学級づくり

しぜん広場から学んだこと

いよいよ分散登校も終わり、今日から学級全員、一同に介して顔合わせができた。今学期はじめてのこと。子どもたちもワクワクしていた気持ちと緊張の半分だったと、今日のふりかえりで教えてくれた。

さっそくいつものように、みんなでしぜん広場へ遊びに行った。ターザンロープにゆられ「イガせん、押して、押して」とせがんでくるので、大人の本気を教えるべく、おもいっきり押し上げた。その勢いで、大きくゆれたブランコとその子は樹木にまで足が届き、驚きながら大笑いをした。

そして「なんか甘いいい匂いがするね」と。ふんわりとやわらかい香りが漂ってきた。先週末のターザンブランコでは、まだその樹木は深緑色の葉っぱだったが、今朝はキレイなオレンジ色の花をつけていた。この週末で一気にキンモクセイの花が開花したのだ。遠目に校長先生がこっちを向いて笑って、写真を撮っていた。

この1年半は何か新しい教育実践がなかなかできていない。勤める学校は首都圏ということもあり、通勤、通学の蜜を避けるため、時差登校を続けている。そのため、これまであった潤沢な授業実践の時間も、なかなか確保されないでいる。しかしその中でも細々と1年以上取り組んできていることがり、それが毎朝のしぜん広場の時間。

こんな都会の小さなしぜん広場でも、四季折々の変化を五感を通して充分に感じられることを知った。これまで本で読んで分かって気になっていたことが、経験を通して初めてわかることが多い。

学生時代の子どもたちとのキャンプ経験をいかし、元はといえば自然教育をやりたかった。教員一年目は「県で自然豊かな秩父の奥地に勤務したい」と希望していたことを思い出した。しかし「本当に自然教育が必要なのは都市部ではないのか」と、なんなく面接担当者に諭され、しぶしぶと都会の学校に勤務することに。と、思いきや幸運なことに配属されたのは、その中でも学区には信号一つ(しかも歩行者信号!)の小規模校だった。校舎は田んぼの真ん中にあり、田植えの時期になると、カエルの合唱が深夜まで聞こえてきた。今でもカエルの鳴き声を聞くと、教室の窓を開けて(扇風機さえなかった)、授業準備と奮闘していたあの頃を思い出す。

しぜん広場の子どもたちは、池で泳いでいる小さなカエルたちを小さな手で捕まえるのに夢中。「手がぬるぬる」と嬉しそうに見せてくれる。「つかまえたけど、足が曲がった」と、池に逃がしてあげるとカエルは白い腹を上にして沈んでいった。ぬるぬるや繊細さ、こういう自然を普通に味わうことを大事にして行けたらいいなと思う。

将来に必要なあのコンピテンシーやあのスキルを磨くためといった、アプローチとは異なるかもしれない。けれども、自然に思いを向けたり、感じたり、今しか学べないこと、その根っこの部分を大切にしていきたい。コロナ禍により、世間がオンライン授業やGIGAスクール祭り盛り上がっている中、少しスピードを落として、こういった豊かな時間を子どもたちと味わうことを忘れないようにしよう。

子どもたちの中には「しぜん広場に毎日行くのはいいとしても、雨の日にもどうしていくのよ! 晴れの日だけでもいいでしょ」と詰問してくる子もいる。クラスのみんなに同じ事を問い返してみると「雨だともっと楽しいじゃん。さぁ行こう」と勢いづくのが、この1年間の成果だと自負したい。

先週は雨が多かったので、傘をさして行くことに。まだ着替えも持ってきてないから、そんなに汚すなよって言ったけど、無理。築山のぬかるみでさっそく転び、背中とお尻が泥だらけ。池の中に両足を突っ込んで、今がシャッターチャンスだと写真を催促する子もいた。そしてその横で傘をさして、それを楽しそうに見ている子たちもいる。それでいいと思う。

しぜん広場から学んだことなんて何もないかもしれないけど、たくさんありそうだ。

パスタが好きでたまらない

たまにある土曜出勤。学校説明会のオンライン個別相談をした。画面をずっと見ながらだったためか、午後にはもう前頭葉が痛みを訴えていた。

夜は、妻が予約してくれたイタリア料理店「LA BETTOLA da Ochiai(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ)」で食事した。普段はなかなか予約の取れないお店だが、コロナ禍でもあり比較的自由がきくため、定期的に通わせてもらっている。

