それでも、同じ目標を持つ仲間とぶつかり合えることは本当にありがたい。試合ではまた同じチームメイトとして力を合わせられる。この関係性が心地よい。

シニアリーグでは今年も決して楽なシーズンではなかった。年度初めには7連敗を喫し、なかなかリーグ戦で勝つことができなかった。しかし、毎月の大会でコツコツとポイントを稼ぎ、ついに優勝決定戦まで進出した。そして、最後には連勝を重ね、年間リーグ優勝を果たした。これで3年連続のS2リーグ優勝3連覇である。この結果にはほっとすると同時に、やり遂げた充実感がある。

40歳を超え、シニアリーグで本気でバスケを続けている自分に驚くこともある。しかし、これが自分の生活の一部となっている。10月からは日本のバスケットボールリーグが開幕し、週末の試合観戦も加わる。忙しい日々は続くが、それもまた充実感の一つである。

バスケを続けてきたおかげで体力は充実している。そして、バスケを続けるために日々のトレーニングも欠かしていない。ほんと、月曜日は疲れをひきずっているけど、今日もトレーニングへ行ってきた。その相乗効果で、ますますバスケへの熱が高まっている。

20周年の会では、過去の動画やプレイ映像を振り返りながら、一人ひとりがスピーチを行った。涙ぐむ場面もあり、普段は語られないそれぞれの思いが溢れていた。本当に素晴らしい仲間と巡り会えたと感じる。

人生を振り返ると、社会人になってからの道のりはバスケと共にあった。そして、その道を共に歩んでくれた同期の仲間たちに心から感謝している。60歳を超えてもバスケを続けることが目標である。

みんな、バスケしようぜ。

歳をとってきて、良いこともあれば悲しいこともある

Facebookのプロフィール写真を更新してみた。以前の僕とはもうすでに違う、別の僕になってしまったように感じたからだ。改めて自分の姿を見てみると、やっぱり「歳をとったなぁ」としみじみ思う。その象徴が「白髪」だ。

髪に変化が出てきた。もともと若い頃からもみあげが白かったため、妻からは「モミシラ」とからかわれていた。今年に入ってからは、頭髪全体に白髪がめっきり増えてきた。だが、それも最近は悪くないと思えるようになった。無理に染めるのは自分らしくないし、自然体でいるほうが心地よいと感じるからだ。

子どもたちにも「イガせん、白髪増えたね」と言われることがある。そんなとき、「お前たちが苦労かけるからだよ」と返してはいるが、「シ・ラ・ガ」という言葉の響きには、やはり若干の抵抗を覚えてしまう。せめて「しろ毛」や「しろりん」など、もう少し柔らかい呼び方だったら、白髪ハラスメントも少しは和らぐのではないか、と思ったりもする。

歳を重ねると、予想していたこととは異なる変化がいくつも起きる。良いこともあれば、少し寂しいこともある。たとえば、走るのがしんどくなってきた。特にバスケットボールでは、機敏な動きや速攻で戻るプレーが以前より厳しい。トレーニング不足を痛感しているが、かつてのような俊敏な動きはもう難しい。試合の動画を確認すると、どこかもったりとした動きに見え、少し悲しくなる。それでも、プレーの質で勝負する方向にシフトしていこうと思う。ドンチッチのような「ゆるうま」プレーを目指すのも悪くない。

また、歳を重ねることで、こだわりが増え、頑固になってきたと感じる。若い頃はもっと柔軟に考え方を変えられていたように思う。それでも、こだわりがあることで、自分の本当に好きな人や、逆にあまり関わりたくない人がはっきりしてきた。それは悪いことではないのだと思う。

できないことが増える分、弱さや不器用さにじっくり向き合い、それを許せるようになってきた。若い頃のように自分に過剰な期待を抱かず、楽に生きることを選べるようになったのは、むしろ幸せだと感じる。できないことがあっても「まぁいいか」と受け入れる心の余裕が出てきた。これは自分自身に対してだけでなく、周囲の人たちに対してもそうである。弱さやできなさを受け入れることで、他人にも寛容になれるのだ。

