僕は数学者の時間では、子どもたちに難問をもちかける。賢いといわれる子ほどとけないで悩んでいる。その横で、いつもは決して目立たない子がスッと問題解決してみせる。なんともツーカイな場面に出くわすことも度々ある。こういう問題を良問と呼んでいる。
難しい問題をなぜ用意するのか。なぜ、じっくりと考える問題を要求するのか。僕は、子どもたちに「もがくこと」を歓迎してもらいたいからだと思う。
ジェイソン・モーサーの研究にあるように、脳科学の見知からすれば、脳は問題をスラスラとけるよりも、まちがえたり、できないで悩んだりする方がより成長することが分かっている。脳には可塑性がある。学ぶたびに、脳は神経細胞のつながりを形成・強化している。ミスをするたびに脳内でシナプスが発火し、脳は成長していく。
これはとても教育的な勇気をもらえる。人が学ぶということは、生まれつきにそなわった固定された能力などに規定されるものではない。誰もが成長する旅の途上にいることを励ましてくれるのは嬉しいことだ。
もがいているときこそ成長している。
そして、人は多様な解法を考えているときに、神経細胞のつながりが最大化される。そして脳は、決してスピード勝負ではない。より早く問題を解くことよりも、多様な方法で考えることが学びには効果が絶大である。これは概念を学ぶ時に、より多様なアプローチがより深い理解に導いてくれることを考えれば、納得できることだ。さっさとドリルを練習していたもあまり意味を見いだせないのはこういう脳のカラクリがあるからだ。
うまくいかなくて、もがいたり、まちがったりすること。これは、学習の自然な一部であることを再認識したい。ケン・ロビンソン卿は、「間違いを犯さずに創造的なことをするのは不可能だ」という有名な言葉を残しているほどだ。
「この問題は難しすぎる」「私にはできない」といった否定的な内言を、「もしかしたらできるかも」「学ぶってことは、試して失敗するためにあるのだ」「なにかもっと今の自分には別の方法が必要だと、リフレーミングできるようになるといい。
子どもが数学的なまちがいをするときのほとんどは、ちゃんとそのまちがえた考え方には何らかの論理がある。その論理を大人が興味を持ち、考察することこそ、大きな励ましになるはず。このことは昨年末に井本陽久さんも繰り返し言っていたことだ。
そのためにも、もがくチャンスをみつけるためにも、良問を用意する。不確実性やまちがい、葛藤やもがき、これらを心地よく感じるようになる、そんな算数・数学教室をつくっていきたい。