雨の降りしきる銀座。どこも感染対象対策がなされているが、妻と食事をしていることがこっそりと密会をしている気分で、どこか悪いことをしているような気分にもなる。とはいうものの、目の前に美味しいそうなチーズとトマトソースパスタがくれば、そういう気持ちはすっかり晴れてしまう。

イタリアンが好きな僕は、敬愛する落合シェフの味に近づくように日、ここで食べたもの五感とコスモをフル活用してその場ですぐさま長期記憶インプットし、自宅に帰っても調理できないか、常に試行錯誤している(からすみパスタ、ウニクリームパスタは家でもなかなか好評)。そして、この本には本当に学ばせてもらっていて、今の僕の食人生に豊かさを与えてくれたきっかけとなっている。

僕は凝り性なところがあり、他の落合本のおかげで、自分でも納得のいくトマトソースパスタもそれなりにつくれるようになってきた。

そして、僕にそのパスタ道の道を開いてくれたのは川越のピザ屋 Pizzeria PINOの店長さん。毎週木曜日にしつこいほど通わせてもらっていた。週の半ばのこの息抜きが本当に好きだった。この時代、驚くほどの「塩対応の人」だが、実は娘思いの本当にいい人でしかない。川越から引っ越すときには、パスタ用にアルミフライパンをプレゼントしてくれた。パスタ料理のイロハについて口伝式で繰り返し教わった。文字通りおいしいパスタもこっそりと作って味見もさせてくれた。

こういう本からの学び、実体験と、そして実際の試合(料理して食すこと)があるから、もっとおいしいパスタをつくりたいと思う。そして、また国際試合しにイタリアへ行きたい。

僕が人生で食べた一番おいしいかったパスタは、ローマの下町店で食べた「アマトリチャーナ(塩漬け豚のパンチェッタと羊のペコリーノチーズをあわせたトマトソースパスタ)」。あまりにもおいしくて、しばらくはこれしかつくらなかったら、パンチェッタの匂いをかぐだけでさすがにいやになった。笑。

食したその日にイタリア友人宅にて再現。イタリア人に食べてもらって寸評をもらったが、彼らはパスタを心から愛しているので快く受け入れてくれた。

大切な人にちゃんと別れを伝えたい

僕はこのコロナ禍において、人生の師と仰いでいた大切な人を失くしている。コロナの時期とあって、葬式は家族葬だったため弔問することはできなかった。別れを告げられず、心の中でまだずっと悲しみを引きずってしまっている。

その方が亡くなったことは、スーパーの買い物帰りの小雨降る中で知らされた。当時、同じようにお世話になった仲間から電話で亡くなったことが告げられた。せめてお悔やみだけでもとご家族へ電話をした時には涙が止まらなくなってしまった。不思議なことに、いつもは座布団の上で寝ている愛猫ニャオタローがその時ばかりは僕の横にそっと付き合ってくれていた。

数え上げるときりもないほど僕の中にその方の魂や言葉、宿っている。そして、いたずらな一面さえも。その中でも特に僕にとって一番大切なことをここに改めて残したい。

当時僕は、教育相談室で働いていた。1日の出来事を思いつくまま記述し、毎日カウンセラーのボスであるその方と、一日に起こったことをボスの見取りで解釈し直す日々だった。不登校や学校不適応の子ども達は「やりたくない」「めんどくさい」といった無気力で批判的な言葉が多い。しかし、実は本当は「やってみたい」といったまだ身体と心が整っていないアンビバレンツな心情であることを、繰り返しどのケースでも教えてくれた。

ときに支援員としての僕への暴言や暴力的な態度は、子どもと僕との安心感からくる依存関係だということなども教えてくれた。その支えがあったからこそ、子どもたちの矢面に立って自信や失敗覚悟で関わることができた。どれも今となっては人を「見取る」ということがどういうことなのか、身をもって(実際に殴られたりもしたが)経験し、理解しようと奮闘できた原体験だった。

その方から教わったことを教育相談室報へまとめあげた。平成13年のことだった。僕なりにまとめた「穴理論」は今の僕の子どもの見取る原点となっている。といっても、そのまとめでさえも、文章が究極的に苦手な僕に手取り足取り書き方まで丁寧に支えてもらい、できたようなものだったが。

