もっと声を挙げないといけない、そう思った。
うちの学校の高学年のカリキュラムには平和学習がある。平和教育には、僕がこれまであまりふれてこなかったこと、ふれてはいけなさそうだと勝手におもってしまっていた内容も多く、一から学ぶ気持ちでとりくんできた。
1学期は、東京大空襲で被災された方からの話をきいた。今日は、被爆2世の方から原爆投下時の話をきいた。次はウクライナ絵本作家の方から現地の子どもたちの様子をきく。そして、来月は広島へ行く。
直接、話をきくことで、心が揺さぶられる。どこか自分ごととしてとらえられてこなかったことが、少しずつ自分の中にしみわたってくる。こんなつらい話をどうして繰り返して話し続けられるのか、その使命感やしんどさも感じられた。
原爆について、多くの事実を知った。悲惨な事実が次々と伝えられる。戦争は、その後の生活そのものもつらいことも。祖父が生前、「食べるものがないのが一番辛かった」と話してくれたのを鮮明によみがえってきた。
どう理解し、受け止めていくのか、これから子どもたちと話し合って、考えていこうと思う。まずは知ることからはじまる。
昨年は、ロシアで広島の原爆の2000倍ある核兵器「サルマト」の実験も行われ、すでに配備されているようだ。そして、核兵器禁止条約に被爆国であるにもかかわらず参加できていない日本もいる。
今、自分たちにできること、身近なところからの平和からとおもっていたけれど、それだけではいけない気持ちになってきた。
「戦争というすべての過ちを繰り返さない。憎しみを乗り越えて。憎しみからは決して平和は生まれてこない」今日、この言葉がずっと心にのこって離れないままだ。

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、どうして日本に住んでいながら、核についてあまり触れてこれなかったのだろう。これらに向き合うことは、痛みや苦しみ、また国際社会との関係や核の平和利用など、多くの要因によって複雑。田口ランディさんの本は、これらの複雑な感情や歴史を浮き彫りにしてくれ、日本に生きている自分と重なって読めてしまう秀逸な本だった。子どもたちにすすめたい。