子どもたちのマスクがはずれない

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コロナが5類になってから、もうマスク義務はなくなっているし、学校もその義務はもはやない。でも子どもたちは、なかなかマスクを外さない子が多い。9月からの猛暑で、自然とマスクがとれることを願っていたがそうはならなかった。

どんな気持ちでつけているんだろう。高学年になればなるほどその傾向が強いのか。僕の周りの学校でも同じようなケースをよくきく。

子どもたちは家では着けていないようだし、外出先でもあんまりつけていないとのこと。でも、学校にくるとしっかりと着けている。

もちろん通勤、通学の電車やバスの中で感染予防のためには個々の判断だし、それは一人ひとりが尊重されるものでいい。

また、思春期ならではのルッキズムとの問題でマスクをしないといられないケースならば、それでいいし、そうしてほしい。

僕がいっているのは、このこととはちがう。僕がもっている違和感は「なんとなくみんながつけているから、自分もマスクを着けている」こと。

「これまで見せていなかったから、顔をみられるのがはずかしい」

「友だちになにか思われないか、言われないか心配」

「マスクをとって、逆に目立つのが嫌だ」

こういった気持ちがしんみりと伝わってくる。

ある子が「今日、水泳のあと、勇気をもってマスクをとってみたら、すっきりした〜!」とジャーナルに書いてくれた。ドキドキしていたことが伝わってくるし、今後もそういう子がふえてほしい。

着けていないとなんか落ち着かない。習慣化して、そうなっちゃいけないな。マスクがパンツ化してしまうのは全くよくない。

もし、恥ずかしいとかいう気持ちがあるのなら、そういう気持ちなるのはしかたなけど、本当はちがうといってあげたい。

マスクを取ることについて対話してもいいけど、なんか腫れものをさわるようで難しそうだ。どうしたものか。

マスクが外せないのは、そもそも学校や教室が、安心安全の場となっていないからなのだろうか。そうなら、これはそのまま僕自身の学級経営にも跳ね返ってくることだ。

顔を見て、人と関わりたい。昭和世代といわれても、裸の付き合いをしたい。この2〜3年間、顔を見ないで育ってきている子どもたちの心に僕は大きな影響を与えてしまっていること、これを一番懸念している。

始業式の自己紹介で「先生はほんとはこんな顔をしています」といって、まるでのっぺらぼうが前髪を書き上げるように、マスクをじわじわとりはずし、顔全体を示す。子どもたちはそれに、あぁーとか言いながら拍手をする。いつか、こんな儀式があったことを笑って語り合える日がくるといい。

もし僕が、過激派組織マスク狩り部隊(通称MGB)の幹部候補として煽動しはじめていたら、そんな僕を全力でとめてほしい。

ネコってほんと平和。へそ天で無防備。かくありたい。
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