先日、「これって、中動態じゃないですか?」「幼稚園の実践をぜひ読んでほしい」と勧められ、その記録を読ませてもらった。それは保護者と共有するためのもので、ある幼児が雲底で挑戦したい技を見つけ、それがいつの間にか周りにいた子どもたちにも浸透していった実践記録だった。やがて「私とみんな」の境目が失われ、ふとした瞬間にまた「雲底をしている私」に戻る場面が描かれていた。その文体は非常に柔らかく、子どもの姿を鮮やかに捉えていて、読むだけで清々しい気持ちになれた。
中動態を学ぶことで、これまで見てきた子どもの姿に、これまでには見えなかった、または何となく見えてはいたけれど、うまく言語化できずに腹落ちしていなかったことに、たびたび出くわすようになれた。これは幼稚園でのいきいきとした遊びの実践に限らず、教室で日々起こる問題の数々についても、同様に見落としていた部分が見えるようになってきたと感じている。
教室でのトラブルもその一つである。子どもたちは日々、さまざまな失敗やトラブルを起こすが、これも大切な学びの場面である。叱られたり、考え合ったりする中で学んでいくことではあるが、決して問題を封じ込めてゼロにするべきことではない。
友だちとケンカしたり、物をなくしたり、忘れ物が多かったりといったことは、多くの場合、その子の責任として教え諭されたり指導される。でも、「中動態メガネ」の視点で見ると、その問題をその子一人にだけ背負わせるべきではないケースも多く見受けられる。教室環境や友だち関係、教師との関係、さらには家庭の影響など、さまざまな要因が絡み合って今の問題が生じていることがある。教育現場にいると、こうした多面的に見なければならない問題があることを痛感する。
確かに、こういった問題は、その子一人の責任だけでなく、関わる全ての人が「ゆるやかな・弱い責任」を持っていると気づかされる。だからこそ、集団の中で、「自分にもできることがある」「いっしょに改善できることがある」と一人一人が感じられるような共同の場を築くことが大切だと考えられるようになってくる。
中動態を学ぶことで、子どもが遊んでいる時や問題行動を起こした時の「捉え方や理解の仕方」そのものが変わってくるのをしみじみと感じている。
中動態について、『中動態の世界』の著者である國分功一郎さんとともに、今の教育現場を見つめ直す学びの場が開催されます。今日や明日にすぐ役立つものではないかもしれませんが、子どもの見方や教育の捉え方をじっくりと醸成する「中動態の視点」を、一緒に学んでみませんか。現在、参加者募集中です!
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