子ども時間に好きなことをして過ごせること

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6月はいろいろなトラブルがおこる。長い間、教員をしているとこの6月にはいろんな事件がおこることを経験からわかってくる。

ふりかえってみると、ここをうまく乗り越えることで、その後、落ち着いたものとなっていくことも知っている。これは学級だけに限ったことでなく、職場も生活もみんな地続きのことだったと思う。

こういうときは、この2ヶ月の間、じっくりと関わってきたからこそ次のステージに進むための機会だと捉えるようにしている。

苦しいときだからこそこの状況に意味がある。予想を越えたところに成長がある。今、自分がコントロールできることに力をそそぎできる準備をする。そうでないことはそこそこにしておいて、決して無理しない。そんなことを言い聞かせながら過ごしてきて、いろんなことが少しずつひらけてきた。

ようやく日常がもどってきた。

休み時間に走って教室に戻ってきた二人の子がいた。手には大きなカエルがのっていた。ちょうどトカゲがたくさんつかまえられる時期だ。そのハンティングの折、偶然みつけてきたようだった。理科園で見つけてきたみたいで、もう驚きとともに大物ゲット感のオーラを出して、集まってくる子に自慢げに説明してくれる。

このわざわざ教室まで見せにくることがおもしろくてしかたない。僕も嬉しくなって記念撮影を撮った。

なんだかカエルから汁みたいなのがでてきていたので、子どもたちの手を気遣って「洗った方がいいよ」というと、教室前の手洗い場でじゃぶじゃぶそのカエルを洗い始めた。どうも僕の意図とは別に勘違いしてしまったようで、自分の手よりもカエルのことを気にして、ていねいに洗ってあげていた笑。いいやつだ。

彼らもやみくもにトカゲを探していたわけではないはずだ。毎年隠れているところを年を重ねるごとに知識を増やしてきている。僕も校地内のどこにトカゲがよくとれるかの情報もちゃんと持っている。

そして捕まえ方もくわしい。子どもは決してトカゲに躊躇しないで、いっきにいく。そんなに強くやったら潰れちゃうんじゃないの?と心配を横目に、ビニール袋には何匹も捕獲されていく。

こういうときに、人はなにかしら学んでしまっているんだと思う。

狩猟採集民は動物の移動する道を驚くほどの解像度で見極めたり、雲の位置や温度や湿度から、天気を予測して狩りに活かしていた。こういう論理的でなり批判的な思考を、生活の中から学んでいたに違いない。

ワイルド暮らしのたくましさとは、繊細な作業を無意識に行動に移せるところまで磨き上げられた技術の結晶だと尊敬している。

そこにはとても緻密で巧みな手作業と予想があいまった芸術的な技能がみてとれる。一度でも火起こしを一からやったことがある人は分かると思うが、そんなに簡単に火は起こらない。全て絶妙な道具と湿度と温度と準備、多くの情報を総合的に調整して初めて火口をつくることができる。ライターやマッチで火を付けようとするだけでは、何も学ぶことができない科学的な思考がそこにつまっている。

本当に賢くなるってどういうことなんだろう。1日学校で学習し、習い事や進学塾でさらに子ども時間を消費している子どもたちをみていてそう思う。

僕はこういう何をしてもいい時間がとても大事だと思っているし、この何をしてもいい時間にその子らしさ、その子の好きなこと、特徴が現れてくることを知っている。

僕は子どもたちはもっと外で遊ぶといいと思う。教科書からでは学べないことがそこにはあることを知っておく必要がある。子ども時間の今しか味わえない経験があるはずだ。大きなカエルを捕まえたことは一生覚えていると思う。

今日はめずらしく、何の予定もない週末の土曜日。携帯とか観ないで、何もしないでだらだらしようとおもう。

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