6時間目は団活、いわゆるクラブ活動だった。体育館で子どもたちとバスケをし、そのまま放課後も一緒に遊んでいた。クラスの子どもと6年生数人が呼びに来てくれた。
「もう、さがしたんだから。はいこれ」
手渡してくれたのは焼きたてのクッキー。今日のパティシエ団でつくったようで、お裾分けを持ってきてくれたようだった。教室行ってもいないし、職員室行ってもいない、体育館までわざわざお皿を持ってきてくれたようだ。ありがたい。「お皿は自分で洗って返しておいてよ」だって。
その場に一つほおばると、「いいなー、イガせんだけずるーい」と群がる少年たち。「いいよ。一個あげるよ」嬉しそうにみんなでわけわけした。かみ応えのあるクッキーでうまかった。今日は、どの子も団活を楽しんでいる様子だった。
すると、もう二人、今度は6年生が呼びに来てくれた。
「イガせん、ねこがみ様に神殿が完成したんだ。見に来ない?」
なになに。僕が勝手に数年前からしぜん広場にこっそりまつっているねこがみ様に、クラフト団の子どもたちがお堂を作ってくれたようだ。バスケを切り上げ、さっそくしぜん広場へ赴いた。
「お参りにはちゃんとした儀式があるんだ」と、神妙な顔持ちで二礼二拝ににたような作法に、後ずさりして礼をするなんとも独特な信仰作法が生まれているようだ。その二人はいたって真面目にやっていたので、僕も真面目にならってあとずさりの礼をした。
子どもたちはこういう「神様」や「妖怪」といった神聖なたぐいは好きだ。子どもの頃は、自分のみの周りにはこういうアミニズム的な精霊が自分を守ってくれたり、戒めるために睨みをきかしているような気持ちをもっている。
この6年生たちがまだ2年生だった頃、僕は一緒にしぜん広場にネコの焼き物を勝手においてお祈りを始めた。それが「ねこがみ様」信仰のそもそものきっかけだ。それは時に、学校の広報にも「しぜん広場にはねこがみ様がいるよ」と記事にしてもらえるほど市民権を得ている。
以来、ずっとしぜん広場の片隅にひっそりとねこがみ様はまつられていて、僕も今年の子どもたちと一緒に定期的にお参りし、信者をふやしそうとしている笑。
そのねこがみ様をまだ覚えていたのか、今でもあつい信仰をもっているのか、神殿という名のお堂を作ってくれた。黒板マグネットを利用した観音開きになっていた。嬉しくて、何度か扉をパタパタ開け閉めしてみると、なんとも幸せな気分になった。
こういうどうでもいいような「あそび」に夢中になったり、こういう「あそび」をさらに真面目に拡げようとしている6年生はおもしろいなと思う。いい子どもたちに育っている。
これでまた来週のしぜん広場の時間が楽しみだ。お参りにはちゃんとした作法があることを土着の文化として教えてやらねば。