一方で、「ここだけは譲れない」という自分の中の大切なラインも明確になっている。そこを大事にすることで、自分らしい生き方が形作られているように思う。

歳を重ねた今、無理をせず、ゆったりと愉快に過ごす毎日は、思った以上に豊かだと気づいた。それを知ることができたのは、歳を重ねたからこそだろう。

伝記『中村哲』から地球規模の問題を考えたい 個を超えて クラスで深める学びの文化づくりを

3年前から取り組んでみたいと思っていた教材がある。それは中村哲についてだ。当時、中村哲の映画『劇場版 荒野に希望の灯をともす』(2022年7月23日に公開)を観て、いつか子どもたちとこの題材をもとに議論し、考えを深め合う経験をしたいと強く思った。

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そして、この2学期、その願いが少しずつ実現しつつある。今、子どもたちとじっくりと『中村哲 (伝記を読もう 28)』を読みはじめ、哲の生い立ちから寄り道しながら話し合い、考え合う時間を過ごしている。

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お付き合いの「教えるべきこと」とは別に、僕自身は一体どんな教材を子どもたちと「選んで学び合いたい」経験をしたいのか。

この問いは、今の学校に赴任してからずっと心にあった。これまで「教えるべきこと」と細々と工夫を重ねながら向き合ってきた。僕自身は「この教材、本当に扱う必要があるのだろうか。でも年計にあることだし。学年でとりくんでいることだから。。。」と思いつつも、せめて子どもたちが主体的に学べるように、学び合いの手法やワークショップ形式の授業を取り入れてきた。

しかし、「何を教えたいのか」「どんな教材にふれて、どのような学びの経験を子どもたちにしてほしいのか」、さらには「あえて集団で(個別にゆずりわたすではなく)共有する学習経験として何を積み重ねておきたいのか」といった問いについて、明確な思想や主張を持つことはできていなかったように思う。

本校には「地球市民の時間」という総合的な学習の時間がある。これは、地球規模で人権、環境、平和について考える総合学習。これまで、自分の中には「遠い国の問題を扱うよりも、身近な課題を解決するほうが良いのではないか」という思いがあり、深くコミットすることができなかったのかもしれない。

しかし、昨今の人権問題や選挙事情に見られる民主主義の脆弱さ、さらには環境問題、そして対話をベースとした平和について考えることが、今やまったなしの何よりも重要な課題となっている。

子どもたちは、これらをどのタイミングで学び、どう向き合うべきなのか。こうしたテーマについて深く考えることは、教師として自分自身に課された責務だと感じている。

この夏、リエコとケンジの3人で「ギフトスクール」で概念探究の授業作りについて話し合っていたとき、長い間心に温めていたアイデアがふいに思い浮かんできた。

「ああ、自分はエチ先生のような実践をしたいと思っていたんだ。」

以前「数学者の時間」で「数学者とは何か」を探究していたときのこと。少し算数数学に飽きてしまい、たまたま国語教育の棚にあった本を手に取った。

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伊藤 氏貴 (著)『奇跡の教室 』( 小学館 2012)の本がきっかけだった。その授業では、3年間かけてたった1冊の文庫本『銀の匙』だけをじっくりと読み解きながら考えを深め合っている実践だった。

そんな風に、根底に「触れてほしい」という強い願いや思想が通底する教材を、いつか自分のクラスで文化として扱いたいという憧れがずっと心の中にあったんだとおもう。

この2学期、子どもたちとは寄り道をたくさんしながら考えを広げ、深めている。内村鑑三やフランクルの言葉に支えられた経験を出発点に、ハンセン病と山村医療の問題を学び、次は世界の水事情や井戸作りの話へと進んでいく。僕のお昼は、パキスタンの庶民食であるロティをいつも焼いて食べている。やってみたわかったが、小麦のそのもののうまさが味わえる。子どもたちも匂いに釣られ、一緒に食している。

子どもたちとともに考え、話し合い、学びを深める。

この経験が、彼らの中にどんな影響を残すのか。その過程を見守りながら、教師として何ができるのかを改めて問い続けていけるといいなぁと最近つくづくおもう。大日向小中の見学がずっと心にのこっているんだなぁ。