不登校や発達に凸凹をもつ子どもは、深い穴底に落ちて社会から断絶しているようなもの。穴の上からいくら「登っておいで、這い出ておいて」といくら呼びかけても登ってこられない。支援員としての僕がその穴の底へ降りていって(このいかに降りるのかという行為が本当に難しいのだが)、「こんなにも穴は暗く、深かったんだね」とあるがままに受容し、「穴の底から見る景色」を共感すること。子どもは、その穴の高さは一人で登ることは無理だとしても、支援員がそばにいてくれることで、小さな勇気を持ちその高さが自分の力でも登れそうだと感じられチャレンジするようになる。そして、登っては落ち、落ちては登ることを繰り返しながら、自分でいつの間にか穴から這い出て社会復帰していくようになる。この穴底に降りることと、受容、共感できるかが今でも僕にとって変わらず課題となっている。

コロナのため弔問できず、心の中にずっと静かに悲しみを抱えていたことに気付く。コロナがおちついたとき、その当時があっての今自分があること、感謝を込めて挨拶に行きたい。そして、ちゃんとお別れを言いたい。それができないことがとてももどかしい。

麦茶をいれる時間が一番のワクチン

今年の学年で大事にしたいことはこれ。

「聴きあい、伝えあい、認めあいができる安心な場所でのびのびとチャレンジしていこう!」4人で一番忙しい4月に半日かけて話し合ってつくりあげたこと。それをもとに1学期やってきた。

そして、今日はその学年団でじっくりと1学期のことをふりかえりをし、2学期のこと、オンライン授業をもしするならば、日頃から大切にしていることでどんなことを大切にしたいか話し合った。

これまでレゴブロックやえんたくんなどを使って話し合ってきたが、今回はプロジェクト・アドベンチャー・ジャパンの「フルバリューカード」と「しるらないカード」を使って振り返りをした。

フルバリューカードを使っていた分かったことがあった。大人同士で振り返って話をする時には、半具体の写真のほうが写真に写っている具体的な意味を読み解いて、様々な物語をそこに展開できるので話が深まる。

なるほど。だから僕は保護者とはフルバリューカードを使うし、子どもたちの振り返りの中では抽象的なしるらないカードをよく使っていたんだ。無意識にもなんといいセンスなのだ。

その学年会でのウォーミングアップに「最近のストレス解消法」について話をしたかったが、他の話題となってしまったのでここにメモを残したい。

最近の僕のストレス解消法は、麦茶を入れること。その麦茶も水出し麦茶ではなく、お湯でじっくりと煮出したもの。なんてったって、すっきりとした味わいと香りの立ち方が水出しとは違う。

僕は、鍋いっぱいに沸騰している麦茶を大きめの水筒に移し替える作業、が何よりも好きだ。あの時の香りの立ち方はとても柔らかく気持ちをほっこりとさせてくれる。黄金色した麦茶をおたまですくったときの、ふっくらとした湯気と麦茶の香りがたまらない。

このコロナの時期、何かとストレスが増えるとき。ストレスホルモンであるコチゾールが分泌されがちだ。コロナ対策はワクチンだけでは決して防げない。自分の免疫反応をしっかりと高めていくことが何よりも必要。免疫を強くするにはストレスを減らすこと。

僕にとってのお湯出し麦茶はそれにあたる。だから今日も僕はコツコツと麦茶を水筒に入れる。こうやって、効率や生産性を追わず、じっくりと時間をかけてていねいに身体を動かして、細々とした小さな幸せを大切にしながら生きていきたい。

本丸の学年会では、プチDaiGoを育てちゃいけないことと、DaiGoの弱さにどう寄り添えるかといったなかなか含蓄深い話になった。それはまた別のときに。

母に内緒で買ってくれた祖父の瓶ラムネ

どこに出かけるあてもなく、のんびりと休校期間中のように過ごした夏休みが終わった。最後の数日は、例年通りの長い会議の連続であったが、自分たちの学校自分たちの手で作っていくという、そのためにはかけがえのないオンライン会議時間であった。

さて、この夏休み、炭酸三昧の日々だった。以前にも書いたことだが、アルコールが好きなのではなく、炭酸が好きだったという事実が発覚。この一か月は、「自分にとってどのような炭酸が良い炭酸なのか?」を問い続けた日々となった。

スーパーやコンビニに買い物に行くたびに、様々な種類の炭酸に手を伸ばしてみた。天然水でできた炭酸や天然水に天然炭酸を入れたもの、浄水した水に炭酸を入れたものなど様々な種類があることもわかった。

