森達也監督の「福田村事件」を観てきた。
これまでドキュメンタリー映画しか撮らなかった森達也がはじめてエンタメとしてタブー群像劇を撮ったとのこと。森達也といえばオウム真理教のその後を描いた「A」が印象的だったため、ぜひ観に行きたかった。
話はこうだ。
“1923年関東大震災が発生した9月6日のこと。千葉県今の野田市にあたる福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、朝鮮人と疑われ殺害された。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。”
「福田村事件」HP参照
「朝鮮人が村に火を付けた」「朝鮮人が井戸に毒をいれた」などの震災後のデマ、流言によって6000人が虐殺された。
このことは9月1日前後の新聞では毎日のように、取り上げられていた。教室でも校長による週1回のトピックスと呼ばれる授業においても取り上げられ、子どもたちと考え合っていたほどだ。
しかしだ。
8月30日の内閣方法室では、記者団からの質問
「関東大震災時に多くのデマが広がり、警察、自警団によって朝鮮人が虐殺されたと伝えられている。政府としてどう受け止めているか」
の質問に松野内閣官房長官は「 政府内において事実関係の記録が見当たらない」と述べていた。
「これは観に行かなければならない」と思った。
記録が見当たらない(実際に福田村事件についての資料は特に少ない)からこそ、語り次がれていく必要がある。生き残った香川の行商人たちは部落差別出身のため、口をつぐんでしまった経緯もあったようだ。今は、千葉県にその子孫が慰霊として訪れている。
いつ暴走するのか。ハラハラして観ていた。そこまでの人間模様は冗長のようであったが、狂気に走る人々は実は普通の村民だということを描く必要があった。
僕はあの緊迫した場面に唯一いなかったのが「声を挙げられる人」、つまりリーダーだと感じた。リーダーは「言いにくかったこといえる」人であり、一目おかれる存在だ。民主的な村運営を村長は願ってはいたが、世襲村長彼のその声は集団には響かなかった。
はたして1人であっても声を挙げられるのか。私たち日本人は特に賛同してくれる人がいなければ、声を挙げようとしない傾向が特に強い。普段ものごとをはっきり言えない主人公の澤田が止めようとしたが既に遅かった。
「朝鮮人なら殺してもいいのか!?」朝鮮人への差別に加え、まだ残り続ける部落差別意識や「行かなきゃ村八分になるど」の村意識。新聞による社会統制、そして、それら差別からくる罪悪感と報復への恐怖と労働問題、軍国主義の高まりの時代背景など、さまざまな層が折り重なって起こるべくして起きてしまった事件だと理解できるように撮られている。
そして、そこにいた人達はみな、ふつうの人々だった。特に加害側に力点が置かれて物語は描かれていた。この善良な人が不安や緊張が高まる中、環境によっていつでも悪人に豹変してしまう事実。この描き方が森達也の真骨頂だ。
差別意識は気付かないところに誰にでもあるものだ。ただ「差別はいけないと教わっているから差別をしない」ままでは、いざ「差別をするのがあたりまえや得するとなった集団や社会」では、普通に差別が起こるのではないだろうか。学校のいじめも同じ構造だ。
差別撤廃、差別を禁じているだけではダメなのだ。無知から差別は生まれる。自分の内面にある偏見を見つめ、差別はもっと根っこの部分で理屈を越えるもの、怒りや義憤の感情を伴わなければならない。
福田村事件は私たちの生活の中、職場の中にも当たり前のように起こりかねないし、実際に規模は違えど同じような問題は世界でも起きている。
僕は若い頃、カンボジアのキリングフィールド、アウシュヴィッツ収容所に行ったことがある。そこから何を感じ、学んだのか。しばらく忘れていた感情を思い出させてくれた。
歴史から目を背けない。今だからこそ、もっと受けとめるべき事ががあると映画だったと思う。
僕の好きな往年の柄本さんやピエール瀧などシブい役者が脇をしっかり固めている。水道橋博士の自警団長役は見事だった。ぜひ、秋の映画ライフにおすすめしたい。観てきたら語り合いたい。