先日、ブログに今年観た映画の中からオススメを紹介したら、友人が返信をくれた。
秋の夜長にお薦め映画アマプラ14選
http://igasen.xsrv.jp/wp/2023/11/06/秋の夜長にお薦め映画14選/
コメントでは「セデック・バレ」という台湾映画を薦めてくれた。未視聴だったため、早速みはじめたのだが、2部作もある長編大作だった。
日清戦争後、1930年日本統治下の台湾で起こった山岳地帯に暮らす狩猟民族セデック族による抗日暴動「霧社事件」を全2部作で描いた歴史大作。
狩猟民族だけあって最初の民族同士の対立シーンから、なかなか残虐な場面が多く、台湾版300(スリーハンドレッド)だと思って見ていたが、見終わってみると実はそんな生やさしいエンターテイメントなんかじゃなかった。
先日まで学んでいた日本軍の加害につい目が行きがちだったが、そうではなかった。この映画が示唆することは、資本主義という成長志向の破綻(のはじまり)である。
この映画は全編にわたってセデック族が奏でる歌がちりばめられている。この歌詞がまたいい。それは「狩り場」と呼ばれる自分たちの自然を大切にする思想、そして、その狩り場を守るためにその命を落としたとしても、虹の世界を渡って祖先とまた出会えるという考えを唄う。
これは現在、私たちが忘れてしまっているアミニズムに近い考え方。ものには心がある。魂がある。山にも川にも、風にも神様(精霊)が宿っているという考え方だ。
僕は、初任校で西部地区の道徳研究授業を行った際、そのときの指導者から子どもの心を理解をするために「子どものアミニズム」について教えてもらったことを覚えている。
僕の中には、何か身近な自然の中にいかされている感覚をずっともっていた。定期的に伊勢神宮や出雲大社にしずしずと足を運んだでみたり、自然にとけこみたく定期的に野宿をしてしまうのはそのせいかもしれない。
しかし、このアミニズムは資本主義経済と対立する概念でもある。アミニズムは人とものとのつながりをみるが、資本主義は人とものを切り離し、操作、支配できるものとしてしまう。
また、資本主義は成長が必須である。そのため他国の領土や資源を侵略しにまでいく。その過程が映画でも描かれている。
資本主義の下では、世界のGDPは少なくても2%から3%成長し続けなければならなく、これは23年ごとに倍の規模になることを意味している。これは計画的に無理でしょ。
そして今、この経済成長による自然環境へ与えるダメージが壊滅的だということは、すでに半世紀前から共通理解されてきた。そのはずなのに、生態系崩壊を食い止めることに関しては全く進歩はみられない今を生きている。
いかに、自然とともに生きるのか。この映画が投げかけてくれる。
地球温暖化を1.5度以下に保つ。生態系の破壊を逆行させるための唯一実行可能な方法は、高所得国が過剰な資源採取とエネルギーを減速させることだと、以下の本で科学者たちははっきり述べてられていた。
ジェイソン・ヒッケル『資本主義の次に来る世界』
“脱成長の素晴らしい点は、経済を成長させないまま、貧困を終わらせ、人々をより幸福にし、すべての人に良い生活を保障できることだ。これこそが脱成長の核心である。”P.37
元来、人は他の生物界との間に根本的な隔たりを感じていなかった。人間は孤立した生き物ではなく、川や森、動物や植物、地球そのものと相互依存の関係にあると考えていた。人間と同様に感情を持ち、同じ精神によって動くものとみなし、場合によっては親類のような近さを感じていたようだ。
今、世界は成長から脱却する動きが生まれつつある。成長志向の脱却には、二元論をこえるアミニズムが見直されている。セデック族には少ない方が豊かだった。その象徴が「狩り場」とよばれる自然豊かな霧の森。
映画と並んでちょうどこの本も読んでいたこともあって「成長志向」から一歩距離を置けることができそうかな。
この映画は僕にとって、今後の社会や世界を想像し、考える上でもとても示唆的な作品となった。今なら、アマプラでみられるのでぜひみてほしい。みなさんは、この映画からどんな感想をもちましたか?