結論から言えば、どの炭酸にも貴賎はないということだ。かっこよく言えばそういうことだ。本音で言えば、よく分からないということだ。つまり味は僕にとっては大した意味を持っておらず、炭酸の持つのどごしや爽やかさ、それが僕にとっての炭酸の価値だとわかってきた。

とはいうものの、どのような炭酸が良い炭酸なのか? これには確信が一つある。それは今は亡き祖父がこっそりと買ってくれた炭酸が良い炭酸だ。

何かと口うるさい母は、子供の頃の僕に「炭酸を飲むと骨や歯が溶けるからやめなさい」と繰り返し口を酸っぱく言い聞かせていた。しかし、やめろと言われれば言われるほど好奇心が増すもの。

おじいちゃん子だった僕は、自転車の後ろに乗せられて毎日のように駄菓子屋に連れてってもらっていた。そこでは「お母さんには内緒だぞ」と、あの瓶ラムネをこっそりと飲ませてくれた。 その横で祖父は、麦わら帽子をうちわ代わりにして暑い日差しの下で、ラムネをぐびぐびと飲み干した。

最初は恐る恐る飲んだのを覚えているが、パチパチとのどで弾ける音やキラキラ輝くあのビー玉、すぐにラムネの虜となってしまった。もう骨も歯もすべてが溶けてもいいと思っていたはずである。

以来ことあるごとにラムネ、コーラ、そしてビールから炭酸水へと変遷してきたが、骨や歯が溶けることもなく今は健康にこうして生きていることができている。

この夏「どうしてこんなに炭酸は好きなんだろう」そう思いながら、飲んでいたその答えがわかった気がする。僕にとっての一番のおすすめの炭酸は、母に内緒で買ってくれた祖父の瓶ラムネである。

本を自然と手にりたくなる文脈づくり

本校にも脈々と語り継がれてきた蚕実践があります。まずは図書室にて蚕について本探しから始めました。図書館司書の先生が本をいくつかみつくろってくれました。蚕初心者の僕としてはどれもとても良さそうな本ばかりです。

その中でも蚕の文化そのものを語り次がれるそのよさが際立っているのが大西暢夫さんの『お蚕さんから糸と綿と』(アリス館)でした。まゆをびろーんと広げて、綿ができるといいな。教室読み聞かせも使わせてもらいしました。

スケッチのモデルにはこの本が秀逸でした。アトリエ・モレリ作絵『かえるよ!カイコ』(リブリオ出版)。観察ってついiPadでパチリと撮って記録したくなるんだけれど、それだけじゃもったいない。じっくりみて嗅いでみたり触ってみたり、それをとことんスケッチするよさが伝わってきます。そういうよいモデルとなった本でした。

そして、国語の説明文としてもっとも読み応えと内容も充実していてすばらしい本がこれ。岸田功『科学のアルバム カイコまゆからまゆまで』(あかね書房)。なんと僕といっしょの1977年出版(僕は出版物じゃありませんが)!「学年で使って今後も使い続けるから〜」とお願いをしてクラス人数分を複本として購入してもらいました。ありがたし。

その後、国語の説明文として、カイコの成長と併せながら、少しずつ読み進めてきました。この次の展開や、どういう仕組みになっているのか、ワクワクしながら読み進めることができました。

まず図鑑から!と知識をついつい注入してしまいがちですが、日々の活動の中でカイコを育てていくその興味関心の延長に、それを支えてくれるものが書物だったりするものだなと思うのです。その逆をやってしまいがちなため、本を自然と手にりたくなる文脈づくりがカイコ実践にはありますね。

自分の責任で自由に遊ぶ

今朝、土曜授業のお手伝いで出勤したら、机の上にA4に引き伸ばされた写真に「おつかされまでした」と一言添えられて置いてありました。ほんとうにいい職場です。朝から笑いました。泥だらけの僕ですね。


昨日は、のびにのびた春の遠足。自分の責任で自由に遊ぶプレーパークに歩いて行ってきました。雨模様でしたが、どうせ遊びに行くプレーパークは真っ黒になるんだし、天気は曇り(学年で判断するときは2つ見たけど、他の3つの天気予報は雨でした)決行。こどもたちとのびのびと、徹底して遊んできました。


お手製滑り台には柵もないけれど、それなりに危険を冒しながら遊べる貴重な場所。成人の儀式のように屋根の上に立って、度胸試しの飛び降りの儀をしている子たちもいます。僕も実際に上には立ってはみたものの、急に肉離れが痛くなってやめました。それさえなければやれていたかもしれないかもしれない。


一人が泥にまみれると、伝染するかのように、一人また一人と泥人間になっていきます。泥には人のマインドを解放する力があります。ありがたいことに「イガせんのために温泉を作ってあげているよ」とその少年少女たちは、午前中の全てをかけて、全身全霊で泥沼温泉作りに熱中していました。これまで見たことのない役割分担の効率の良さで、シャベルや一輪車、たらいに大量の水が準備されます。こういう時に高いモチベーションとチームワークが発揮されることも学ばせてもらいました。


僕はというと、入るか入らないかの葛藤は少々で「ここで行かねば教師が廃る」と、手ぬぐい片手に飛び込みました。思っていたよりも深く、腰まで使って泥パック。いつもは優しい目をした子どもたちも、ここぞとばかりに、泥を肩から頭、そして顔面にパックしてくれました。ちなみにシャワーはなく、水道水で行水です。

このプレーパークは面白いところで、何をやっても自由。本校でもずいぶん前は使っていたようですが、ここ最近は使っておらず、コロナでどこも利用に躊躇している施設も多く、本当に気持ちよく貸してくれた場所でした。


本来なら、子どもたちとお湯を沸かしてカップラーメンを弁当がわりにする予定でしたが、コロナのため、残念ながら火おこしだけは禁止でしたが、あとはなんでもOK。井戸水は出るけど、飲めるのかと聞くと「美味しくないよ」問いう返事。「自分の責任で自由に遊ぶ」このモットーは最高です。そういうことも理解して、地域の人も小さい子を遊びに来させているようでした。その子たちも真っ黒でしたね。


実行委員の子どもたちはこの2週間本当によく準備していました。遠足の学年プレゼンテーションから、当日の司会進行、そして青年の主張も良かったです。「僕にはやりたいことがあーるー!」「なーにー(みんな)」「高いところから飛び降りたーい!」「頑張ってー!(みんな)」笑。ほっこりしました。


楽しい遠足でした。家でお風呂に入ったら耳の中から泥が止めどなく溢れ出てきました。びっくりしました。

チャレンジ・バイ・Noチョイス やるしかないとき

蚕が大きくなるにつれて、いろんなドラマも生まれてきますね。

一番は「虫を触れない子」が苦労しています。もちろん、人ですので、苦手なことがあっていいもの。その苦手とどう向き合っていくのか、いきなりレベルの高い挑戦が続きます。

ひとりひとつがタッパーに蚕を飼っていて、毎朝、しぜん広場から遊んだ後、理科園にしげっているクワの葉を数枚とって教室にもどります。朝の会が始まる前に、かいこっちの部屋掃除です。

興味関心が高く、虫が得意な子はすいすい片付けてしまいます。一方、固まっている子も数人。「助けてー」と気軽に言える子は世渡り上手ですね。こういうときにプライドがジャマして、身動きがとれないときもあるものです。教室に入ってくれている支援員さんも「ニガテもあるけれど、自分でちょっとだけやってごらんよ」と背中を押してくれています。まぁ、触らない子はそのままそれでいくのもありですが、掃除はしてほしい。

担任の僕は僕で、のこりの大量の蚕の世話をしてるので、その世話に大変忙しい。自分のことは自分でやるって昔の養蚕はこんなかんじだったのかもしれません。

こういうときに、気のいい子たちが「おれやってやるよ」「わたし蚕だーいすき♥」と近づいてきてくれると、こわばっていた顔がほころび、「ここは自分でやって」「はい」といわれるがままに掃除をしているようでした。

チャレンジ・バイ・ノーチョイスでやるしかないとき。人は窮地に立たされる。それを支えてくれるのは、仲間の気遣いだったりするんですね(これは大人も一緒。こういうときだからこそケアする心を大切にしていきたい)。そして虫を触れない子はこのまま毎回、固まっていくのでしょうか。今後の変化が楽しみでもあります。見守っていこうと思います。

学級集団がどういうコミュニイティでありたいのか。自分たちでつくりあげている最中です。

なんのために蚕を飼うのか? それが問題だ

子どもたちは、蚕は繭になって茹でられてしまうことをうすうす知っているようでした。蚕を飼い始める前に、「知っていること」を出し合いました(僕は学習始めには既有知識を一度棚卸しするのがとても好きです)。

子どもたちは、まゆから絹糸が取れることも知っていました。そして、後々、それぞれが飼っている蚕が繭になり、茹でられて死んでしまうことも。


そこで「じゃぁ、僕らはどうする? 蚕を飼うか?/飼わないのか?」を話し合いました(ちなみに飼わないのかと言われたら細々と僕が勝手に飼おうと思ってもいました)。


「死んじゃうかもしれないけどやってみたい」と多くの子たちは飼ってみたいと興味があります。子どもの残酷な一面も見えます。一方で、「かわいそうじゃん」と一見優しさを醸し出すけれど、本当は虫嫌いだったりして。その議論を聞いていて面白い。


ある子が「蚕にとっての幸せを考えてみようよ」と投げかけました。


僕の中にも、家畜として人が養蚕しやすいように人工的に作られてきた蚕、そして絹糸を取るために死んでしまう前提で生き物を飼うことってどうなんだろう?とずっと考えてきた問いの一つです。


蚕にとっての幸せは「長生きすること」「(人の)役にたつこと」、蚕にとっての不幸せは「みんなゆでられること」。ここからがおもしろく、「どっちにしろ死んでしまうから、、、」、「蚕の世話をやりきること」と「保護をする」の二つになっていきました。しかし、蚕を毎回育てていくと、1年もすると50億近い蚕が産まれてしまう計算でした。困った困った(だから養蚕には資格があったし、蚕をむやみやたらに放してはいけないきまりもあるようです)。

結論。


蚕の役割を果たすため、まゆになるまでせわをやりきる。


蚕は蚕のミッションがあり、その通りに生きていくのが幸せだろう、僕らは飼うし、殺して糸も取る。だから最後までちゃんと世話をすることが僕らに課せられたミッションであると。蚕のミッション!? 言葉のチョイスがオモシロイ。
この、「みんなで飼う」ところに、意味が今後出てくると思っています。それぞれの興味に応じてではなく、好きも嫌いも含めて、一緒に同じことをやる。その制限の中にドラマや学びも生まれるはずです。


「よし、ではそれぞれの蚕の命が全うできるように卵を今からわけわけしましょう!」と言った矢先、もうすでに卵が孵化しちゃってるじゃん!という前回の話に続くのです。


なんのために生き物を飼うのか。結構大事な問い。蚕がまゆになった時にもう一度、話し合ってみたいと思っています。

コロナで自分へ勝手に規制をかけてたかも

今日で2週にわたって取り組んできた学年の地域探検がおわりました。白地図とコンパスもって各々のグループが事前に計画したルートにそって、迷いながらも自由に探検してくる。もちろん保護者にも快く協力してもらい、安全をみてもらいました。僕は自転車ぐるぐる回って、出会ったグループにスタンプ。

帰ってくると、「迷子でたいへんだったー!」嬉しそうに抱きついてくる子。森でカブトムシげっとした子。お寺のお堂で南無南無してきた子。それぞれの冒険があったようでなによりでした。

最初、緊急事態宣言が出され地域探検も延期する案もありましたが、もう以前のように大人の都合で、子どもたちに悲しい思いをさせたくない。

春の遠足だって緊急事態宣言の中、延期しました。だれに迷惑かけるわけでもなく、春の川ぞいを歩いて、公園で真っ黒になって遊ぶ。最後の最後まで、行くつもりでいましたが、断念。今はその判断は間違ってはいなかったと思うけれど、社会の目を過剰に気にしすぎていたかもしれない。子どもたちができることを、大人が勝手にせばめてしまっていることに、そういう自分がいることにも悲しくなる。

遠足延期については学年集会を開いて、子どもたちからの率直な意見も聞かせてもらった。延期して良かった意見、やっぱり行きたい意見、様々でてきたけれど、こういう子どもの声をききながら、もっと学校をつくっていかなければいけないと思う。コロナの今だからこそ。

今日の探検は隣のクラス。雨にふられてしまった学年の先生をねぎらい、駅前のおいしいクリームパンとコーヒーでふりかえり。こういう時間に、案外、これから大切にしたいことが決まっていく。こういうこともコロナ禍で失ってきたことのひとつだなあと思う。

こうやって、不安をかかえながら、さぐりさぐり行事をつくっていく。今後も続くと思うけれども、あきらめないで行こうと思う。

あしたは実行委員の子どもたちが延期されていた遠足のプレゼンテーションをする日。練習は自分たちですすめていました。楽しみです。